逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

恵まれて見える者は本当に恵まれているのか

そろそろ寒い季節になると、外の猫たちが気になって仕方ない。


今の自分は猫を増やす余裕もないし、外猫の世話も責任もって出来ないので、なるべく考えないようにするしかないのだけど。

 

でもボランティアさんの頑張りのおかげで、ずいぶん野良猫が減って元野良猫の家猫も増えてきた。


よかったねぇ・・・と心から思うけれど、考えすぎる私は家猫になってから不幸になってしまった子もほんの少しはいるんじゃないかと想像してしまう。

 

 

外は過酷だ。


外敵は沢山居る。暑さも寒さもしのげる場所が見つからなければ地獄だ。食べるものを確保するのだって大変で、当然清潔さなんて保てないから細菌やウィルスだらけ、病気になってもそのまんま。


家猫であることが絶対的に幸せだ!

 

・・・なんてやっぱり思えない。

 


ほとんどの元野良猫の家猫は本当に良かったと思う。


でもほんの一握りのケースではもしかしたら外の方がましなこともあるのかもしれない。

 


例えば

ワンルーム一人暮らしの飼い主で、留守がちで、同居の猫もいない。

外を見られない、外を見て過ごせる場所がない。
キャットタワーのようなアスレチックみたいな遊びができる場所も無い。

飼い主は帰ってきても自分のことに精一杯、スマホばかり見ている、かまってくれない、遊んでくれない。

退屈すぎてストレスが溜まって沢山鳴けば怒られる、暴れれば怒られる、食べ過ぎれば止められる・・・

 


どんな気持ちなんだろう。


暑さ寒さで苦しむことも、外敵に襲われる恐怖に震えることも、飢えに苦しむことも無くなった。

でもこれほどまでに刺激を奪われたこんな生活は幸せだろうか?

ここまで退屈すぎるところで抑圧され飼い殺されるなら、厳しい外で自由に生きていったほうがましなんじゃないかと考えてしまう。

 


ワンルームで一人暮らしで忙しい猫飼いさんを非難してるんじゃない。

一緒にいる時に山ほど愛情注いで、撫でてかまって声かけて遊んであげてたら、十分刺激はあるし愛情も感じられるし猫はきっと外より絶対に幸せだもの。

 


何が言いたいのかというと・・・


私は人でも同じようなことがあるなと思っていて。

「外猫は不幸、家猫は幸せ」ほとんどはそれで正解だけど、そうじゃない少数は見過ごされてる。

 


私はつい野良猫と自分を重ねてしまう所がある。

 

19歳で養子先から逃げ出して、お金も無い、住む場所も無い、頼れる大人もいない、正しいコミュニケーションも知らない、社会に出て仕事をするスキルも無い、病院に行く方法すら知らないし保険証も無い・・・まるで野良猫のようだった。

 


lilcafeを開業して、機能不全の家庭で育ったクライエントさんに沢山お話を聞いてきた。

 


そこで私はどう思ったのかというと

「私はやっぱり誰より苦労してきた」・・・ではなかった。

 

この逆だった。

「この方はなんて苦しい思いをしてきたんだ」
「こんなに沢山の人が私とは違う苦しさを味わってきてる」
「私ばかり大変なんて勘違いだった」

 

こんなふうに感じたのだ。

 

そんなクライエントの方ほど「私はみゆさんほど苦労していない」と言う。

 


違う。
いや私も苦労はしてきたけれど


身体的虐待や性的虐待やネグレクト、罵声を浴びせられたり・・・「私は虐待にあった」「私は苦労をしてきた」と思える分、楽な部分もあった。

 


私とは逆に見える方がどれだけ苦しいかと思うのは、外から見ると「お金持ちの家の子ども」「立派な両親」「豊かな教育を与えられている」「愛されている」と見えるせいで「恵まれていて苦労知らず」と思われてしまうことだ。

 

 

蓋を開けてみれば、過保護過干渉で自由が一切無く操り人形のようにされていたり、世話や教育はされていても愛情を持って接してもらっておらす空虚だったり、心の内に興味関心を全く持たれずに自分の感情が分からなくなっていたり、わかりづらい心の病を持つ親のケアをしていたり。

 

本当に苦しい思いをしてきているのに、自分ですら気づけない。


そしてこのように育ってくると心は元気を無くしてしまう。
どこにいっても何をやっても自分がいなくなってしまって刺激を感じられない。

 

 

たしかに私は、身一つで社会に放り出される苦しみや、食べるものもないくらいお金に困った恐怖、レールから外れてアウトサイダーになって未来は真っ暗闇だった絶望は死ぬほど苦しかった。
だけど自由だった。自分でいられる時間はあった。

 

苦労の大きさなんて比較しても出来るものではないけれど、少なくとも自由を奪われてきたクライエントの皆さんが私より苦労していないなんてことはないと思ってしまう。

 

このことをずっと世の中の人に伝えたかったのに、私の力不足で伝えられない。

 


本当に恵まれている人もいる。

だけど、恵まれて見えるその人が必ずしも苦労をしていないわけではない。

 

自由を奪われて自分を殺されて、自分なりに頑張っても抗っても無理で、長い人生が退屈で、心を病むことしかできなかったのかもしれない。

それを隠して頑張って社会に適応しても「恵まれているのに」と決めつけられて苦しみは絶対に理解されない。

 


この沢山の人による決めつけで、また苦しみは深くなって心を病んでいくしか出来なくなる。

 


だからね、その人自身だけは分かっていてほしい。
理解されづらい形の苦労をしてきた、理解されづらい形の努力を重ねてきたって。


今すぐ何かが変わるわけではないけど、苦しい思いをして努力をしてきて、それでも自分をダメだと見限ってしまったらもう、どうやっても苦しみから抜け出せなくから。

 

見えているものだけじゃ何もわからない。
みんなにわかってほしいし、私ももっともっとわかろうと思ってる。