逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

イジリあっていきたい

最近はクライエントさんにディスられる。

 

違うな。

 

いじられてる。

 

 

 

「竹田さんって得体が知れない」

 

「竹田さん宇宙人だと思う」

 

「竹田さんって謎が多すぎる」

 

「竹田さん変人、良い意味でね」

 


うん
愛情を感じてるの。

 


小さい頃に散々言われて

傷ついてきた言葉と変わらないのに

 

何でしょう。

 

言う相手が変わると全然気持ちが違うのね。

 

 

 

あれだけ変って言う言葉に敏感で
過剰に反応しては怒りに打ち震えていた私が

 

今やちょっとあったかい気持ちよ。

 

 

 

言う相手が好きか嫌いかなのかなと思ったけど
そればっかりでもないよね。

 

嫌いな相手に言われたら
そりゃもう絶対嫌な気持ちになるけど

 

好きな相手に言われても

 

嫌なことは嫌で
怒りは湧いてくると思う。

 

 

 

言う相手の側の気持ちの違いなのかな。

 


嫌悪、恐怖、軽蔑、嘲笑・・・

 

そんな感情を込めて言われてきたから

 

私は傷ついてきたのかも。

 


今は
畏怖の念、尊敬、感嘆、親しみ・・・

 

これを感じるから
変と言われたって何だか嬉しい気持ちになるのかも。

 

 

 

でもきっと一番の理由は
私自身の自尊心の違い。

 


私自身が
自分のことを馬鹿にしてたし
自分のことを恥じていたから

 

多分どんなに親しみや尊敬をもって言われても
馬鹿にされているとしか感じなかった。

 

 

 

イジリってそうだよね。

 


自尊心が傷ついている時にいじられたら

  

どんなに
「冗談なのに」
「愛情をもってイジったのに」って言われたって

 

それは受け入れられない。

 

イジリかいじめかの境界線はその辺にあるのかな。

 

 

 


だけど一方で

 

今やイジリは
完全に悪いことって風潮になってしまったことが

 

私は個人的にとても寂しい。

 

 

 

もちろんね

 

テレビとかでのイジリはもうダメかもって思う。

 

いくら2人の関係性でOKでも
イジリの言葉は2人だけでとどまらない。

 

言われた人と同じコンプレックスがある人に向けても
放たれてしまうもんね。

 

 

 

私も思い出すと

 

どれだけいじられて自分のメンタルをやられてきたか。

 

<自叙伝⑭容姿にコンプレックスを持つ私>

 


それなのに
イジリが完全に無くなってしまうことは
コンプレックスのある人間にとって良いことばかりとは思えない。

 

 

 

もし
明らかに規格外だった目立つ容姿の私が
いじられなかったとしたら・・・

 


私は毎日傷つかずには済んだ。

 

人前で恥ずかしい思いをせずに済んだ。

 

自分の容姿がおかしいんだと気づかずに済んだ。

 

 

 

でも一方で

 

心の中で笑われていたかもしれない

 

陰で噂されていたかもしれない

 

自分の容姿が平均から外れていると気づけないまま
上手くいかないことが、そのハンデによる結果だとわからずに
自分の何がいけないんだと悩み続けるかもしれない

 

 

 

優しい周囲の人に
差別はいけないと我慢されながら接されて

 

過剰に気を遣われて
容姿の話をしないようにされたり

 

女子が可愛いと言い合う場面で公平にしようとされて
気を遣って可愛いと言われたかもしれない

 


こんな想像もする。

 

 

 


子どもの頃に集団でいじられた経験に関しては
本当につらかったけど

 

じゃあいじられなかったらと想像してみてもつらい。


どっちが良かったのか本当に難しい。

自分でもどうしてほしかったのか分からない。

 

 

 

本当に馬鹿にして
いじめに発展するようなイジリはとにかく無くなって欲しいけど

 

その相手に愛情があって親しみがあって
丸ごと受け入れるような空気があるなら

 

もしかしたら
イジリはコンプレックスのある人を救うこともあるのかもしれない。

 

 

 


あとね

 

本当に信頼し合った関係においては
イジリって愛だなと思うようになった。

 


以前の私は

 

親しい人はいても
どこかで気をつかいあうような関係しか作れなかったの。

 


人間関係は

 

ほんの少しも相手を傷つけちゃいけないし
いつも思いやっていなきゃいけないって思っていたから

 

どんなに親しくなっても
気を許すことが出来なかった。

 

 

 

でも心が回復して
人とリラックスして過ごせるようになって

 

イジリ合うのはお互いの愛情表現で
あなたはそのままでいいよと受け入れあってるかも

 

そう思うようになった。

 

 

 

本当は褒めたいけど仲が良すぎて照れくさい

 

今はちょっと一緒にふざけて笑って過ごしたい

 

そんな時に私は相手をいじるみたい。

 

 

 

相手にいじられた時

 

あぁまるごと知ってもらえてるな、受け入れられてるな

 

この人とは何を言ってもやっても大丈夫だな

 

こんな緩まるようなあったかい気持になるみたい。

 

 

 

長い付き合いでお互いに尊敬し合っていて
2人で過ごしている時だけは
自尊心が低くなってない

 

片方がイジる役割が決まってるんじゃなくて
両方が同じようにイジり合う

 


こんな条件が揃っている時は
イジリって愛だと私は思うな。

 

 

 


今の時代

 

すごく自尊心を保つのが難しいと思うの。

 


余裕が無くて
人に敬意を払いあえない

 

狭い関係でも尊敬しあえていない

 

情報が入りすぎるから
上手くいっても天狗になれない
いつも高いところと比較して自信を失う

 


みんなが自尊心が低くなっちゃってる。

 

 

 

だから
イジリは受け入れられがたい状況にあるんだね。

 

 

 

できればみんなが

 

少しずつ余裕を作るようにして敬意を払い合って

 

すごい人ばっかり見ていないで
たまには天狗になって

 

本当に親しい人とだけ
お互いに最高だと思い合う

 


こうやって自尊心を回復させて

 


親しい人と
愛のあるイジリあいをして

 

まるごと受け入れ合っていけたら最高だと思うんだよね。

 

 

 

 

 

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