逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

境界性人格障害⑩-試し行為-

ボーダーの「試し行為」は
一番自分も人も苦しめる行動かもしれません。

 

 

これは一般的には
自分がひどいことをしても受け入れてくれるか

愛情を試していると言われています。

 


でも

私自身の経験を考えると

試すというような冷静さは無かったように思いますし

 

実際にボーダーの人と関わってきても

頭で「試そう」と考えているというより

もっと衝動的にしてしまう行動のほうに近いと感じるんです。

 

 

 

治療者や周囲の人など

外側から観察した人が「試されている」と感じたから

そう名付けられたのではないでしょうか。

 

 

 

私が「試し行為」と言われる行為をしている時には

試すなんて余裕はありませんでした。

 

 

頭の中は落ち着いて考えられる状態になくパニックになっていて

自分の思い込みに囚われて現実が見えていません。

 

戦略的に人を試そうと考えてはいませんでした。

 

 

 

もっと子どものような気持ちで

 

自分の奥の方にある不満や憤りをわかってほしい

何とかして自分のワガママを聞いてほしい

 

そんなふうに

目の前の人への強い欲求を叶えたいだけで

自分をでたらめに突き動かす感じがしました。

 

 

 

 

ボーダーの症状が出ている時

 

自分の不満や憤りを

言葉にして表現して伝えることが出来ませんでした。

 

態度にすら上手く出すことも出来ず

気がつかずに我慢して溜め込んでしまいます。

 

 

だから

溜まりに溜まった時、喧嘩などのタイミングで

その大きなマグマのような気持ちを一気に放出します。

 

言葉に出来ない分

態度にして何とかしてわかってもらおうとしていたんだと思います。

 

 

「これだけ取り乱すぐらいつらいんだ」

「こんなに大声を上げて、大泣きをするぐらいの想いがあるんだ」

「私は大丈夫じゃないんだ」

 

こんな気持ちだったでしょうか。

 

 

 

言葉にせずに態度でわかってもらおうとすることが

どれだけ無謀なことか、今ならわかります。

 

ただ普通では無い、危ない、怖い…と相手に引かれるだけで

何一つ伝わるはずがありません。

 

でも渦中にいる時は、それしかできなかったんです。

 

 

 

 

相手の言動でいちいち傷ついて絶望していました。

相手は悪びれず、鈍感で何もわかってくれません。

 

どうして傷ついたのか、どのくらい傷ついたのか

それも言葉にして上手に伝えられません。

 

 

相手に不満があっても

孤独で依存しているので、嫌われたくないので少しも言えません。

不満だから離れるという選択肢もありません。

 

 

だから怒りが溜まりに溜まっていき爆発した時

自分の気持ちをわかってもらおうと、同じ苦しみを味わせようとしました。

 

 

「お前を苦しめるのは、先に私を苦しめたから」

「傷つけた人間は報いを受けるべき」

「私がどれだけ苦しい思いをしていたか、同じ気持ちになったらいい」

こんな気持ちだったかもしれません。

 

 

勝手に我慢をして、勝手に怒りを大きくして、勝手に断罪する。

それなのに決して離れようとしない。

 

 

相手に不満が大きいなら、いつも傷つけられるなら

離れるしかないですよね。

 

でも自分一人では何も出来ない

生きていることだけで毎日が不安でいっぱいだった私は

 

離れて一人になるなんて絶対に有り得ないと思っていました。

 

 

 

溜まりに溜まった感情を思い切り爆発させたり

相手が自分の思い通りになると

 

あっという間に冷静になり、穏やかになり

急に分別のある自分に戻ります。

 

 

その狂ったような姿から分別のある姿に急に変わる姿を人が見ると

最初から戦略的に人を試しているように見えるのでしょう。

 

 

 

 

いつも両極端の選択肢を、行ったり来たりしていました。

両方は無理なのに、両方を欲しいと思っていました。

 

 

「この人は大嫌いだけど、理解してくれるし優しいし役に立つ」

 

「この人と別れたいけど、孤独は嫌」

 

「新しい挑戦は楽しそうだけど、失敗をするのは絶対に嫌」

 

「成長したいけど、面倒なことや難しいことは嫌」

 

 

こんなふうにただの気分屋のワガママな子どもなのですが

 

一つ一つのアクションを口に出さずにいられず

立派な理屈をつけて、強い気持ちをこめて宣言しながら

進んだり戻ったり、行ったり来たりするので

 

 

あんなに熱く語っていたのに?

あの言葉を信じたのに?

あの誓いは嘘?

あれだけ絶対と言い切った自分の言葉をすぐに覆すの?

 

こうやって周囲を振り回し混乱させました。

 

 

これだけ大騒ぎをしても

マグマのような感情を一気に放出させると

別人のように冷静に頭が回るようになります。

 

 

そして一連のひどい行動にもっともらしい理由を後づけしたり

挽回するために、また物分かりのいい賢い態度をとったりするので

 

 

これだけ冷静に頭が回るのなら

あの一連のひどい行動は人を動かすために意図的にされた「試し行為」だ

 

そう思われてしまうんでしょう。

 

 

 

 

こんなふうに「試し行為」と言われる行為は

試すというより

 

自分勝手に振る舞いながらも

どうにかして受け入れてほしい、受け入れてもらえるはず…という

人への強い甘えの意味の気持ちと

 

大人としてちゃんと見られたい

異常だとバレたくない

嫌われたくない見捨てられたくない…という

現実的な考えを行ったり来たりしているだけだと思うんです。

 

 

 

私は何故こんなことを繰り返してきたのかとよく思い返します。

 

 

 

自分という存在を子どもの頃からずっと無視されてきて
自分の本来の言動に反応してもらう経験が無かったからじゃないかと思うんです。

 

 

自分勝手な言動に人が反応してくれることで

「やっと存在を認められた」と思っていたのかも知れません。

 

 


普通の子どもは
自分の言動に対して

 

「そうねそうね」
「そうしちゃったのね」
「こわかったね」
「できたね」

 

とにかく沢山の反応をしてもらって育ちます。

 


おもちゃが欲しくて床でジタバタしたり
泣いてそこから動かないなど、ワガママな行動をとって

 

自分のワガママが通ったり通らなかったりして
状況が変わる経験をしています。

 

 

そうやって

養育過程で自分の存在価値を認められます。

 

 

一方でボーダーは

子どもの頃にそれが全く得られなかったはずです。

 

 

そして大人になってからこれをやってしまうせいで
恐ろしい行動になってしまうんだと思います。

 

 


試し行為は自分も人も振り回します。

 

 

だけど本当の思いは

「人を振り回してやろう」ではなく

 

「お母さん、ワガママ聞いてよ」という子どもの気持ちなんだと

自分だけはわかっていてほしいと思います。

 

 

 

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