愛着障害の人は
「いつも人に裏切られる」
「人は奪うだけ奪って去って行く」
「悪い人ではないけど許せないことをされる」
「人は自己中心的でこちらの言い分は聞いてくれない」
こんなお話をすることがとても多いんです。
不思議ですよね。
愛着障害の人だけこんなに人の運が悪いのでしょうか。
こんな経験ばかりだとしたら
人間不信になるのも当然ですよね。
でも本当に愛着障害の人は
こんな経験ばかりなんだと私は思います。
そうなってしまう理由があるからなんです。
愛着障害の人は、人を見る目がありません。
「人を見る目がない」なんて言われたら
なんだか自分を全否定されたような嫌な気持ちになりますよね。
私も愛着障害が回復するまでは
よく人からこう言われて腹を立てていました。
愛着障害の人は
多くの人が距離を置くような
どこかに問題がある人や
自信が無く多くの人に魅力的だと思われないような人
だらしない人やダメな人
こんな人に惹かれてしまうことはありませんか?
私もその時は分からなかったんですが
今冷静に考えてみると
こんな人ばかりに惹かれていたと思います。
何故なんでしょうか。
私は自尊心がとてつもなく低かったので
キラキラしているような自信がある人が怖かったんだと思います。
どこかに問題がある人や
だらしない人、ダメな人の前では
本当はダメな自分も隠さないでいいし少しだけ優位に立てるし
「私なんか」と思わないでいられる
もしかしたら
こんな安心感がほしくて人を選んでいたのかもしれません。
そんな相手は
幼稚で自己中心的で依存的な人ばかりになっていたと思います。
これまで書いてきたように
愛着障害の人にはこんな問題があります。
・自分で自由に考えられない
・感情的な人が怖い
・批判されるのが怖い
・人の役に立つことでしか自分の存在価値を見いだせない
・自己表現ができないので人に理解されない
こんな問題を抱えていると
いったいどんな人とのコミュニケーションを好むでしょうか。
想像してみてください。
例えば
・自分で考えなくても導いてくれる
・気遣いをして優しく接してくれる
・批判をしないでいてくれる
・自分を頼ってくれる
・自分のことを分かってくれる
こんな人になるのではないでしょうか。
対等な人間関係では、こんなことはあり得ませんよね。
自分で考えなくても導いてくれる人を求めれば
ワンマンで傲慢な人
支配的な人
自分を尊重してくれない人・・・
こんな人ばかりになりそうです。
自分で考えなくてもいいかわりに
支配されて自由を奪われて
大事に扱われないようになってしまいますね。
自分を大事にしてくれる人であれば
普段はあまり口出しせず、自由にしてくれ
どう思っているのか常に気に掛けてくれるでしょう。
愛着障害の人はこれでは物足りなくて
先ほどのような人を求めてしまって
自分を不自由にするような人間関係を作ってしまうんですね。
過剰に優しくしてくれる人を求めれば
自分を対等に扱っていない人
外面がいい最初だけ優しい人
言葉だけ優しい人・・・
こんな人ばかりになってしまいそうです。
とにかく優しい言葉や態度だけを求めると
形式上の優しさだけで心からの付き合いができない
口だけが上手い人に騙されてしまう
外面が良く最初だけ優しい人に騙されてしまう
こんな事が多くなるでしょう。
対等で長く続けていこうとする人間関係であれば
お互いに自分のことに取り組みながら関わりあうので
いつも気に掛けて優しくしあうのは難しいものですよね。
言葉よりも一緒に過ごす時間や行動で優しさを表現していて
言葉で優しさを表現することは多くありません。
外面はほどほどで、未熟でダメな部分も見せつつ
自分のできる範囲で無理せず、ずっと続けられる優しさで関わります。
愛着障害の人はこれでは物足りなくて
先ほどの人を求めてしまって
対等な人間関係が築けず上下関係がある人間関係を求める
外面ではない、心からつきあえる人間関係が築けない
過剰に優しく見せる人に騙される…ということになってしまうんですね。
さらに
愛着障害の人は自尊心が低いせいで
自分を好いてくれる人を無下にすることができません。
人間関係は
自分が選ぶのではなく、自分を好いてくれた人を受け入れる
という形になってしまいがちです。
愛着障害の人を好むのはどんな人でしょうか。
愛着障害の人は
自信が無く人の言いなりになりやすく
人の面倒見がいいですから
やはり
幼稚で自己中心的で依存的な人が集まってきてしまいます。
自分に被害を及ぼさないような誠実な人は
劣等感を感じてしまうし
一緒に居て緊張してしまって自分らしくいられない
だから遠ざけてしまう
自分が楽ができる相手は
幼稚で自己中心的で依存的で
自分を傷つけてくる
こうやって
「いつも人に裏切られる」
「人は奪うだけ奪って去って行く」
「悪い人ではないけど許せないことをされる」
「人は自己中心的で言い分を聞いてくれない」
人間関係のお決まりの型ができて
人はみんなこうだという信念が刻まれてしまったんですね。
愛着障害の人は
表向きは人とコミュニケーションをとることは出来ても
自分が心から安心して人を信じることができない
リラックスして人に自分を開放できない
頭で考えずに人と過ごすことができない
こんなふうに
人には見えづらい、自分だけが抱えている苦しみがあるはずです。
愛着障害の人は
このような、自分だけが抱えている苦しみを何とかしようとしながら
人間関係をつくろうと努力してきました。
1人で何とかしようとしてきたのですから
仕方がなかったのですが
それが結果的に
「人を見る目がない」人選になってしまっていたんですね。
愛着障害が回復してくると
・自分で自由に考えられない
・感情表現が豊かな人が怖い
・批判されるのが怖い
・人の役に立つことでしか自分の存在価値を見いだせない
・自己表現ができないので人に理解されない
これが無くなってくるので
この理由のために人を選ぶことがなくなります。
そして
見たまま感じたまま、人を捉えられるようになっていき
自分の力になってくれるような人を選べるようになっていくんです。
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