では、どうして自分にとってプラスにならない人を寄せ付けてしまうのかというお話をしました。
今回は愛着障害の人がどんな人を好むのか、どうして腐れ縁を続けやすいのかについてお話したいと思います。
「人を見る目がない」
なんて言われると、反発したくなりますよね。
きっと人間観察を長いことしてきた、人の望むことを必死に察してきた、そんな自負があるはずです。
でも「人を見る目がない」のと人間観察する力や人の気持ちを察する力とは全く別なんですよね。
愛着障害の人が見る目がないのはどうしてでしょうか。
まずは愛着障害のせいで極端に自信がないということ。
そのせいで、自分を褒めてくれる人や自分を好いてくれる人にすごく弱くなる。
心当たりはありませんか?
「この人いいな」「この人安心できるな」と感じる時、信頼できる人か尊敬できる人か、自分の好みの人間性かという以前に、自分に好意的かどうかの方で判断してしまうことが多いのではないでしょうか。
逆を言えば、自分を批判する人や自分を好意を示してくれない人を特に嫌うところがある。
私もそうでした。
その人を客観的に見るとか、自分の好き嫌いの気持ちを大事にするとか、そういう当たり前のことが出来ていませんでした。
当時は客観的に見ている、自分の好き嫌いで見ていると思い込んでいたんですが・・・
それよりも何よりも「自分を好意的に見てくれる」の魔力には抗えていなかったんです。
出会ってすぐに自分を好意的に捉えてくれる人がいい人であれば、問題はありません。
残念なことに逆のことが多いので愛着障害の私たちは人間関係に苦しむことになりがちなんです。
本当に良い人であっても、そんなにあなたを褒めてくれないことは多い。
それは、良い人ほど思慮をして、自他の境界をしっかり持っていて、あなたを尊重しているので簡単に思っていることを言葉に出来ません。
それほど近い関係じゃ無いのにジャッジするのは失礼だと考えていたり、褒めるのは上から目線になるのではないかと思ったりして、心の中では素敵だなと思っているのに言葉には出さないことは往々にしてある。
ごくまれに、自他の境界がありながらもあなたを尊重しながらも褒めてくれる人もいますが、本当になかなか居ないように感じます。
そして逆に悪い人・・・あなたを尊重していない人の方が、あなたを簡単に褒めることが出来る。
あなたを自分の思いどおりにしたい、支配したい、搾取したい・・・そんな思惑があって、簡単に息を吐くように褒めまくる。
心の底から素敵だとか、敬意を持っているとかもなく、あなたが機嫌をよくしてあなたの懐に入って、自分の得のために褒めているだけです。
悪い人ではなくても、挨拶代わりにとりあえず褒める人もいます。
そういう人も愛着障害のあなたを理解できるような繊細な人ではないので、のちのちあなたは傷つくことになりやすいです。
心が健康な人があなたに好意を示さないことも多いです。
心が健康な人は距離を近づけてくるのがゆっくりなことが多い。
まずはゆっくりお互いを知る段階で「いいな」と思うことがあっても、まだまだ沢山の面を知りたいと思慮しているので簡単に好意を示しません。
また、同様の理由で心の中ですでに「いいな」と思っていても、もし相手がそう思っていなかったら負担になるかもしれないという思慮があって、わかりやすく好意を示すのを待っていることもあります。
そして逆に心に問題を抱えている人があなたに好意を示すことも多いです。
心に問題を抱えている人がよくする行動が「自分が好意を示すことで相手の好意を引き出す」
とりあえず自分から大きく好意を示しておけば相手も自分に好意を持ってくれる。それが経験から分かっているからすぐに好意を示す。
これは・・・あなたのことが好きなんじゃないですよね。
自分を愛して欲しい、そのための戦略です。
自分のことをよく知ってよく見て好意を持たれるのは嬉しいことですが、戦略で好意を示してくれる人にさらに好意を返してしまうのは空虚な関係が出来上がるだけですよね。
もうひとつ。
愛着障害の人は一度人に愛着を持ってしまうと離れるのが苦手です。
また自分の親しい人は自分の一部というような感覚を持っているので、親しい人は素晴らしいと思い込もうと必死です。
さらに間違いを認めて訂正するのも苦手なので、一度素敵だと思った人の評価も変えられない。
つまり心の平穏のために自分を騙すんですね。
本当は人がどんな人間か見えていたとしても、こんな理由があるので「この人はすばらしい」「この人は悪い人じゃ無い」「この人のことを愛してる」・・・
愛着を持った人から離れないため、親しい人は素晴らしいと信じたいため、自分が見初めた、信じた人がそうでなかったと認めたくないために、自分を騙して真実を見ないふりをする。
どうでしょうか。
これでは自分にとっての良い人を引き寄せられないし、自分の好き嫌いに忠実にもなれない。
「人を見る目がない」状態になってしまいますよね。
私自身もそうでしたが、カウンセリングをしてきた人のほとんどが、周囲に「自分を心から愛してくれて本当に自分のために考えてくれる人」「心が健全な人」「自分の重荷にならない人」がおらず、逆の人ばかりで、本当に生きづらくなっているんですね。
愛着障害で一人で生きてきた。
それだけでなく、愛着障害の問題で自分を人生を助けてくれるような、前に進めてくれるような人も周囲にいないせいで、苦しみが続いていることも多いんです。
ここからどうしたらいいでしょうか・・・
金銭的に余裕があれば、確実に力になってくれるカウンセラーやコーチングなどの専門家に頼るのがいいと思います。
ですが、かくいう私も専門家を頼らずにきたので、頼らなければ回復しないとは思っていません。
私はどうしてきたのかというと・・・
私は見る目がなく、寂しさを埋めるためだけで、何の力にもなってくれない、負担だけのネガティブな人間関係に囲まれていました。
それをバッサリ切りました。
回復の時には二度、友人やパートナーがゼロの時がありました。
本当に孤独でしたが心は軽く、自分だけのために自分の人生を前に進めるために集中して努力できた時間でもありました。
そうやって孤独になって自分の人生に集中したからこそ、やっとわかったことがありました。
私はずっと一人になりたくなくて、人を見る目がないのに人にすがって、人を信じて裏切られて、人に振り回されて、意味の無い人間関係にかまけて、自分のどん底の人生をそのまま放置していたんですね。
愛着障害の人の中にもまれに恵まれた人間関係を持っている人もいます。
でもほとんどの人は、人の見る目がなく、孤独になりたくないせいで、人間関係で心を余計に削って自分の人生を取り戻せなくなっている人が多い。
カウンセリングをしていて本当にそう思います。
孤独は本当につらいです。こんな言葉では語り尽くせない。
でももし人間関係で自分を削っていてどん底の人生から這い上がれないと感じるようなら、何とか覚悟を決めて、一時的に一人になってみてほしい。
人間関係に浪費してきた時間と力を、自分の人生の修復に時間と力を注いでみてほしいんです。
自分の心が回復して、力をつけて、現実を立て直すことができ、やっと人を見る目が出来たとき、本当に自分にとって大事な人との縁が出来てくる。
私の経験から、カウンセリングで回復していった沢山のクライエントさんの経験からもそう思います。