逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝49 部活で心を成長させた私

シノのグループを追い出され
オタクグループに紛れ込みいじめられ

 

それまで仲良くしていたシノ達に避けられ
男子達にも白い目で見られる。

 

 

同じクラスで自分が居たグループのみんなが
キラキラと楽しそうにしているのを見るのは本当につらかった。

 

自分はスクールカーストの一番下のグループでいじめられている状況で。

 


そんなつらい日々が三ヶ月くらい続いただろうか。

 


今の時間の体感ではかると3年ぐらいに感じるけど
すごく短い期間で天国と地獄を味わったんだな。

 

 

そんな中でも生き残る術を模索してた。

 

 

私は高校に入学してすぐにバレー部に入部した。

これもまた私の人生を大きく変えた選択だった。

 

 

シノのグループから出てから
同じクラスにいるバレー部のケイコとよく話をするようになった。

 


ケイコは控えめでおとなしい感じで目立つ存在では無いけど
いつも笑顔で優しくて性格が良くて
クラスみんなに愛されるような子だった。

 


バレー部での私は
シノに嫌われて卑屈になる前の元気な私のままでいられていて

 

「ヨシモト」とあだ名がつくくらい面白いキャラクターとして
同級生にも先輩にも好かれていた。

 


最初は
ケイコには仲良しのグループがあったし
バレー部でぎゃあぎゃあ騒いでいる私とは一線引いている感じだった。

 

 

部活では

中学時代バレーをやってた子と
高校からバレーを始めたけどスポーツ万能な子は最初から活躍する。

 

高校からバレーを始めたけどスポーツ苦手で下手くそな子は
どんなに練習したって試合に出られる気配も無くて

 

何となく基礎練習をしながらボール拾いや声出しで雰囲気作りをしながら
ただ楽しく過ごすみたいな感じだった。

 


だから下手くそな子達は仲良くなる。

 

ケイコも私もそこ。
他のクラスのアキやハルともそれで仲良くなった。

 


下手くそグループの子達は何故かみんな驚くほど性格が良かった。

 

下手でも明るくて一生懸命で
上手な子達の力になろうと奔走していて

 

控えめで謙虚なんだけど明るくて面白くて・・・っていう子ばかりで
私はみんなが大好きだった。

 


その中でもだんだんと小さなグループができてくる。
それでも全員仲良しのままだったけれど。

 

私はケイコとアキと3人組になった。

 


高校生活も半年になると、どの部活動も盛んになってきて

 

みんな自分のクラスの仲良しの子より
部活がおんなじ他のクラスの子達とも入り交じって

休み時間を過ごすような空気が出来上がってくる

 


私はクラスのはじっこで噂話や人の悪口をいっている
自分のグループの人を尻目に

 

休み時間にはケイコやアキ、他のバレー部の子と
盛り上がって過ごすことが増えてきた。

 


自分が大好きな人たちと盛り上がって過ごせる時間が幸せで
私はまた自信を取り戻し始めた。

 

知らないうちに
シノに見初められた時の私に戻ってきていた。

 

 

そんな私の姿は外から見ると全然違うのか

 

その頃から
シノやシノのグループの子達が普通に話してくれるようになった。

 

クラスの男子も最初の頃のように私に話しかけてくるようになった。

 

 

 

こうなってくると
私をいじめていたオタクグループの人の態度は変わり出す。

 

私を馬鹿にしなくなって私の機嫌をとるようになって
人前で私と仲の良いフリをするかのように馴れ馴れしくしてくるようになって
男子と話している私と絡んで男子と話そうとしたりする・・・

 

手のひら返しだ。

 


過去を振り返ると
これも私はどの年齢でもよく経験したことだ。

 

 

自分らしくいられていたり調子にのっていて楽しく過ごしていると
とんでもなく評価が高くなって人気者が寄ってくる

 

自分の心の闇が露呈して避けられるようになると
卑屈で自信がなくなってダメになって
疎まれ排除され軽蔑され馬鹿にされる

 

自信を取り戻して明るく元気になってくると
それまでのことが無かったかのように皆すり寄ってくる


これは未だによくわからない。
人はどうして恥ずかしげも無く手のひらを返せるのか。

 

あんな態度をとってゴメンと過ちを修正することも無く
仲良くしようとできるのか・・・

 

 

人のこんな態度も謎だったけど

本当は私のキャラクターの変化が大きすぎて
人をそうさせてしまうのかも知れない。

 

 

自信がある時の自分と
自信がなくなって卑屈になってしまった自分はもう別人になってしまうから

 

周りの人は私の扱いに困ったんだと思う。

 


だから私は
長く人と仲良くし続けることが出来なかったのだろう。

 

自信がある自分を好いてもらっても
必ず自信を無くして卑屈になって別人になる時がくるから。

 

 

自信を無くして卑屈になってしまうと
もう自分では抜け出せない。

 

転がるように性格が悪くなっていくのが分かるのに
それを止められない。

 

人目を気にして必死に顔色をうかがって
どれが人に嫌われない行動なのか必死に考えて
人にしがみつこうとして変な言動をとり続けるようになる。


これは心を完全に回復させるまで
私はこの後も何度も繰り返すことになる。

 

 


話を戻す。

 

元気になってきた私はオタクグループを出た。

 

どこのグループに所属することもなく
シノ達と話したり男子と話したり

 

バレー部の下手くそグループの子達とはしゃいだり
ケイコやアキとじっくり話したりしながら平和な時間を過ごすようになった。

 

 

バレー部での経験は私を大きく変えた。

私はここでどれだけ沢山のものを得ただろう。

 

 

スポーツをしている人たちの心に触れた。

大げさだけどスポーツをしていない人とは別の生き物に思えた。

 


高校まで仲良しだった子はバラエティ豊かだったけど
本気でスポーツに取り組むような子はいなかった。

 

オシャレで音楽に詳しくてセンスがある
面白くておしゃべりが上手い
勉強が出来て大人びていて皮肉屋・・・

 

こんな子が多かった。

 


本気でスポーツに取り組んでる人に
何とも言えない魅力を感じた。

 


まっすぐさ、裏表のなさ、小さな事にこだわらない大胆さ
何でも一生懸命取り組む姿
言葉じゃなくて行動で示すようなコミュニケーション

 

私が憧れる、自分もそうなりたい人格を備えているように見えた。

 


このバレー部の世界は本当に美しかった。

 


グループみんなで「試合に勝とう」と一つのことに取り組む
グループみんなで誰1人はみ出させずに仲良くする

 

それまでは

 

グループみんなで取り組んでも
誰かが邪魔をするし誰かが置いてけぼりになった

 

グループみんなで仲良くしても
誰かが浮いていたし誰かが誰かを排除していた


それが世の中の仕組みで仕方がないんだと思っていたから

集団の人が大嫌いだった。

 

 

 

でもここでは
バレーが上手い人が下手な人を見下すことも無く
誰もが発言権が平等だった。

 

うるさい子、おとなしい子、性格がキツい子、優しい子
ヤンキーやギャルみたいな子、真面目な子・・・


色んな個性があったけど、いさかいもあったけど

何かあればちゃんと向き合ってみんなで解決して

全員が全員を個性として認めて笑い合った。

 

 

それまで私はロクな大人に出会わなくて
偉そうなだけで尊敬できない目上の人が大嫌いだった。

 


でもバレー部の先輩は違った。

 

一番の人格者はバレーが下手な先輩だった。だけどみんな尊敬してた。
バレーが上手い先輩も威張らないし、人格者の先輩やマネージャーに感謝してた。

 

先輩達はどんな個性も受け入れて敬意をもって笑いに変えていった。

 

困った子が居ても、軽蔑すること無く排除すること無く
困っていることを冷静に伝えて、良いところを褒めるのも忘れなかった。

 

テンションが高くて風変わりな私のことも「変」と排除するんじゃなくて
「天才」「すごい面白い」と褒めてくれたし
私が良くない言動をとった時も冷静に話を聞いてくれて丁寧に教えてくれた。

 


人格者の先輩は
152センチ、155センチと小柄な2人だったんだけど
何だか大きいイメージしか残ってない。

 


直接話した時間はきっと合わせても数時間
一緒に過ごした時間も長くない

 

期間も3年生ですぐに引退してしまったから
たぶん半年くらいで長くない

 

それでも
今でも私の心の中に
バレー部の先輩の顔や声や動きがしっかりと残ってる。

 


人生で苦しい時期によく思い出すのはバレー部の合宿。

 

これほど素敵な人たちと長い時間一緒に過ごした思い出は
今も私の支えになっている。

 


部活自体は弱小チームだったけど
私にとっては最高のチームだった。


それまでの私の人生では
余裕がある人や心が成熟した人、心が健康な人と
関わるチャンスがほとんど無かったんだと思う。

 


親はあんな酷い人たちだし
同級生は中学生で子どもだったし
自分が関わった教師も残念な人ばかりだった。


バレー部は高2で辞めてしまうから本当に短い時間だったけど
生まれて初めて心が健康な人たちと密に関わって
尊敬できる人に優しくされて

 

私は大きく心を成長させたんだと思う。