逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自分を乗りこなす

「きゃあ~わいいねぇ~」


「どちたの~」「しゅごいねぇ」


「あら!ベロでちゃってるよぉ~」


「いただきま~す」もふもふすーはー(猫吸い)

 

 

 

愛猫ぎんちゃんとの毎日でございます。

 

 


ぎんちゃんとの関わりでは、もう自然に頭のてっぺんからの高い声が出て、赤ちゃん言葉になって、馬鹿丸出しになる・・・

 

 

 

不思議だ。勝手にスイッチが切り替わる。

 

さっきまで佳境に入っているクライエントさんのことで悩み、眉間にしわを寄せながら真面目に深刻になっていたというのに。

 

 


猫ってすばらしい。

 

こうやって気分を切り替えてくれて、頭の使いすぎを防いでくれる。

 

 

 

むかーしむかし。

何時間でも人の為に考え続けてヘトヘトになって、疲れ果てて悲観的になって、結果何の役にも立てなかった。

 

一生懸命に人の為に考え続けても、疲れ果てて力になれなかったら意味がないのよね…

 

 


考えすぎる、真面目すぎる私には、こうやって馬鹿になれる時間が絶対必要なのだ。

 

 

 

私は超真面目人間。

 

色んな面があるから、他の顔しか見ていない人には「お調子者」「楽観人間」「大雑把」なんて全然違う印象をもたれることも多いけどね。

 

 

 

発達障害丸出しの小学校低学年。

私には冗談が通じなかった。すぐに真に受ける。

 


私がすぐ鵜呑みにしてビックリしたり、感心したり本気になって議論したりするのを同級生は面白がって、よくからかわれたっけ。

 


今思うとセンスない・・・冗談と言うより嘘やないかいと思うことも多かったけど、周囲の人がみんな冗談とわかることも本気にしちゃうところもあったので、私も問題ありだった。

 

 

日直や給食当番、掃除当番など、学校側から決められたルールはとにかく守らなければ安心できなかった。

 


少しでも先生が言ったことを守らない、端折っている生徒がいれば「それじゃダメ!」「こうしないと!」なんて目くじら立てて怒って。

 


ルールを守るのは偉いけど、端折ったところで何も結果に影響がない、ちゃんとやったところで誰かのためになることでもない、そんな学校のおまじない的なルールがあったよね。

 

子どもはそれを野生の勘でかぎわけ、うまくズルをするのが子どもの世界でかっこいい、連帯感が生まれる、暗黙の了解みたいなものがあった。

 

それを自分がルールを守らなければ不安になるので「絶対やらなければならない!」「先生に言いつける!」「あなたはダメな人間だ!」みたいに詰め寄っちゃってねぇ・・・

 

 


あとは授業で何らかのお題が出てクラスで議論しましょうっていう時に、子どもは子どもらしく、冗談をいったり、大人が望むような予定調和のことを言ったり、誰もが浮かぶ程度の議論をしたりするのが定番のところ

 

大人が話すくらいの哲学的な視座を持ってきたり、人が見て見ぬふりをして平穏を保っていることをぶっ込んだり(例えば動物愛護しながらお肉を食べることとか)してしまって、その場を凍り付かせたりしてねぇ。

 

 


真面目すぎて、子ども社会のルールに従えていなかった!

 

そんな私が子ども社会を生き抜く戦略として考えたのは、真面目を緩和させるためには「おふざけを投入すればいい」ということ。

 

 

結果どうなったかというと・・・

 

「先生~竹田さんが当番を自己流でやるので困ります」

「竹田さん!ふざけてばっかり!真面目に取り組んでください」

「冗談ばっかり言ってないで話を聞きなさい」

 

 

おおう・・・
ふざけるのも全力で頑張るから、逆側に振り切って間違えてしまっていたよ。

 

 

これは失敗だけど、私はこうやって極端な自分の性質のバランスをとるために色々試行錯誤してきて、なんとか人と上手くやってきたし、心の平穏を保てていた時間もあったと思うんだよね。

 

 


発達障害の人や愛着障害の人は、私と同じように極端な面があって生きづらくなってる。

私はそれは逆側の力を持ってすれば解消できると思ってカウンセリングもしてる。

 

 


例えば・・・

 

闇が深すぎたら強烈な光が必要。

 

私の生い立ち、虐待経験、苦労体験は、闇が深すぎる。
ただ闇を見つめて打ちひしがれていたら生きていられなかった。

 

 

そこで現在の私の真骨頂である「夢と希望」を投入することに。


根拠なんてなくても、つねに遠くの小さな明かりを見つけて「どんなに時間がかかるとしても自分はそこに行ける」と信じる。


進みながら苦しい日々が続いても「よくここまで進んできた。すごい」「もう少しで楽園が待ってる」なんて思いながら、いつかたどり着ける日をずっと夢見ている。

 


私がどん底から這い上がってきた理由は沢山あるけど、特にこれが大きかったと思う。

 


闇が深すぎる人ほど、それに抗える強い光が必要。

 

カウンセリングでも、現状がどんなに悲惨でも私は一緒に夢と希望を持って、2年3年かけて回復させて夢を叶えていくんだ。

 

 

 

人が集まるとリーダー、人の面倒を見る、責任を負う、大人になって譲る・・・など、大人の役割ばっかりしちゃう私。


24時間365日重たくてがんじがらめ。

 

 

これどうします?

 


そう「子どもの自分」投入~

 

 

猫とじゃれあってみたり、アニメを見たり、パートナーと赤ちゃん言葉でふざけあったり、水遊びして童心に返ったり、甘えられる人に子どものように愚痴って泣いたり、友人と子どもみたいにはしゃいだり。

 


とくにlilcafe開業してからは、お仕事で「大人」「お母さん」「お父さん」をみっちりやらないといけないので、日常で子ども返りをしてバランスをとってる。

 

日常までちゃんと大人で居ようとしたら・・・
カウンセリングで親役になりきれずに張り合おうとしたり、自分の気持ちも出てきちゃったりするから大変!


日常ですっかり子どもに返ってすごしてるから、お仕事では自分の気持ちは二の次、どんな状態のクライエントさんも包容して、自分は少しの甘えもダメ・・・と出来てる。

 

 


心が疲れ果てている人はこのバランスがとれてない。

 


私と同じように真面目すぎる人はゆるめる時間がないと、人生が監獄の中にいるみたいになる。


責任が重く、人を率いたり背負ったりしている人は、どこかで甘えられないと心が壊れちゃう。


親としていつも正しい大人であろうとしている、人のことばかり察して優先してばかりいると、元気な自分がいなくなってしまう。

たまにちょい悪になって自己中になって、エネルギーチャージしないと。


考えることが得意で好きでも、感情や直感や体の感覚も大事にしていかないと、頭がヘトヘトになって、視野も狭くなって、心が閉じていってしまう。

たまには歌って踊って感情丸出しにして野生を取り戻して。

 


慣れたやり方ばかりやってちゃダメだよ~

しっかりとバランスをとって、自分という乗り物を乗りこなしていくのだ。