逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

触れる言葉によって自分はつくられる

 

人は本当に環境に作られていくんだなと思うんです。

 

 

 

オーストラリアのアボリジニには
左右の概念が無いそうです。

 

位置や方向などは全て
方角で考えられている。

 

「どこにいくの?」
という問いかけに対して
「北北東に」と即座に答えられる。

 

すごいですよね。

 

普段私たちは
方角を意識していないので方角は分かりません。

 


アボリジニは
つねに方角を問われることで意識をする習慣がつき
方角を把握できるようになったんですね。

 

 

 

同一人物の顔写真があるとします。
0歳、5歳、13歳、20歳、40歳、60歳
それを年齢の変化に合わせて並べるように言われたら
どのように並べるでしょうか。

 

左から右に並べるのではないでしょうか。
時間経過を自分にとって左から右に並べるのが多数派ですよね。

 


アボリジニは
自分がどこにいようと東から西に並べます。

 

だから自分が居る場所によっては
奥から手前に並べることもあります。

 


自分から見て左右という概念
手前や奥という概念を持つ私たちにとっては
何だか気持ちが悪い感じがしますね。

 

 

アボリジニは
左右などの概念を持たない代わりに
物事の捉え方を自己中心的では無く
東西南北という万国共通の感覚で捉えることが出来る。

 

実は私たちよりも広い視点を持っているんですね。

 

 

 

ドイツ語を話す人、スペイン語を話す人
それぞれに同じ橋を見て感想を言ってもらうと

 

ドイツ語を話す人の場合
「美しい」とか「優雅」といった女性的な言葉を使う傾向があり

 

スペイン語を話す人の場合
「力強い」「大きい」といった男性的な言葉を使う傾向があるそうです。

 

 


何故これほどまでに違いが見られるのでしょうね。

 

 


多くの言葉には文法上の性があります。

 

ドイツ語では橋は女性名詞
スペイン語では橋は男性名詞になっています。

 

言葉によって印象まで変わってしまうなんて驚きですよね。

 

 

 

これらの話から分かるのは

 


毎日の習慣によって注意を向ける部分が変わり

得意とすることが変わる。

 

ある特定の概念を持たないことによって
広い視野を持つことが出来る。

 

使う言葉によって感性まで影響を受ける。

 


外の刺激や環境の影響がどれだけ大きいのだろうかと恐ろしくなりますね。

 

 

 

この話を聞いて私は考えました。

 


認知の歪みだとか
人格の障害だとか
個人のせいにされている困り事は

 

頻繁に接触する人物の言葉によって
作られたものなのだということです。

 

 


頻繁に接触する人物かつ
生まれて初めて濃厚に接触する人物である養育者の使う言葉に

強く影響を受けるのは当然です。

 

 

 

養育者がその子の良い部分ではなく失敗ばかりに目を向けて

 

「これが出来ていない」
「もっとこうしなさい」

 

というような言葉を発する傾向があれば

 


自分の悪い部分に注意を向ける習慣が出来
自分の悪い部分を発見することに長けていき
自分の良い部分を発見することは下手になっていきます。

 

良い部分と悪い部分のある全体としての自分を見られなくなりますね。

 

 

 

養育者が世間の基準が正しいことであり
そこからはみでることは間違っているという感覚を持っていれば

 

「ここが人とは違うから無能だ。直しなさい」
「人と違うなんて恥ずかしいことだ」

 

という言葉ばかりを子どもに投げかけるようになるでしょう。

 

 


当然、平均的ではない個性的な子どもは
このような言葉を養育者から頻繁に掛けられ
人とは違う部分にばかり注目するようになり
人とは違う部分がある人間は恥で無能であるという概念が植え付けられますね。

 

 

 

養育者がその子の外側の部分にしか注意を向けず
内面である心を無視すれば

 

「結果が全てだ」
「成績が良くなければ価値が無い」
「人から有能だと評価されなければ価値が無い」

 

という内容の言葉ばかりを投げかけるようになるでしょう。

 


当然、子どもも自分の外側の部分ばかりに注意を向け
人から良く見られること、結果が出やすいことばかりに尽力するようになり
自分の気持ちに目を向けることが出来なくなりますね。

 

 

 

これの恐ろしいことは

 

養育者から離れた後も
自分も養育者と同じような意味の言葉を気づかずに使ってしまうこと。

同じような意味の言葉を使う人同士が集まりやすいということ。

 

 

養育者と同じような言葉を使う人から

 

どんどん同じような言葉を浴び
また自分もそんな言葉を使うようになり
その言葉が性格を作っていく・・・

 


運良く
自分とは違う言葉を使う人と親しくなることが出来
違う言葉を沢山浴びることが出来れば
思考が変わり、発する言葉も変わり
性格も変わっていく・・・

 


私はこのようなことが起きていると思うんです。

 

 

 

こんなふうに言葉によって人の思考が作られることを思うと


自己啓発のために必死に自分を変えようと考え続けるよりも

 


なりたい自分になるために必要な言葉を頻繁に浴びること。

 

なりたい自分になるために不要な言葉を避けること。

 

今の自分に必要な言葉を集め、今の自分に不要な言葉を捨てること。

 


これが一番自分を変えることになるのではないでしょうか。

 

 

人は環境に作られる。

 

環境を変えるのはなかなか難しいですが

まずは簡単に変えられる触れる言葉から変えていきませんか。

 

 

 

 

 

 

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