逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

体験談⑨ クリエイター 30歳女性 Hさん

lilcafeを訪れたとき、私の心と体はしっちゃかめっちゃかでした。

転職先の仕事で少しずつ成果を重ね、次第にネットや新聞などで注目されるようになり、人前に出ることが急増。仕事も私生活も、慌ただしくなっていきました。

毎日充実していて、自分が有能で、大きな存在になっていくような感覚がありました。それを誇らしく思う一方で、注目が集まるほど、”間違えてはいけない”という気持ちが日に日に強くなっていきました。

ハキハキと話す、清廉潔白な人でいたい。少しのシミもない、立派な人間に見られたい。そう思っていました。

受け答えをひとつでも間違えて、批判されたらどうしよう。うっかりデリカシーのないことを言って、炎上したらどうしよう。

たった一度の失敗で大勢の人から非難され、これまで築いてきたものをすべて失ってしまう。人前に出る機会が増えるほど、そんな恐ろしい想像が膨らんでいきました。

少しでも批判されそうな部分は見せてはいけない。失敗しそうな自分も、みっともない自分も、すべて隠さなくてはならない。

人前に出ていないときまで、次第に理想の自分を演じるようになりました。

私の周りにいるのは、表舞台の自分を見て集まってきた人たちばかりになっていました。その人たちは今の私を何度も褒めてくれましたが、褒められるほど、その期待を裏切るのが恐ろしく感じます。

本当の自分を知られるのが怖い。少しでも間違えて、周りの人たちから見放されるのも怖い。華やかな場所にいながら、心の中には、いつもおどおどと怯えている自分がいました。

 

やがて、心と体に大きな変化が起きます。

仕事をしているときは、自分が世界の中心にいるような万能感。ところが仕事が終わり、一人で家にいると凄まじい不安に襲われるのです。まるで明日世界が終わるような恐怖感。

そんな変化が数日続いていると、夜に眠ろうとして目を閉じた時に、自分が死ぬイメージが浮かぶようになりました。それは凄まじくリアルな感覚で、心臓が飛び上がるような不快感で飛び起き、そのまま寝付けません。それが何日も続きました。

明らかに、何かがおかしい。次第に体にも不調が現れ、一時期は心療内科に通っていましたが、投薬と病院でのカウンセリングを続けても、回復しているという実感はなかなか得られません。一秒でも早く楽になりたい。その焦りから、もっと根本的に自分を変える方法を探し始めました。

そんなときに出会ったのが、lilcafeでした。

 

インターネットで近隣のカウンセリングを探しました。そこでピンときたのが、lilcafeでした。

特に強く惹かれたのが、ウェブサイトのQ&Aにあった【第一線で活躍しているがゆえに誰にも相談できない……】という項目です。

まさに自分のことだ!雷に撃たれたような衝撃でした。きっとこの人なら助けてくれる、もう楽になれる。そう思い、早々に申し込みました。

それまでにも何度かカウンセリングを受けたことはありましたが、みゆさんのカウンセリングは、私が想像していたものとはまったく違いました。

初回は、ものすごく緊張していました。みゆさんの斜向かいの椅子に座りながらも落ち着かず、ずっとそわそわしていたのを覚えています。

本当に、私を治せるんですか。信用して大丈夫ですか。口には出さなくても、相手を品定めするような目で見ていたと思います。

そこで、みゆさんから思いがけないことを言われました。
「今心に浮かんできたこと、一番上にありそうなことをお話してみてくださいね」

そんなことを言われたのは初めてでした。それまで私が受けてきたカウンセリングは、こちらの話を傾聴してもらうものがほとんどです。いきなり核心を差し出すように求められ、驚きました。

しどろもどろになりながら、それまで誰にも言えなかったことを、頭に浮かぶまま話したと思います。

最初に働いた会社で、壮絶なパワーハラスメントを受けたこと。
当時の職場で、アルバイトの人たちが騒ぐ声を聞くのが、とてつもなくつらかったこと。
実家がいつも騒がしく、自分には安心していられる居場所がないと感じていたこと。

最初は、まるで何も感じていないかのように、ただ記録を読み上げるように言葉を連ねていました。ですが、みゆさんは「そのとき、Hさんはどう感じたんだろうね」「そのことを今どう思う?」と、私の心に寄り添いながら問いかけてくれました。

その問いに答えようと、さらに細かく言葉にしていくうちに、当時感じていた不安や悲しみが、じわじわとせり上がってきました。

みゆさんの表情を見て、私の中にある感情を一緒に味わってくれているのだと感じました。

私は、こんなにもつらかったのか。自分の感情をしっかりと感じるとともに、”つらいと思っていい”と許されたような感覚があったことを覚えています。

そこから、みゆさんと一緒に、今感じていることや、過去に感じていたことを掘り起こす日々が始まりました。

それは決して楽しいことばかりではありません。自分が見たくなかったもの、知りたくなかったものを、次々と目の前に差し出されるような苦しさも伴いました。それまで誰にも言わず、ずっと蓋をしてきたのです。過去の出来事をもう一度追体験するような時間は、ものすごくつらいものでした。

なんでお金を払って、こんな目に遭わなくちゃいけないんだ。
そう思うことさえありました。それでも毎週足を運んでいたのは、一刻も早く楽になりたいという気持ちのほうが、ずっと強かったからです。

 

そうして過去を掘り起こしていくうちに、当時勤めていた会社の話に繋がりました。

自分が表舞台に立てるようになったのは、この会社に誘ってくれた代表のおかげだ。当時の私は、間違いなくそう思っていました。自分は、代表の右腕のような存在なのだとも感じていました。

そんな話をしたとき、みゆさんは疑問を感じた顔をしていたと思います。

「本当にそうかな。私はあなたはどの道に行っても成功した気がするよ。あなたが利用されてる気がする。恩はあっても嫌な気持ちはあっていいんだよ」

そんなことはない。なんてことを言うんだ。その瞬間、私はみゆさんを敵だと思いました。

けれども同時に、頭の片隅ではわかっていたこともありました。
会社や代表には恩を感じている。それなのに、ずっと拭えない気持ち悪さがある。よくしてもらっているはずなのに、距離を詰められるほど嫌悪感が強くなる。口には出せなくても、そんな感覚を以前から抱えていました。

lilcafeを訪れる少し前にも、引っかかる出来事がありました。

職場で周りの騒ぐ声に耐えられず、許可をもらい別の場所に移って作業に専念していました。ところが代表に突然呼び出され、「逃げている」と非難されました。

また、社内の人から叱責されたことも思い出しました。私個人というより、会社の仕組みに原因があった問題です。私は意味が分からず泣いてしまいました。そんな様子を見て代表は私をかばうことなく、笑ってその場をやり過ごしていました。

右腕だと思っている人に、こんな対応をするのだろうか。
その人は、本当に私のためを思って、何かをしてくれたことがあっただろうか。

心の中で、大きな何かが変わる音がしました。

でも、その変化に気づくのが怖かった。自分の見ていたものがおかしかったなんて、認めたくなかったのです。もし認めてしまったら、自分が信じて積み上げてきたものまで、すべて間違いだったことになるような気がしました。

心の底から認めるまでには、時間がかかりましたが、一度生まれた疑問を、もう見なかったことにはできません。

そんなみっともない葛藤も含めて、みゆさんはずっと私に寄り添って話を聞いてくれました。自分でもうまくつかめなかった本音を、ひとつずつ掬い上げてくれたのです。そして、目をそらしていた現実を、そのままの形で私に見せてくれました。

そうして私は少しずつ、自分が会社に縛られ、都合よく利用されていると感じていたことを認められるようになりました。

とても悲しかった。自分が見ていたものは、何もかも違っていたのだと思いました。

そのあとにやってきたのは、怒りです。どうして私は、こんな目に遭わなくてはいけなかったのか。あんな人の下にずっといたなんて、馬鹿馬鹿しい。

そう思ったら、何もかもが急に馬鹿らしくなりました。少しの休職期間を経て、勇気を出し、会社を辞めることを代表に伝えました。

すると、それまで親身に話を聞いていた態度から一転し、突然、業務的な対応になりました。やはり私の抱いていた違和感は間違っていなかったのだと、確信に近いものを感じました。それまでの親密さが嘘だったかのように、その後、相手から連絡が来ることは一度もありませんでした。

会社を辞めてフリーのクリエイターになりました。それまでは、自分なんかがフリーランスになったらまずい、怖い、本当にやっていけるのだろうかと思っていました。けれど、実際になってみれば、想像していたよりもずっと簡単でした。何より、強い解放感がありました。

私には一人でやっていく力がない。それもまた、長い時間をかけてかけられていた、呪いのひとつだったのだと思います。

 

仕事のことだけでなく、幼少期や大学時代のこと、もっと身近な友人関係まで、たくさんの出来事をみゆさんと一緒に見つめ直してきました。

まず、私の記憶に強く残っている出来事を話します。すると、みゆさんが「そのときは、どんな気持ちだった?」と尋ねてくれます。その問いをきっかけに曖昧だった記憶をさらにたどり、心の奥底にあった感情を探していきました。

みゆさんと一緒に当時の感情を探していくと、それまで自分が思っていたものとは違う気持ちが湧き上がってくることが何度もありました。

ときには、それまでの私にはなかった他の複数の視点を与えてくれることもありました。

もう一度過去を眺めてみる。同じ出来事のはずなのに、そこにはまるで違う景色が見えてきます。とても不思議な体験でした。

たとえば、中学・高校時代のことです。

私は学校に馴染めませんでした。学校に行こうとするとお腹を壊し、保健室で一日を過ごすことも度々。修学旅行にも、体調を崩して参加できませんでした。

話のできる友人はいたものの、心から打ち解けてはいません。いつも不機嫌で、心を閉ざしているような状態でした。人生の中でも大切なはずの時期を楽しめなかったことに、罪悪感とも嫌悪感ともつかない、重苦しいものを抱いていました。

でも、みゆさんは「それはそれまでの体験や環境で誰だってそうなる。Hさんの性格とかじゃない」と言ってくれたのです。原因は育ってきた環境にあったからです。

共働きの両親は二人とも自分のことで精いっぱいで、私の気持ちや感情を受け取る余裕がありませんでした。自分の話よりも両親の話を聞かされたり、1日のほとんどを見たくもないテレビを眺めていた記憶があります。自分の気持ちを言葉にしたくとも、話せる機会が日常的に持てずにいました。

中学・高校では、私自身がいじめられていたわけではないものの、自分が学校に馴染めていないことも、はっきりとわかっていました。

その不安や恐怖や不快感を誰にも言えないまま抱え込み、やがて体調を崩し、いつも不機嫌な状態になっていたのです。

「そんな状況の中でよく休まず学校に通ってた。周りに合わせようとしてた。すごい頑張りが伝わってこない?」

そう言われたとき、中学・高校時代を楽しめなかった自分に向けていた嫌悪感が、すっと薄くなりました。あの頃の自分を許してもいい、いや、よく頑張って通えてたと自分を誇らしく思う気持ちになったのです。

それからは、つらかったことだけでなく、中学・高校時代の楽しかった出来事も思い出せるようになりました。自分の中で汚点のように感じていた心のつかえが、いつの間にかなくなっていました。

このように、自分が捉えていたものとは違う側面や、それまで見落としていた事実が、いくつも浮かび上がってきました。ただ嫌な思い出だと思っていた出来事の中に、それだけではないものが見つかることもあります。反対に、あれほど大きく苦しいと思っていた出来事が、今の自分から見つめ直すと、ずいぶん小さなものに感じられることもありました。

両親のことも、彼らの家庭環境にも何か問題があったのだろうと理解し、過去の許せない出来事は忘れずにいつつも、人として好きな部分も見えるようになっています。

現在から子どもの頃にまで遡り、それぞれの時代にあった出来事を、ひとつずつ取りこぼさないように見ていく。みゆさんと一緒にその時間をたどり直すうちに、初めてlilcafeを訪れたときに抱えていた心の重さは、少しずつ形を変えていきました。

この頃には、傍から見れば、私はずいぶん元気になっていたと思います。仕事も順調で、最初に抱えていた激しい不安も和らいでいました。

けれど、それと入れ替わるように、今度は自分自身の欠点や、ものの考え方の癖が、はっきりと見えるようになりました。

悪い出来事ばかりを覚えていて、良かった事を忘れてしまうこと。
自分のことを棚に上げて人に厳しくなり、被害者意識に陥りやすいこと。
思い込みが強く、客観的な事実とは違う捉え方をしてしまうこと。

自分の欠点に気づくたびに、恥ずかしさと自己嫌悪に襲われました。

こんなにも直さなくてはいけないところがあるのか。
まだ先は、こんなにも長いのか。

それまで見えていなかった自分の姿が見えるたびに、本当に消えてしまいたくなりました。みゆさんが敵のように見えていたこともあります。

どうして、こんなに頑張っているのに認めてくれないの。

カウンセリングへ向かう足取りは重く、仮病を使って休もうかと思ったことさえありました。それでもみゆさんは、辛抱強く私を迎えてくれました。「つらい」「嫌だ」と弱音を吐く私に、今どんなことが起きているのかを冷静に伝え、決して手を離さず、一緒に歩き続けてくれたのです。

それが、どれほどうれしかったか。

駄々をこねる子どものような、みっともない自分。そんな私を見放さず、この先に成長することを信じて待ってくれた。そんな経験は、それまで一度もなかったように思います。

みゆさんが信じてくれたから、私も自分を諦めずにいられました。そして、自分の欠点から目をそらさず、ひとつずつ向き合えるようになったのです。

 

ゆっくり、ゆっくりと、さまざまな思考の癖が変わっていきました。

思考の棘が抜けるにつれ、みゆさんは”自分の中に親を作ること”を教えてくれました。

自分の気持ちに耳を傾け、その心に寄り添う。それと同時に、起きていることを客観的に見つめ、自分へ言葉をかける。自分の中にいる、もう一人の存在です。

ただ優しく慰めるだけでも、厳しく叱るだけでもありません。本当の親のように、自分の気持ちを受け止め、その気持ちを否定せずに正しい方向へ導いてくれる存在です。

それはまさに、みゆさんがこれまで私にしてくれたことでした。

それを自分自身でもできるようになるため、みゆさんに手伝ってもらいながら、少しずつ自分の中に”親”を育てていきました。

自分の中の”親”が形をつくるようになってから、周りで起きていることを以前より客観的に見られるようになりました。自分は何を感じたのか。相手はどう感じているのか。実際にどんなことが起きていたのか。物事を一つの方向から決めつけず、いろいろな角度から捉えられるようにもなりました。

不思議なことに、”親”が大きくなるにつれ、感情がさらに豊かになったようにも感じます。

それに伴い、私の生活にもさまざまな変化が起きました。

まず、仕事との向き合い方が変わりました。以前よりクライアントさんと親身に関わり、同じ方向を向いて、一緒にプロジェクトを作っていくような感覚を持てるようになりました。

友人関係にも変化がありました。大学時代から疎遠になっていた人や、かつては”この人とは合わない”と思っていた人と、何年もの時間を経て仲良くなることもありました。以前とは違う関係を築けたとき、自分が変わったことを実感できて嬉しくなりました。

そして、何より大きかったのは、好きな人ができたことです。
私はずっと、自分は人を好きになれないのだと思っていました。

それまでに二度ほど恋人がいたことがあります。でも、付き合ううちにトラブルがおきて精神的に激しく落ち込んでしまったり、最初から心が離れたまま関係を続けてしまったりして、その後は十年ほど恋人がいませんでした。

私はもう、死ぬまで一人だ。そう思ったことも、何度もあります。

それでも私は、誰かと生きることを、どうしても諦めたくありませんでした。心の調子がよくなるにつれて、自分自身を理解するだけでなく、誰かと理解し合いたいという気持ちも生まれてきました。

好きな人を作ろうと思ってからも、長い時間がかかりました。それでも少しずつ自分の心の声を聞き、感情に気づけるようになった先で、ようやく、心から「この人が好きだ」と思える人に出会いました。

これまでの恋愛とは、まったく違いました。

どちらか一方の思いが大きいのではなく、また恋愛に恋する状態でもなく、互いに欠けているところを補い合うような恋愛です。私は、これが自分にとっての初恋なのだと思っています。

ただ、それまで私は、誰かとこれほど近い距離で関わったことがありません。付き合い始めてからも、さまざまな困難がありました。

自分のよいところだけを見せようとしても、距離が近くなるほど、それは難しくなること。自分のことを棚に上げて、相手が悪いと非難したくなってしまうこと。
自分にはできるのに相手にはできないことを、受け入れられないこと。

そのたびに私は、胸の中にあるものを吐き出すように、みゆさんに話しました。みゆさんは私の気持ちを受け止めながら、ときには、それまでとは違う見方を示してくれました。

その言葉を持ち帰り、起きたことをもう一度捉え直す。そしてまた、次のカウンセリングで話す。
それはまるで、子どもが少しずつ成長しながら、人との関わり方を一から学んでいくような時間でした。

 

 

みゆさんはよく、カウンセリングを受けた方から「生まれ直した」と言われる、と話していました。今の私には、その意味がよくわかります。

lilcafeにくるまでは、私は一人で自分を育てようとしてきました。

家では、自分の気持ちや感情を伝えることができませんでした。行き場のない気持ちをどうにかする方法も、自分を楽にする方法も、教えてもらったことがありません。それでも、なんとか自分をよりよくしようと、一人でずっと頑張ってきたのです。

でも、一人きりで考え続けていれば、見方は少しずつ偏っていきます。事実とは違う捉え方をしたり、現実から離れた思い込みを作ったりすることもありました。

人前に出ることが増え、広く知られるようになり、誰にも本心を打ち明けられなくなってからは、それがますます強くなりました。

自分の中でぐつぐつと煮込まれ、もとの形がすっかりわからなくなった感情。その扱い方を知らない私は、どうすればいいのかわかりませんでした。

それが外にこぼれないように、さらに周りとの間に壁を作る。その内側で、感情はますます煮詰まっていく。そうして私は、自分を壊す一歩手前まで来てしまいました。

ぐちゃぐちゃになった私の感情を、みゆさんは一つひとつ丁寧に掬い上げてくれました。その形を整え、これは何なのか、どうしてこうなったのかを、私と一緒に眺めてくれたのです。

そして、問題が生まれた場所まで一緒に遡りました。
親との関係。友人との関係。自分自身との関係。そして、私の目に映っていた世界の姿。
絡まり合っていたものを一つずつほどき、これからを生きるための新しい視点を、いくつも与えてくれました。

私がlilcafeを訪れたのは、三十歳を過ぎてからです。それでも、大人の体の中には、子どもの頃に成長を止めたままの心がありました。

みゆさんと一緒に、その心の声にしっかり耳を傾け、もう一度育ててきたのだと思います。

生まれ直すというのは、それまでの自分を捨てて、まったく別の人間になることではありません。
育てられなかった自分を、誰かの手を借りながら、もう一度育て直すこと。

私にとっての『生まれ直し』は、きっとそういうことでした。

 

カウンセリングを始めて、五年と少しが経ちました。

仕事はさらに忙しくなりましたが、以前よりクライアントさんと心を近づけられています。そのおかげもあるのか、今では一年先まで仕事の予定が埋まっています。
以前は、人と話すときにはいつも緊張していました。けれど最近は、初めて会う人と話すときにも、心のどこかにのんびりと構えている自分がいます。
そして、初めて心から好きになった人とは結婚し、今は二人で楽しい日々を過ごしています。

lilcafeを訪れる前の私にこの話をしたら、目を丸くして驚くでしょう。それほど、私の生活は大きく変わりました。

もちろん、心の問題がすべてなくなったわけではありません。

結婚生活の中でも、トラブルが起きて混乱し、心が壊れてしまいそうになることがあります。仕事中に感情があふれ、自分でも抑えられなくなることもあります。

それでも、みゆさんが伝えてくれたこと。二人で一緒に築いてきたこと。これまで乗り越えてきた苦しさや、その中で身につけた力。
それらをすべて、これから先を歩いていくための自分の力にしたい。そう思えるようになり、このたびlilcafeを卒業することになりました。

こうして振り返ると、あのときlilcafeを見つけ、みゆさんに出会えた私は、本当に幸運だったと思います。
みゆさんでなければ、あの頃の私の心を、ここまで立て直すことはできませんでした。

猜疑心に満ち、心の底では怯えながら、誰かに牙をむいていた私。その私が、これほど豊かに感情を味わい、人と心を通わせられるようになりました。

みゆさんが愛情を込め、辛抱強く、一緒に歩んでくれたからこそ、今の私がいます。

この文章を書いているだけで、なんだか泣きそうです。

卒業できたことはうれしいはずなのに、今はとても寂しく感じます。

それでも、みゆさんから受け取ったすべてのものを、自分の中の力に変えて、これからも歩いていきたいと思います。そしていつか、私も自分なりの形で、受け取ったものを誰かに手渡していきたい。

だからこそ、私は元気に卒業します。

みゆさん、これまで本当にありがとうございました。
みゆさんと歩んだ日々は、これから私が生きていくうえでの、大きな財産です。