ギフテッドのカウンセリングで
特に共通している心の問題の一つに
「強烈な劣等感」があります。
劣等感の問題は
愛着障害の人の共通の悩みなのですが
愛着障害のギフテッドの劣等感にはそれとも違う不思議な特徴があるんです。
劣等感は多くの場合
実際に何かの能力が平均以下で
それによって多くの人から蔑まれたり
思うような結果が出せなかったり・・・
そんな経験によって生まれてきますよね。
ところが
ギフテッドが劣等感を抱えている問題を聞いてみると
その能力自体は実際には平均以上で
多くの人から蔑まれたわけでも、苦渋をなめてきたわけでもないんです。
よく話を聴いてみると
自分の能力に対して
自分だけのものさしで測った評価があって
自分の満足できるところまで達していなければダメだ
こんな信念があるようなんです。
例えば
自分が自分の容姿を気に入らない
→人より容姿が劣っている
自分がこれだけ出来ないと許せない
→人より能力が劣っている
自分の理想の人間性を備えていないと許せない
→人より人間性に問題がある
ギフテッドは完璧主義ですから
全てにおいて自分が満足する事はありません。
そうなるとどうでしょうか。
完璧主義のギフテッド本人が満足できることなんて、あるわけがありませんよね。
その結果
自分は全て人より劣っている・・・と
強烈な劣等感を持つようになるんですね。
何故これほどまでに
主観的な見方から抜け出せないのか、客観的な見方ができないのか、考えてみました。
客観的な見方というのは
世の中の様々な人、無作為に出会う人の見方を知って
360度から物事を見られるようになって得られるのではないでしょうか。
多くの人が使う「客観的に見る」とは
様々な人に出会い多くの人の話を聞いてもいない状態で
自分が出会った偏りのある人の見方だけで自分を見ている
本やインターネットなどで知った一般論で自分を見ている
自分の見えやすい特徴だけで自分を見ている
「主観的に見ていない」だけで
「特定の誰かの見方で見ている」
「表面的な一般論で見ている」
「見えやすい特徴で決めつけている」だけなんですね。
カウンセリングに来るギフテッドの人は
社会性が高く、多くの人と交流を持ってきています。
でも多くの人と価値観を交換するような会話はしてきてはいません。
これについて本音でどう思うか、感じるか、どんなふうに考えてるか、解釈してるか。
愛着障害の人はそういう深い話をする関係の構築が難しい。
また愛着障害のギフテッドの場合は
強烈な人間不信によって
人の言葉が聞き入れられないということもあります。
ギフテッドの記事ではないですが
共通する部分はあるので是非こちらを読んでみてください。
多くの人の本当の価値観を知らない
多くの人の言葉を聞き入れられない
これでは
360度様々な角度からの見方は手に入れられないですよね。
これだけではありません。
ギフテッド、特に愛着障害のギフテッドはデコボコがとても大きい。
自分が好きなことや得意なことは、他を圧倒する力があるのに
自分が嫌いなことや苦手なことは、目立つほど無能と思われるほどに出来ない
愛着障害のギフテッドの人は
その嫌いなことや苦手なことをやっている時に
「そんなこともできないの?」
「それが出来ないなんて普通じゃない」
「どうしようもないね」
こんなふうに著しく低い評価を受けてきたはずです。
そして
こんな言葉を言う人は
ギフテッドの突出した力は見ようとはしません。
突出した能力が
勉強だったりスポーツだったり目に見えやすいことだといいんですが
そうではない才能は見つけてはもらえません。
多くの人と深い交流をして色んな角度から言葉をもらってきていない
色んな言葉をかけられても受け取ってこなかったギフテッドは
目の前の人の、偏見とも言えるダメ出しをまともに受け取り
数少ないそういう人の言葉だけを指針にして
自分の全体の評価を悪く作り上げてしまうんですね。
誰がどう見てもダメなわけではない
平均より能力が高い
ダメな部分はほんの一部
それなのに自分はどうしようもなくダメな気がしてしまうんです。
もっと多くの人と本音で話が出来れば
色んな価値観を聞いて言葉を素直に受け取れれば
自分はそれほど劣っていない
自分がダメだと思っていた部分はみんなもある
自分はダメだと思っていたけど、一般的には優れていると思われるみたいだ
こんなことがわかっていくんですが
愛着障害のギフテッドの人はこれが難しいので
自分で強烈な劣等感を作り出してしまっていたんです。
この強烈な劣等感を無くすには
愛着障害から回復して、まずは人の言葉を受け取れるようになる必要があります。
そして
多くの人の本当の気持ち、深い気持ちを聞いて、多くの価値観に触れて
早く「自分は本当は大丈夫なんだ」ということを知ってほしいと私は願っています。
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