逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

強く見える人の方が弱い


男性の方が肉体的に強いだけでなく精神的にも強いというイメージを持たれがちです。

 

lilcafeでも、ずいぶんと多くの男性のクライエントさんとお会いしてきました。
それで感じるようになったのは「強く見える男性の方が精神的に弱い部分がある」ということです。

 

強い、弱いの話になると、弱いのは根性がない、努力不足・・・とすぐに結びつけて「弱い」と絶対に思われたくない!と思う方が多いのではないでしょうか。


でも私がお会いする精神的に弱い部分がある人は、むしろ根性で耐えてぬいてきた、努力を惜しまずに乗り越えてきた、頑張り屋さんで尊敬できる方の方が多いんです。

 


私自身もそういうタイプでした。


心が回復して、本当の意味で精神的に強くなることが出来てから分かったことがあります。

 

誰より耐え抜いてきた私だからこそ耐えることに時間を使ってきて、他が疎かになっていた。
そして疎かになっていたそこの部分に精神的な強さに繋がることがあった、ということです。

 

一見して強く見える、努力家で耐えることのできる人ほど弱い部分があるのではないでしょうか。

 


そういった強く見える人が苦手なことを挙げると

 


・逃げること

・自分に害になる古いものを捨て新しいものを受け入れること

・誰かに教えを請うこと、頼ること

・限界を認めること

・弱さやダメな部分を認めること

・無責任になること

 


私もこれが本当に苦手でした。

 

これが苦手で何が悪いのか?得意なことが心の強さに繋がるの?と思われるかもしれません。

逃げずに責任感を持ち、一人で耐え抜いて頑張り続ける・・・素晴らしいですよね。


でももう、これが苦手なまま健康に生き抜ける時代では無くなってきてしまったのだと私は思うんです。

 

 

今の時代は日々不安なことが多すぎます。人と人との繋がりも希薄になってきています。


どんな最悪の状況でも逃げずに最後まで責任を全うする。人として素晴らしいと思います。

でも・・・余裕が無くギリギリの状態でいれば、少しでも不安なことが起きればすぐにバランスを崩して平常運転が出来なくなってしまいます。
困ったときにすぐに助けてもらうことも簡単ではありません。

不安なことが頻繁に起きるので、つねに精神的に危うい状態になってしまいます。

 

 

今の時代は皆さん自分のことで精一杯です。

 

自分を犠牲にして必死に取り組んでいても「誰かが見ていてくれる」「必ず報われる」「いつか返ってくる」ということがほとんど無くなってきてしまったと思います。

自分を犠牲にすればするほど、さらに自分のところに負担が集まる・・・ということも起こりやすい。

自分を犠牲にして人のために行動する姿は美しいですが、搾取され続ける状況では長く健康で生きながらえることはできません。


今の時代は自分の身は自分で守る。自分の健康は自分で保つ。これが義務になってしまったと思います。


そのために逃げる力が必要なんですね。

 

 


古いものに固執して新しいものを受け入れないとどうなるでしょうか。

 

自己実現にあまり興味がない、あまり多くの人と関わらない人、多くの人の目に晒されない人、変わり者だと思われても心の底から何とも思わない人なら、なんの問題もないかもしれません。

でも、そうじゃない人は心が弱くなる要因の一つになると思います。


自己実現するためには軽々と新しい経験を増やしていく、新しい出会いを増やしていくほうが近道ですよね。
同じ事を繰り返したい、同じ人間関係だけでとどまっていたい・・・と思っていると、自己実現は難しい。
どんなに頑張っても古いものに固執するせいで人生が前に進まず、疲れ果ててしまいますよね。

私も本当に慣れたものや人に固執する傾向がありました。
今もこの問題は完全にクリア出来ていないと思います。

 

古いものでも良いものは沢山あります。

でも新しいものには便利で効率が良いものが多く、自分の人生を前に進めやすい。
人の人生と自分の人生を比べて遅れを取っていると落ち込むのであれば、不便なものにこだわっているせいだと気づかないといけませんよね。


古いものでも素敵なものが沢山あります。

でももし今の環境や人間関係で新しいものを取り入れないせいで、話が合わない、馬鹿にされる、変わり者だと思われるなど不都合があるようなら、古いものを大事にしながらも新しいものを取り入れた方がいいかもしれません。


古いものに固執するせいで落ち込み自信を無くし卑屈になってしまうことに繋がっているようであれば、それは克服しなければいけないことになりますよね。

 

 


自己満足やプライド、恥ずかしさなどで誰にも教えを請わない、頼らないとどうなるでしょうか。

 

間違った努力、効率の悪い努力をし続けることになりがちです。

人生に余裕があるならそれでいいと思います。
でも自分に自信がなく、余裕も無く、努力をし続けてきてもう心が折れそうだったら?

早く正しい努力を知らなければいけませんよね。
そうでなければ人生はずっと迷路に迷い込んだまま走り続けるような苦行が続いてしまいます。

余裕が無い、自分に満足していない、自分の人生に満足していない人ほど、一人で何もかも解決しようする傾向は壊していかないといけないんだと思います

 

 

弱さやダメな部分を認めないとどうなるでしょうか。


心の中で人を見下してしまいます。
無意識に人にマウンティングしてしまいます。
自分を棚に上げて人を批判してしまいます。
人の長所を決して認めず、ダメだしばかりしてしまいます。
その場を楽しむより、自分のダメな部分がバレないように必死になることに追われます。
人に迷惑をかけても謝罪や感謝は出来ません。


そうすると・・・どうしたって人から疎まれて孤独になっていってしまいますよね。


ただ根性で「弱くない」「ダメじゃない」と必死にやってきただけなのに、悲しいですよね。

昔はこれでも「良い奴だから」と理解してくれる人もいたからよかったんです。
今はみんなが余裕がない時代ですから、自分は変わらずに理解してほしいと思っていてもそれは叶いません。

自分で弱さやダメさを認めていかないと人と温かい関係を築くことは難しいんですね。

 

 


限界を認めないとどうなるでしょうか。

 

先ほどの弱さやダメな部分を認めないのと似たところもありますが・・・
それよりも大変なのは、事が大きくなってから明るみに出て人に迷惑をかけてしまうことです。

 

私は高機能型の境界性人格障害でこれが本当に酷かったんです。


笑顔で余裕のふりをして沢山の責任を負って、負担も背負って、つぶれて大事になる。人に沢山迷惑をかける。

もっと早くに「ここは私には難しい」「ここは自信がない」「もういっぱいいっぱいです」と言えていたら、多くのことは未然に防ぐことが出来たかもしれません。

 

体調不良や心の不調も誰にも気づかれず、笑顔で元気に過ごすことも多くしていました。

ある日突然鬱になり、半年は動けない状態になりました。
順調だった仕事も穴を空けてしまいました。
私を心配してくれる人は「なぜ気づいてあげられなかったのか」と思わせたと思います。
鬱になってから、本当に沢山迷惑をかけて心配をかけたと思います。

 

私自身はただ一生懸命生きていただけ、周りの人が気づいてくれないだけと思っていましたが、本当は「限界を認められない」という私の問題もあったと思います。


他にも、人のどんな理不尽な関わりにも寛容で怒らず不機嫌にもならず過ごしていて、ある日突然怒りが爆発して正常では無い感情の発露を見せてしまう。
自分はどこまでも耐えられる、寛容な人間でいられると思っていたのに、限界を超えて感情のコントロールが利かなくなってしまったんですね。

 

限界を認めない人は頑張り屋さんで愛すべき人です。
でも人に大変な迷惑をかけてしまうならやり方を変えなければいけないんですね。

 

 


だいぶ長くなってしまいましたね。

 

男性ばかりに言えることではないのですが、男性の方がこうなってしまう養育を受けてきていたり、社会で求められる姿のせいでこうなってしまう可能性が高いのではないでしょうか。


「強くあらねば」「どんなことも耐えるのが強さ」「負けてはならない」こんな信念を植え付けられて、頑張ってきた人ほど弱くなってしまう部分があります。


だから男性の方が精神的に弱い部分が多いのかもしれません。

 

 


自分は強い、大丈夫だ、一人で何とかする・・・

そんなふうに頑張っている昔の私のような強く見える人に、本当は大丈夫じゃないんだ、変わらなければいけないんだと気づいてほしいと思っています。