逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

体験談⑧ 37歳男性 大学生Mさん

はじめまして。

ぼくは竹田さんのカウンセリングを約3年間受けさせてもらい、この度、卒業となりました。

うれしいことに体験談を書く機会をいただいたので、これまでのことを書きたいと思います。


はじめに自己紹介します。

ぼくは現在、医学生です。一度大学を卒業したあと、社会人経験を経て、34歳のときに大学に入りなおしました。


ぼくは、新興宗教を信仰する家庭に生まれました。
小さい頃から、仏壇にお祈りしたり、自宅で行われる集会に参加したりすることが当たり前。
そのなかで、道徳みたいなものが自分に植え付けられたように思います。
この頃からぼくの頭の中にはすでに、人としてこうあるべき、という理想像があって、そこから外れちゃいけない感覚がありました。


その影響もあってか、ぼくは絵に書いたような優等生でした。

勉強は学年でもほぼ一番というくらい得意。
それを周囲に自慢することもなく、人の嫌がることもしないし、先生のいうこともよく聞く。
周りから推されて、毎年のように学級委員に選ばれ、中学生の頃には生徒会長もつとめました。
人から高く評価されていたことで、自分自身についても宗教についても思い悩むことはありませんでした。


立場上はクラスのリーダー役を任されることが多かったのですが、小学生の時にはいじめに遭いました。

クラス替えや中学校への入学でいじめもなくなりましたが、この経験を通して、外見も内面も、人と違うことを怖がる気持ちがとても強くなった気がします。

 

自分の本心、本音、個性を人にさらけだすのは危険なことで、思ったことを口にするのではなく、当たり障りのない言葉や、みんながうんといわざるを得ないような正論を口にすることが多くなりました。

学級委員や生徒会長などの役割を与えられるようになると、優等生として、非の打ちどころのない人間を演じ、弱みを見せないことで、自分を守っていたと思います。

自分が本心で思っていることと、周囲にみせる自分は違っていて当たり前で、そのことに疑問ももちませんでした。

それでうまくいっていたからです。

自分の周りにはいつも人がいて、学校ではよく笑っていました。
卒業アルバムには友人から「いつも笑顔だった」と書かれるくらいでした。


ただ、高校生になって進学校に入ると、人間関係で挫折します。

これまでは勉強ができることで周りがチヤホヤしてくれていたのに、進学校では自分と同じくらい勉強ができる子ばかり。

ぼくは、自分から進んで人と関係を結び、仲良くなっていく方法が分かりませんでした。
それでクラス内で孤立しひとりぼっちになりました。

休み時間に話す相手がいない。
体育ではペアを組む相手がいない。
修学旅行は、余った人どうしでグループをつくる。

「友達がいない」、
「自分には魅力がない」、
「誰からも必要とされていない」

という現実を突きつけられているようで、自分自身が恥ずかしくてたまらなかったです。

挨拶してみたり、明るい人間のフリをしてみたり、自分なりにできることを試してみたけど、結局、友達と呼べる人はできませんでした。


この頃から、自分で自分のことが大嫌いになりました。

他のみんなはいとも簡単に友達をつくって、あんなに楽しそうにしている。
自分だって、友達と一緒にふざけあったり笑いあったりして楽しい日々を送りたいのに、それができない。

周りの人が当たり前にできていることが自分にできないのは、自分に何か問題があるんだと信じるようになりました。

中学時代に、自分が周りから好かれているように思っていたのは、みんなぼくの能力に惹かれていただけで、内面を好いてくれていたわけではなく、全部まやかしだったんだと思いました。

そうなると、どんどん自分が欠陥を抱えた、異常な人間に思えてきて、自分の内面、感情、気持ちを人に知られるのが怖くなっていきました。

学校にいくと緊張して身体がこわばり、たまに会話することがあっても上辺だけの会話で、自分がおかしな人間だとばれないように取り繕うのに必死でした。

学校から帰って周囲の目がなくなると、やっと呼吸ができるような感覚で、もうヘトヘトになっていました。


友達がほしいのにできない。
この問題を宗教により解決しようとしたこともあります。

その宗教では、祈れば願いは叶うとされていたので、毎日、仏壇の前に座り、長い時間、一生懸命に祈りました。
でもいくら祈ったところで満足な友人関係は得られず、生まれて初めて信仰に疑問が生まれました。


それからは死に物狂いで勉強しました。

友達も作れない自分は、勉強することでいい大学にいき、いい職業について社会的なステータスを得ることでしか生きる道がないのだと思いました。

学校から帰ってからの時間をすべて勉強に使いました。

毎日深夜まで勉強するからいつも寝不足で、夜遅くにお風呂の浴槽の中で寝てしまって溺れかけたこともあります。


その成果もあって大学には合格し、その後、社会人となります。

周囲からは色々なことをそつなくこなし、穏やかで落ち着いていて、悩みがないように思われていたと思います。
でも、内面はといえば、自分が魅力のない、空虚なからっぽな人間という感覚をずっと持ち続けていました。

人を惹きつける内面的な魅力をもたない自分は、クラスや職場に存在するために、

何か特別なことができないといけない。
人よりも優れていないといけない。
周囲の期待に応えないといけない。

そうやって、周りに必要とされない限り、自分には価値がないと感じていました。
人から使えないヤツ、つまらないヤツと思われて、嫌われ孤立することが、怖くてしょうがなかったです。

 

だから、高校時代に勉強を頑張ったように、大学に入ればアルバイトや研究を、社会人になると仕事を、人並み以上に頑張りました。

人と一緒に何かをするのは苦手でしたが、自分一人でする作業は得意でした。
要領はよくないけれど、とにかく粘り強くかじりついて努力することで、周りよりも成果をあげられることも多かったし、指示されたこと、依頼されたことは徹夜してでも、休日を潰してでも応えてきました。
だから教授や上司など上の立場の人からの評判もいいことが多かったです。

周囲から高い評価を得ることで、必死に自分の居場所を作っていました。


ただ、仕事をしていて、ある程度の年数が経つと、自分がチームをとりまとめる立場に立たされるようになります。

これまでは、指示されたことを言われたとおりにやり遂げればよくて、いわば受け身の姿勢でも許されたのが、今度は自分で考えて判断し、人を引っ張っていかないといけません。

こうなると、もうどうしていいか分かりませんでした。

自分の意見がないから、チームのメンバーがそれぞれに意見を主張すると、誰に従えばよいか分からずパニックになっていました。

何か発言しようにも、とにかく自信がなくて、場違いな発言だったらどうしよう、
バカなやつと思われたらどうしよう、という気持ちがあっていつもビクビクしていました。

結局、場の雰囲気に流されるように仕事をすすめ、気付けばどんどんスケジュールも遅れていきます。

それを見かねて、先輩がぼくの存在を無視するようにプロジェクトを回していくようになると、まるで失格の烙印を押されたかのようでした。

他の人よりも仕事ができることで存在価値をつくってきた自分には、自分の存在を否定されたのと同じでした。
自分が世界から必要とされてないような気持ちになり、どん底まで落ち込んで、病院にもかかりました。


色々な本を読んで、自分の生きづらさの原因は愛着障害にあることは分かっていました。

何事にも自信がもてず、自分を好きになれない。
人と深く温かい関係をもちたいと願っているのに、それを得られない。
そんな自分を変えたい、とずっと思い続けていました。


そのために、できることはなんでもやりました。

認知行動療法を自分なりに実践してみたり、カウンセリングを受けてみたり。
でもどれも一時的に気分はよくなっても、すぐに元通りで、自分には効果がありませんでした。

宗教活動にも熱心に取り組みました。

信仰については、小さい頃から大人になるまで、疑ったり、信じたりを繰り返していたけど、やはり心のどこかで、この宗教を信じ、組織の活動をがんばれば、自分の願いは叶うし、幸せになれると信じていました。

毎日、仏壇の前で祈ること。
集会への参加。
集会所の警備。
勧誘活動。
選挙活動の支援。

小さい頃は祈るだけでよかったけど、
大人になると、やらなければいけないことはどんどん増えていきます。

言われるままに、これらを全部、真剣にやってみました。

辛いことの方が多いです。

仕事が終わったあとや休日の貴重な自由な時間を失います。
友人を勧誘すればほとんど嫌な顔をされ、関係が壊れることもあります。心は傷つくし、とても悲しくて耐えられない苦痛でした。自分がいくら友人を失おうが、組織の人からはいい挑戦ができた、と言われるだけ。これには自分がいいように使われているような気がしたけど、必死に気持ちを押し殺しました。

そこまでしても我慢してやったのは、もっと自分に自信をもちたい、自分を好きになりたい、っていう自分の願いがやがては叶うと信じたからです。

でも結局、いくら頑張って努力しても、自分に自信はもてないままだし、幸せを感じられるようにはなりませんでした。


もう自分にできることはすべてやった。
これ以上は何をすればよいのか分からないし、誰に相談したらよいのかも分からない。

途方に暮れているなかで、偶然に竹田さんのブログを見つけました。


その時の衝撃は今でもはっきりと覚えています。

愛着障害、ギフテッドの記事を読むと自分のことが書かれているみたいでした。

なんでこんなにぼくの気持ちが分かるんだろう。
自分と同じ感覚をもった人が存在していることに救われるような気持ちになりました。

来る日も来る日も夢中で記事を読み、一通り読んだあと、自分の問題を治せるとしたら、この人しかいない、と思いました。

それで、自分一人でなんとかしようとしたり、宗教の力を信じたりすることに見切りをつけ、竹田さんのカウンセリングを受けることを決めました。

医師になりたいと思いなおして仕事をしながら勉強を続け、大学の合格が決まった直後のことです。

 

ただ本当に治るんだろうか、という気持ちもありました。

これまで、セルフトレーニング、他の人のカウンセリングの受診、宗教、色々なことで自分を変えようとしてもダメだったからです。

竹田さんでさえも治すことができなかったら、いよいよ打つ手がない、どうしよう、と不安でした。


カウンセリングでは毎回、そのときに心で浮かんだことを話します。

はじめのころ、ぼくの話には、自分の感情や気持ちが全然入っておらず、起きた事実や他の人のことを説明してばっかりでした。
それが自分のクセになっていることも知りませんでした。

竹田さんに、

「そのときどう思ったの?」
「その人のことをどう思ってるの?」

と自分自身の気持ちを聞かれるたびに言葉に詰まって、改めて、自分が何を思っていたのか、何を感じていたのかを考えることを繰り返していました。


これまでずっと自分の思いとか感情にフタをして生きてきたからだと思います。

というより、そもそも抑えつけていることすら無意識で、自分で自分のことを感情のない、冷淡でつまらない人間だと思ってきました。

実際、ロボットみたいと人に言われたこともありました。


宗教の影響も大きいと思います。

謙虚でいるべき、
調子にのってはいけない、
自慢してはいけない、

そういうメッセージを受け取り続けてきたから、職場で高く評価されたり、テストでいい点数をとったり、っていうような嬉しい出来事があったとしても、

こんなものじゃダメだ、もっとがんばらないと。
まだまだ大したことない。
油断しないようにしよう。

と、それに浸ることもなく、喜びを誰に伝えることもなく生きてきました。


竹田さんと一緒に、自分の気持ちを探していると、

あのとき、本当は凄まじい怒りを抱えてた、とても悲しかった、悔しかった、っていうように、本当は自分がいろんなことを感じ、思っていることがわかってきます。

自分にもちゃんと感情があったんだ、っていうのは、ぼくにとっては、すごく嬉しい大発見でした。
自分がちゃんと人間であることが証明されたような気持ちになりました。


竹田さんはぼくが話したことに、一緒になって喜び、悔しがり、怒ってくれます。
自分以上に感情を動かしてくれることの方が多かったです。笑

自分の気持ちや感情をきちんと言葉にして伝える。
それを真剣に受け止めてもらう。

こうしたやりとりを通してぼくは、
「こう感じていいんだ。」
「こう思ってもいいんだ。」
というように、自分の感覚を信じれるようになっていきました。


時には、感情があふれて泣くこともありました。
これまでの人生では、無関心で冷静でロボットみたいと言われたこともあるのに、です。

人に傷つけられたとき。
悔しかったとき。
反対に嬉しいことがあったときも。

今までの人生で、人前で、親の前でも泣くことなんてほとんどなかったのに、竹田さんの前では、よく泣いていました。


竹田さんと話すたびに、自分に感情が戻っていくみたいでした。

辛かったことは軽くなり、嬉しかったことは何倍にも膨れ上がって、毎回のカウンセリングを終えると、いつも味わったことないほど、心が明るく、前向きな気持ちになれました。

こんな気持ちになれたことは、今までどんなに熱心に宗教の活動をしていたときでも一度もなかったです。


これまでは自分の内面を人に見せることがなかったから、自分の感じたこととか思うことが、人からみたらおかしいんじゃないか、変なんじゃないか、といつも不安に感じていました。

本心を人に知られたら、ヤバいヤツだと思われてしまうかもしれない。

なんとしてでも知られたくないから、胸の内を探られるのもイヤだったし、人と深いコミュニケーションをしたいと思ってはいても、建前だけで会話している方がラクでした。

自分が、カウンセラーの竹田さんでさえ引くような汚い存在だったらどうしよう、、、
そう感じていました。

でも、おそるおそる心の中を打ち明けると、竹田さんからの大袈裟なリアクションは全然なくて、むしろ拍子抜けするようなこともありました。

「そう思って当たり前。」
「私なんかもっとひどかったよ。」
「うちのクライエントさんはみんなそうだよ。」

っていう言葉に何度も救われました。

自分の感覚は異常じゃないんだ。
人に隠さなくていいんだ。

そう感じれるようになると、人と接するときの緊張がほどけていきました。


普通の人には理解されないようなことも、竹田さんになら全部伝わる。
それは不思議な感覚でした。

自意識過剰からくる傷つきやすさとか、人を見返してやりたい、っていう反骨心とか、
人から頼られる苦しさ、辛さ、それに自分のなかに秘めていた熱も。

こんなに、考えること、感じることがちゃんと伝わる、理解してもらえていると感じるのは、これまで生きてきて本当にはじめてでした。


カウンセリングを始めるまで、小さい頃、いい子で優等生だったことは、自分を偽って周りをだましてきたように思っていました。

医学部に入りなおしたことの動機の一つに、人を見返したい思いがあったのも不純だと思っていました。

自分は心が汚いんだ、そう思っていました。

でも竹田さんは、ぼくが話すこうしたエピソードに、自分とはまったく違う見方を示してくれて、逆にそこから、ぼくのいいところ、すごいところを見つけだして、沢山褒めてくれました。


はじめは本当に?っていう気持ちで、信じられなかったです。

でも、竹田さんは全部のエピソードをちゃんと覚えていてくれて、ことあるごとに自分の頑張りや苦しんだ人生で得てきたものを思い出させてくれます。

そのときそのときで、自分が精一杯生きてきたことを本当に実感したとき、涙があふれました。

自分がいじらしくて愛おしい、、、そんなふうに自分自身を好意をもって見てあげられるのは、暗闇に一気に光が差すような何十年も味わったことのない気持ちでした。


両親のこと、家族については、はじめはあまり話すべきことがないように感じていました。

衣食住に困ったことはなかったし、両親は周囲からもいい人だと言われていました。
ぼく自身も育ててくれた恩のようなものを感じていたし、将来的には仕送りをしたり、面倒をみたり、そうしたことをしないといけないとも感じていました。

ただ、竹田さんと一緒に当時の自分の気持ちを改めて感じてみると、沢山の不満ややるせない気持ちが湧いてきました。

小さい頃からしていた宗教では、親には感謝すべき、親孝行すべき、と教えられていたから、親に対するネガティブな感情はもってはいけないものと思っていたし、自分でも強く抑えつけていたのだと思います。


ぼくの家は、両親、母方の祖父母、兄、弟、自分で生活していました。

父親は、基本的に仕事をするだけで、家事、育児にはほとんど干渉しませんでした。
こどもに積極的に声をかけたり遊んだりすることもありませんでした。

母親は専業主婦でしたが、とにかく宗教の活動に熱心、、、というよりもそれが生活の中心でした。
毎日のように集会やその準備があり、夜に家を空けることも頻繁にありました。
だいたい21時を過ぎたころに家に返ってきて、晩ごはんを食べると、誰よりも早く眠ってしまいました。
いつも忙しそうで、家事・育児はかなりの部分を祖母に頼っていて、祖母がいなかったら家はまわらなかったと思います。

こどもに宗教を教育しようとする気持ちも強くて、例えば、祈ることや集会に参加することを拒否したりすれば、とたんに不機嫌になって口をきいてくれなくなり、それが怖かったです。

ぼくと両親の間での会話はとても少なかったと思います。
「学校は楽しかった?」などの声をかけられた記憶もほとんどありません。


高校生のとき、大学の合格が決定後、入学手続きの書類を送付するのを忘れていたのに
気付いたことがありました。
分かったときには、もう提出期限が切れていて、顔面蒼白、もうパニック状態です。
高校時代の3年間のすべてを勉強に費やしてやっとの思いで得た合格なのに、それが、なかったことになるかもしれない。

泣き出しそうになりながら、寝ていた母親を起こすと、
母親は、明日、大学に聞けばいい、といって、また寝てしまいました。

結局、手続きはできましたが、それよりも、ぼくの人生がかかった重大な出来事なのに、
自分の焦りや緊迫した思いをまったく理解してもらえなかった。
一人で放り出されたような気持ちになり、とても悲しくてショックでした。


母が、ぼくがいい高校、大学に進学したこと、いい会社に入ったことを色々な人に自慢するのも、とても嫌でした。
自分の努力の成果を横取りされているような気持ちになったし、自分が見せ物になった気分でした。


そんな母親はよくぼくを頼ってきました。

弟が勉強に困っているから教えてやってほしいと、当時、一人暮らしをしていたぼくに頻繁に電話をかけてきたり、
弟の心が不安定になり親子関係が険悪になると、兄の立場から何か言ってやってほしいとか。
社会人になると、お金を貸してくれと頼まれました。
兄はすでに家庭をもっているから、独身のぼくと弟で比率は2:1。
かなりの額で、そのうえ、すでに両親とも高齢で、返済のプランなど何もありません。

父親に相談すると、父は父で、ぼくの方から母親を説得するように頼んできました。


信仰していた宗教では、祈り、組織の活動に熱心に励めば、願いは叶うし、幸せになれるとされています。

母親が、家族の幸せを祈っていることも知っています。
でも、現実をみれば、こどもの気持ちには無頓着で、困りごとは丸投げして、母自身は祈っているだけです。

こどもに対してサポートも愛情も与えていないのに、祈り、組織の活動に励むことで、何かを与えた気になっている母が嫌でした。

兄弟のなかでも、自分が一番、我慢を強いられていたと感じます。
ぼくが高校生のとき、浪人をしていた兄が毎日のように母親と喧嘩をしていたことがありました。
それが兄の反抗期なのか、勉強のストレスかは分かりません。
高校生のとても苦しかった時期に、学校では神経をつかって疲れて帰ってきて、
そのうえ、家では二人の怒鳴り声を毎日のように聞かないといけなかった。
学校も地獄、家も地獄で、このときは自分が落ち着ける場所がどこにもありませんでした。

弟は弟で、親にも言いたいことをいい、家ではとても自由に振る舞っていたように思います。兄も弟も、思ったことを好き放題に言えていいなと思っていました。兄弟のなかで自分が一番、親に負担をかけていないにもかかわらず、一番頼られるのはいつも自分でした。


ぼくは大人になっても、そんな親を好きになろう、好きになろうと努力するところ
がありました。

「親孝行すべき」との宗教の教えの影響が大きかったと思います。

でも竹田さんは
「そんな親のことを好きじゃないといけないの?」
「虐待を受けた人も親孝行しないといけないの?」
と自分の人生をとおして話してくれました。

親から沢山の愛情を受けて、自然と感謝の気持ちが湧くならいい。
でも、そうでないなら、親だからといって無理に好きになる必要もないことを知り、すごく心がラクになりました。


カウンセリングが進んでしばらくすると、自分の気持ちを外に出していきたい、表現していきたい気持ちがどんどん強くなっていきました。

これまで、人に怯えて、人との関わりを避けるように生きてきた自分がウソみたいでした。

これまでは時間をやりすごすだけだった、職場での上司との面談も、日頃思っていること、感じていることを伝えてみたり、会議の場でも、分からないことは分からないとか、こうした方がいいと思う、とか率直な思いを口にできることが増えていきました。

会社を辞めるときは、お世話になった先輩に、「これからも仲良くしてください。」って、
これまでは恥ずかしくて言えなかったような胸の内をちゃんと伝えることができました。

大学に入って、新しい人間関係に囲まれると、人に話しかけたくてしょうがなくて、自分からいろんな人に声をかけて、その反応に一喜一憂していました。

竹田さんは、自分では見逃してしまうような心の成長を注意深くみつけてくれます。

そのたびに2人で一緒に成長を喜び合いました。


竹田さんに、一人で生きてきたんだね、と言われたとき、はじめは、その意味がよく分かりませんでした。
でも、一緒に自分の人生を振り返ってみれば、自分の心を打ち明ける相手もおらず、親はサポートよりも困りごとを押し付けてきた。

そう考えると、たしかに自分はいつも一人で、そのことを実感したとき、生まれて初めて「よくがんばってきたね。」って自分に言ってあげたい気持ちになりました。


自分に愛情を感じられるようになったくらいから、自分を武装して守ろうとする緊張がとれていったように思います。

これまでは自分の「今」はいつも将来に備えるためにありました。

勉強したり、自分のダメなところを治そうとしてみたり、やるべきこと、すべきことでいっぱいで余裕なんて一つもありません。
本を読んでも、映画をみても、楽しむより、それが役に立つか、どう自分の人生に活かすかばかりを気にしていました。

生きていくためには、人よりも優れていないといけなくて、そのために、生活のムダな時間をできるだけなくして、自分を向上させる努力にあてるよう意識していました。

自分を作り変えなくていい。
そのままの自分でいい。

そういう感覚がもてるようになると、いつも心にあった焦燥感がウソのように消えていきました。

すると、日常生活のなかに心の余裕ができて、自分の内側から湧いてくる、興味のあること、ワクワクすることに時間を使えるようになりました。

絵を描いてみたり、海外ドラマを何本もたてつづけにみたり、舞台を観に行ったり、流行りのゲームにのめりこんでみたり。

全部、これまでは自分の人生に必要ない、役に立たないと思って避けていたものばかりです。

大人になってから、今さらのように、こんなに面白いものがあったのか!っていう発見も沢山ありました。

色んなことを試しては、楽しかった、とか、思ったよりつまらなかった、とか、こどもがお母さんに話すみたいに竹田さんに報告していました。

こんなにのびのびとした自由な気持ちを感じたのは生まれて初めてのことでした。

生活を楽しんでいると、人と共有できる話題も増えて、人とのコミュニケーションもラクに、楽しくなっていきました。


ただ、カウンセリングをはじめて1年が過ぎたあたりから、元気になってきた自分に色々と問題が出てきました。

自分のことを知ってほしいし、相手のことを知りたい、っていう気持ちが強くなって、コミュニケーションの機会もどんどん増えていくなかで、人の反応が少しでも悪いと、とても大きなショックを受けました。

連絡の返信が遅かった。
声をかけたのに素っ気なかった。
2人でいるときに気まずそうに見えた。

こうしたささいなことを大袈裟にとらえ、ひどく傷つき、寝込んでしまうほどに落ちこみました。
あるとき、単に傷つくだけではなくて、そこからどんどん悪い方向へ落ち込んでいきました。

自分はやっぱり人から嫌われる存在なんだ。
これまで竹田さんにおだてられてきただけなんじゃないか。
カウンセリングを始めてから結局、何も変わっていないんじゃないか。

そうやって、一人で妄想を膨らませていきました。

このとき、傷ついてショックで悲しいとか、カウンセリングの効果がちゃんと出ているのか不安だ、とか、思ったことを竹田さんにすべて吐き出せたならよかったけど、ぼくは素直に甘えることができませんでした。

話すチャンスはいくらでもあるのに、肝心なことを話さないから不満がくすぶって、カウンセリングを終えたあともこれまでのように気持ちが晴れることもなく、次第にカウンセリング自体を疑うようになっていきました。
竹田さんにも、感謝どころか怒りを抱えるようになりました。


竹田さんを疑い始めたこの時期が、一番大変な時期でした。

竹田さんとのこれまでの時間が全部ウソに感じ、自分がまたダメなろくでもない存在に思えてきて、絶望した気持ちになりました。

自分で自分を信じられなくなると、日常生活はみるみる暗いものになって、ぼくはまた自分の殻に閉じこもりました。
当時のぼくは誰も寄せ付けない空気を発していたと思います。

この間、竹田さんはいつも、本当の気持ちを話すように言ってくれました。
カウンセリングに対する不信でも私に対する不満でもなんでもいいから、とにかく思っていることをなんでも伝えてほしいと。
今思うと、暴れるこどもを抱きかかえるようだったと思います。

それでも本当の思いを口にせず、いじけて、八つ当たりを続けるぼくはずいぶんと竹田さんを困らせたと思います。

あるときは、これまでのカウンセリングを全部否定する言葉も口にしました。

あとでなんてひどいことを言ったのかと反省するのですが、普通ならぼくは見捨てられていたと思います。

何ヶ月も、その状態が続きました。
ぼく自身、もうダメかもしれないと思うときもありました。

それでも竹田さんは諦めないでくれました。

いつだって、ぼくをなだめすかすでもなく、真剣にぶつかってくれました。
言うべきことを言い続けてくれたし、これまでのカウンセリングを振り返って、できるようになったこと、成長の証を沢山示してくれました。

当時は受け入れられなかったことも、今となれば、あのとき言われたことが全部正しかったことがわかります。

あのとき、竹田さんが諦めないでくれたから、カウンセリングを信じる気持ちを取り戻すことができたし、ついには自分の気持ちを全部打ち明けて、また一緒に回復にむけて進んでいくことができました。


あるときは、自分なんて、と卑屈になるぼくに、「そんなに魅力があるのに」とぼくのために泣いてくれました。

こういう竹田さんからの愛情があったから、

自分は自分でいい、
人に優れることより自分の個性を大事にしよう、

って思えるようになったんだと思います。


カウンセリングも終盤に近付くと、心ものびのびとして、ずっと行きたかった場所に一人旅をしてみたり、会ってみたかった人に連絡してあってみたり、興味のもったことにどんどん挑戦しました。

自分の気持ちや感情を感じとって、しなければいけないこと、じゃなくて、したいことをする。
自分の人生にとって重要じゃないことの手を抜くこと、自分を楽しませることも上手になってきたと思います。


友人とのコミュニケーションもどんどん楽しく、ラクになっていきました。

これまでは会話していても、何を言ったら正解か、を探していたけど、今は、自分が何を思ったか、感じたか、を口にできるようになったし、嬉しいことは嬉しいと、イヤなことはイヤだとちゃんと自分の気持ちを伝えられるようになりました。

あれだけ心の中を知られるのが怖かったのに、今では、建前よりも本音で話した方がずっと楽しいよね、って思えます。

孤独から逃れるために嫌いな人とガマンして付き合うのではなく、好きな人と距離を縮めていけるようにもなりました。

すると、あれほど人との間に感じていた壁も感じなくなってきました。

人にきちんと自分の思いや感情を伝えられるから、人とつながることができる。
このことを実感して、これまでいくらがんばっても人と仲良くなれなかった理由がわかった気がしました。

今はリラックスして人と付き合えるし、好きだと思えて、相談もできる友人に囲まれています。


恋愛もありましたが、ただ、これはちょっと苦い思い出です。

はじめは楽しかったけど、人との距離感が近くなると、ついつい自分を曲げて、相手の期待に応えようとしてしまいます。

竹田さんはぼくのことを大切に思ってくれているからこそ、ぼく自身が自分を大切にできていないときには厳しかったです。

自分の気持ちにウソをつかず、相手と同じくらい、自分も大切にすること。
このことは一生、練習し続けていかないといけません。


ぼくにとって宗教は、問題から目を背ける役割しか果たしていなかったな、と思います。

自分を好きになりたい。
自信をもちたい。
人と深くて親密なコミュニケーションがとりたい。

こういう願いを叶えるためにすべきことは、祈ることでもなく、人に勧誘を行うことでもありませんでした。

自分にとって宗教は、幸せになるよりも、自分を縛るものだったと思います。
道徳によって心の自由を制限され、多くの活動にも膨大な時間と労力を費やしてきました。

30年以上のその成果として、幸せを感じることもできず、いったい何を得たんだろう。

心の何処かでまだ信じていたい気持ちもありました。

でも何よりも、宗教に費やしたのよりずっと少ない時間での竹田さんとのカウンセリングをとおして、これまで生きてきて一度も感じたことがないくらい、心が晴れて明るくなった。
幸せを感じられるようになったし、毎日を気持ちよく過ごせるようになった。

宗教そのものが悪いわけではないけど、自分にはマイナスだったと思います。


なんで回復できたんだと聞かれれば、竹田さんだからできたんだとしか言えません。

竹田さんになら、自分の人生で苦しんできたこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、全部理解してもらえた。いつだって、そのときそのときで一番必要としている言葉をかけてもらえた。

それは同じように心の問題に苦しんできたからできたのではなくて、ぼくのことをいつも真剣に考え、なんとしてでも幸せにしようと、膨大なエネルギーを注いでくれたからできたことだと思います。

話していてそれが感じられるから、ぼくは回復しようという気持ちを持ち続けることができたし、竹田さんを信じて言葉を素直に聞くことができました。

 

これまでの人生でガチガチに凝り固まった常識を壊すこと。
暗かった人生に光を照らすこと。
日常生活に感情をとりもどすこと。

ぼくはそれをするのに竹田さんと一緒に乗り越えてきた3年間がどうしても必要でした。

竹田さんの、なんとしてでも回復させようとする情熱、気概、執念がなかったら、
ぼくはきっと今でも不安な思いを抱えながら、人に怯えながら生きていたと思います。

成功することはあっても、幸せを感じることはできなかったと思います。


カウンセリングでのやりとりをメモしたノートは
全部で10冊になりました。

これはぼくの宝物です。

少し読み返してみるだけでも、なんて濃密な3年間だったんだろう、と思います。

竹田さんは、ぼくの心の誰よりも近いところで人生を伴走してくれた。
見守ってくれているから、色々なことに挑戦できた。
生まれてはじめて、いい子でも優等生でもなく、こどもでいられた。

これからも、きっと何度も読み返し、竹田さんならこう言ってくれるだろうな、
喜んでくれるんだろうな、一緒に悔しがってくれるだろうな、っていうふうに想像しながら
また元気をもらうんだと思います。


ずっと長い間、自分を悩ませていた問題が解決してしまった。
ちょっと信じられないような気持ちです。

今、やっとスタートラインに立てました。
ブレーキがかかったまま、アクセルを踏んでいたのが、竹田さんがブレーキを壊してくれて、やっとぐいぐいと前に進んでいけるようになった、そんな気分です。

今、昔の自分では想像がつかないくらい、心がパーっと晴れていて、将来が明るく見えます。

我慢の多かった、一人で生きてきた人生だから、青春時代にやりきれなかった積み残しがまだまだあって笑
これからは人とつながって、たくさん楽しいことをして、助けあいながら、笑いあいながら生きていきたいです。

そして医師になったら、ずっと心の問題に苦しんできた自分だからこそ、患者さんの心に寄り添える人間でいたいと思っています。


人生に絶望しながら、それでもめげずに必死に生きてきた自分にありがとうと言いたい。

そして竹田さんに心からの感謝を伝えたいです。


本当なら、まだ卒業したくないんです。
これまでみたいに竹田さんがいつも側にいてくれたらどんなに心強いだろうと思う。
ただ、今はひとり立ちすべきときとのことなので、いったん卒業します。笑

この世界に自分のことを本当に理解してくれている人がいる。
いざとなったら頼れる人がいる。
そう思えることを力にして、これまでに一緒にやってきた経験、信頼できる友人、自分を頼りながら、生きてみます。
それでもまた困ったら、また相談にのってください!


何度言っても言い足りませんが、竹田さんには感謝の思いでいっぱいです。
3年間、ぼくを育ててくれて、本当にありがとうございました!


長文を読んでいただき、ありがとうございました。

この体験談が、誰かの一歩を踏み出すきっかけになれたら、とても幸せです。

自分と同じように、ずっと一人で苦しみを抱えるしかなかった方が、竹田さんと出会い、元気になること、自分の人生のすべてを肯定して心から笑える日がくることを願っています。