愛着障害の人はね、どうしても人に厳しく自分に甘くなってしまうんですよ…
「いいや私は自分にも厳しいし人には優しい」と思った人もいるかもしれませんね。
そうなんですよね。
私も愛着障害が回復する過程で、人から「自分に甘い」と言われる度に腹を立てていたのを思い出します。
毎日必死に自分を責めて、いい人でいなければと優しい人と思われるよう努力して、怒らないよう怒らないよう自分を押さえつけて・・・
それでもそう言われてしまうことに本当に納得がいかなかったんです。
愛着障害の人は、表に出ている行動は「人に優しくしよう」と必死に努力しているので、優しい行動は取れているはずです。
自分を責める癖があって、「自分はダメだ」「もっとしっかりしろ」と言い続けてきたので、自分に厳しい部分もあると思います。
でも一方で
人には、こうした方が良いという的確なアドバイスが出来たり、針の穴を通すような鋭い批判が出来たりするのに、それを自分が全く出来ていないということがとても多いのではないでしょうか。
「自分に甘く人に厳しい」を正確に言いかえると
「自分が出来ていないことを人には上から言ってしまうところがある 」ですね。
これまで書いてきたように
愛着障害の人は
人の機嫌をとって危機を避けたり、人の顔色を見て自分の行動を決めたり
人を観察してそこでの振る舞い方を考えたり・・・
自分のことを見る余裕も時間も無く、人のことを見続けてきましたよね。
人に支配されたり、人の世話をしたり、人の問題の対処に追われて
自分で自分のことを考えたり行動したりすることが出来なくなったんですね。
愛着障害の人は
ちゃんと自分に厳しくしようとしているし人に優しくしようとしている。
でも、これまでの人生経験のせいで「自分のことが疎かになっている」状態で「人のことは非常によく見える」せいで、どうしても「自分に甘く人に厳しい」状態になってしまうんです。
愛着障害の人が人間関係が難しいのは、一番は人間不信であることですが、この問題もかなり影響があります。
だらしなくミスが多く尊敬できない人から正論を言われたら誰でも嫌な気持ちになる。
自制心が無く自己管理が出来ていないように見える人から助言や指摘をされたら誰でも不快な思いをする。
自分も出来ていない事を上から助言や指摘をされたら誰でも腹が立つ。
それなのに私たち愛着障害の人は気づかずにこういうことをしてしまっていたんですね。
私もどれだけこの失敗をしてきたでしょうか…
思い出すだけで恥ずかしくて仕方がないです。
自分の身の回りのことや生活を整えることも出来ていない
やるべき事をきちんと出来ていない
ミスや苦手なことが多く人に迷惑をかけている
苦労だけは人並み以上にしてきたけれど社会での経験が少なく未熟
感情的なのが普段の言動で漏れ出ていて白黒思考で衝動的で熟考できない
人格的に未熟なのにどこか偉そうな態度…
私は当時こんな状態だったのに、その場で正しいことや、人の問題点、効率的なやり方などに対して誰よりも大きな声を上げていたんです。
・・・
「お前が言うな」ですよね。
今思い出しても、言っている内容は決して間違っていないし正しかったと思うんですよ…
でも人に聞いてもらうために必要なのは正しいことじゃなくて、まずは自分のことをちゃんと出来ていることや、人に言うことは自分が完璧に出来ていることが必要なんですよね。
私がこれに気づいた時は衝撃的でした。
恥ずかしくて恥ずかしくて、その日から我慢するとかでは無く自然と沈黙するようになりました(笑)
過去の自分を思っても、愛着障害のクライエントさんの話を聞いていても思うのは
愛着障害の人の
「人が気づかない問題を見つける」
「俯瞰して人や物事を観察して冷静に対処法を考える」
こんな力はすごいと思うんです。
でもこの力を生かすためには、まず人に話を聞いてもらう人間になる、説得力を持たなければいけないんですね。
私はとにかく人に話を聞いてもらいたい、自分の役に立つ考えを聞いて欲しい・・・
そんな一心で自分を変えてきたと思います。
愛着障害の問題が大きいままでは
説得力をもって多くの人に話を聞いてもらうことは難しい。
自己愛性人格障害や演技性人格障害のように、自分の問題を隠して大きく見せることができれば、多くの人に話を聞いてもらうことはできますが…
愛着障害よりもっと難しい心の問題を抱えることになるので、その代償は大きいです。
人と上手くやりたい
人生を上手くいかせたい
気持ちが焦って、自分の愛着障害の問題を先送りしたくなりますよね。
でもやっぱり自分のことを先に解決しなければ難しいと思うんです。
いつかその鋭い観察眼や問題に対処できる深い思考力を生かすために
ずっと抱えている自分の問題、愛着障害を先に片付けましょうね。
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