逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

体験談⑥25歳男性 プログラマーNさん

 

僕は人からはとても恵まれた人間で悩みなんてないと思われていたと思います。

 

 

学校での成績はずっと優秀でした。勉強が心の拠り所でした。
勉強は好きではなかったけど、「いつか未来の自分を助けてくれる」と思って必死に勉強しました。
大学在学中には英語で論文を書き、頑張りが認められて国内外の各地で論文を発表したこともありました。

 

高校では「性格が良い」「優しい」「面白い」とみんなから言われ、悩みを聞いてあげたり勉強を教えたりして、人からも好かれていました。部活の後輩の面倒も誰よりも率先してみるので慕われていたし、先輩にも可愛がられていました。

 

僕の実家はいわゆる「お金持ち」でした。親は大きな家、外車、高級な食事、自分の趣味に湯水のように使っていました。

 


こんな自分が苦労をしたと言っても誰にも耳を傾けてもらえるはずはありません。それに自分も恵まれているんだから苦労をしたと思ってはいけないと思っていました。


でも僕はお金持ちの家に生まれ、教育にお金はかけてもらったけれど、それだけでした。

 

靴や洋服はボロボロで、いつも襟が汚れたシャツで学校に行っていました。部活が終わりお腹を空かせて家に帰るとテーブルの上に1000円が置いてある。母の料理の記憶はほとんどなく、たまに作る料理は酷いもので、美味しそうにしないと怒られる。我慢して食べていたのを思い出します。

 

激しい夫婦喧嘩はしょちゅうで、夜中に怒鳴りながら家を出る父。ほぼ毎日お酒を飲んでいる母。父の女遊びが明るみに出ると、母は仕返しをしてやると言い出す。平穏な時間はありませんでした。2人とも夜遊びで外出していることも多く家にはいないことが多かった。

 

小さい頃から親に自分の話をすることは出来ませんでした。子どもながらに話そうとしても、途中で遮られたり、「オチがないなら話すな」と言われたり、途中で寝たりされるうちに、心を閉ざすようになりました。

 

身体が弱く、いつも倒れそうなほど具合が悪くても親には頼れず、ただ気合いだけで毎日学校に行くしかありませんでした。

 

兄や弟ばかり優遇され差別され「お前はパシリだ」と言われ、のろまと呼ばれました。何をやっても「お前はダメだ」と言われ、上手く行きはじめても必ず水を差される。海外での論文発表の時ですら「海外は怖いところだ」「お前は訳のわからないことをしている」と何度も心を折られました。

 

僕は親に暴力を振るわないように自分を抑えることに必死でした。自分勝手で冷え切った家族を一人で何とかしようと必死でした。子どもの時からずっと、自分のことは親にも誰にも頼れず1人で必死に頑張っていました。
だからいつも疲れていたし、うつむいてぐったりとしていたのを思い出します。

 

親に親らしいことをしてもらった記憶も、愛情を与えられた記憶もありません。

 


恋愛や友人関係も我慢ばかりでした。
こちらの事情も考えずに夜中にいきなり相談の電話をかけてくる、予定があるといっても無理強いする、自分の話を打ち明けるとそれを弱みにして従わせる人・・・

 

小学生の頃は、物を盗まれたり、授業中に文房具を頭に投げられたり、窓からカバンを捨てられたこともありました。
中学生の頃はベランダに閉じ込められたこともあります。それでも僕は笑顔でへらへらとしていました。そうした子達と仲良くしていました。
周りには「人格者」と言われることもありましたが、思い返すと僕は投げやりでした。自分で友達を選ぶことが出来なかったんです。

 

高校では上手くやっていましたが、僕は心から人を信頼していませんでした。
八方美人な自分、嫌なのに笑顔で居る自分は腹黒い、本当は皆のことが嫌い。どこか自分は周りから浮いているような感覚がありました。

 


大学生になりこれまでの人間関係に耐えられなくなりました。
愛想笑いが出来なくなり、笑顔を作ると胸が苦しくなりました。

 

これがきっかけで自分のことを理解しようと、図書館で沢山の心理学の本を読んだり、自己啓発、哲学の勉強、大学の中の診療施設にも通いました。
毒親・アダルトチルドレン・機能不全家族・ギフテッドについて知り、IQテストを受け、性格分析もネットで沢山やりました。

 

大学生のみんなが楽しい学校生活に夢中になっているのに、自分はただ図書館で必死に勉強し自分を知ろうと努力をしていました。
でもどんな分析も専門用語も全くしっくりきません。
いくら努力しても僕の人間関係は改善しませんでした。苦しい理由がわからない、自分が何なのかわからない、ずっとつらいままでした。

 


大学の教授に憧れの素晴らしい就職先を紹介してもらったのに、僕は諦めてしまいました。
論文で評価されたものの、自分は他人に誤解されていると思ったんです。

 

その就職先で出会った人たちは、素晴らしい経歴がありとてもキラキラしていました。
努力と根性で乗り切ってきた僕の雰囲気とは違う、自分には無いゆったりとした雰囲気や自信、余裕が感じられました。
「こんな素晴らしい人たちと関われるはずがない」「自分を隠し続けてやりすごすのか」と思いました。自分には諦めるしか無かったんです。

 

やりきれなさでいっぱいになりました。
頑張って手に入れたチャンスを手放すなんて・・・苦労ばかりの人生に憤り親を恨みました。

 

 

竹田さんのことはブログで知りました。就職して1年目の夏でした。
竹田さんの過去の話が私と似ていると感じました。家庭のこと、幼少期の友人関係のこと、ギフテッドなど夢中で読みました。

 

この人ならば自分のことをわかってくれるかもしれない、勇気を振り絞って連絡をしました。当時の私はこれが最後のチャンスだと必死でした。
過去に別のカウンセリングを受けても回復を実感することがなく、心が元気になることも人生を楽しむことも諦めかけていました。

 

「こんなわけのわからない人間のカウンセリングをしてくれるのか」
「自分はちゃんと治るのか」
「もし駄目なら振り出しに戻るんだ・・・」

 

不安でいっぱいでした。でもメールのやり取りだけでしたが、やっと話の通じる人に出会えたんだとすごく安心したのを覚えています。

 


竹田さんに出会って最初の頃「本当によく生きてきたね」そんなふうに言ってもらったことを覚えています。
温かい言葉を聞いてボロボロと泣いてしまいました。思い出すと最初の頃はよく泣いていました。

 

始めの頃は思いついたことを漠然と話しました。
家族のことや仕事のことを愚痴る。ぽつりぽつりと話していきました。
親の話をしようとすると今までずっと抑えていた感情が溢れて止まらなくなりました。
カウンセリングで親への怒りが爆発した週はとても仕事が出来ないほどでした。

 

「仕事中に泣きそうになった」「全く集中できない!」と感情的になる僕に竹田さんはいつも優しく応じてくれました。
心の中で感情的になりながらも周りに迷惑をかけず、自分の評価も下げない方法を一緒に考えてくれて、何とか乗り越えてきました。

 

仕事もつらい、人間関係もつらい、トラウマだらけで、当時の私にとって竹田さんだけが支えでした。
全てがつらいのは変わらないけど、自分の話が通じる竹田さんがいるだけで安心でした。


僕の過去には自分で気づいていなかったトラウマが沢山ありました。
竹田さんに出会う前、頼る人も居ない私は感情を抑えてその場をなんとか乗り切るのが精一杯でした。
つらい経験をしているのにつらいと言えない。つらいだけじゃない、それ以外のどんな感情も話せなかったんです。
はじめは怒れなかったし笑えませんでした。

 

でも「つらい、つらい」とただ嘆いた時に、「つらいと言えたね」と喜んでくれたことがありました。
人生で初めてつらいと人に言った。初めて弱音を吐くことを許された瞬間でした。
それから徐々に一緒になって怒ったり、悲しんだり、笑ったり、喜んだり、時間をかけて少しずつ感情を出せるようになっていきました。

 

親を恨んでいる気持ちは表になかなか出てきませんでした。
「親にこうされた」と感情をこめずに状況の説明ばかりしていました。
そうするとカウンセリングが終わった後に感情が出てきて、次のカウンセリングまでの一週間がとてもつらいんです。
苦しさを話すことができない、すべて吐き出したいのに胸が苦しいだけで言葉に出来ない、そんなつらい時期がありました。


「自分の気持ちなんか話したことなんかない」と言う僕に「じゃあこれからやってみよう」とあっけらかんと言われ、「できるわけないじゃん!」とイラついたこともありました。
「こういう風にしたら感情を吐き出したということ?」と僕が聞くと「意図して作るんじゃなくて、この場で感じたことを言葉にしてみてほしい」と言われ、僕はますます訳がわからなくなりました。

 

ある日のカウンセリングで、とても長い間僕は黙っていました。竹田さんも黙って向き合ってくれました。
「親が憎いんです・・・」ぽつりと言った後で感情が溢れました。

言葉にならず、ただ涙が溢れて止まらなくなった。

 

それからだんだんと親への怒りや悲しみを話せるようになりました。どんなに酷い事を語っても「それでいいんだよ」と竹田さんは言います。

受け止めてもらえた、ついに言えてしまった、そんな驚きのような喜びがありました。
ずっと背負ってきた肩の荷が下りたような気がして、心が温かくなっていくようでした。

 


20年隠してきた気持ちを話すことが出来たのはすごい変化でした。
でも「全然良くならない」とすごく弱気になって、辞めたい、諦めたいと思ったのもこの時でした。

 

この時期のカウンセリングが一番辛かった。一筋の光を信じて進むしかないという心境でした。
不安の中にいたほうが楽。ずっと居た場所を離れるのが怖い。たとえ不安と苦痛にまみれた世界でも。
こんな心境でしょうか。

 

暗い世界で生きてきた僕は期待することが怖かったんです。
「受け止めてもらえないかもしれない」不安な世界から飛び出す瞬間は眩しくて一人ぼっちな気がしました。
でも手を伸ばしたら竹田さんが手を掴んでくれて明るい世界に連れ出してくれた。

 

竹田さんは「絶対に良くなる」「頑張ってみよう」といつも確信を持って言ってくれました。

 

 

カウンセリングに慣れて元気になってきた頃、僕に「急いでしまう癖」が出始めました。
カウンセリングで分かったことを無駄な自己流で「これに応用できるんじゃ無いか?」と勝手に進めてしまいました。

 

早く治してほしい、早く楽になりたい、早く結果を出したいと気持ちが焦っていたんです。

毎回落ち着いて優しく話す竹田さんに、求められてもいない言い訳を熱弁して、被害妄想でいっぱいで、軽く注意されただけで動揺していました。

 

「どうしても自己流でやってしまう」と自分を責めた時、「これまで生きるために必要なスキルだったもんね。でもこれからは一緒にやっていくから必要ないね」
こんなふうに言ってもらったのを覚えています。

 

焦っても無理なものは無理じゃないか。自然でいいんだ。すぐに成果を出そうとしなくていいんだ・・・
気持ちが落ち着いてきて焦る気持ちもほぐれ、自己流でやることもなくなっていきました。

 

 


カウンセリング中に恋愛もありました。

 

僕は初めて恋愛に真剣になりました。僕は話しながら竹田さんとはしゃぎました。
最初は楽しかったけど、愛着障害が治りきっていない恋愛はしばらくすると辛くなりました。仕事に支障が出て、不眠症になって心にも影響が出ても、やるだけやってみたいという僕を竹田さんは支えてくれました。全力で恋愛したけれどダメになりました。

 

自分が彼女に釣り合わないという僕に「Nくんはもっと価値がある」と竹田さんは言ってくれました。
そんなことを言われたのは初めてで戸惑いました。
職場の人にも「もっといい人がいるよ」と応援されたり励まされたりしました。こんなことも今まで無かったので嬉しくて。

 

その頃仕事で伸び悩み、評価も低く、落ち込んでいました。
「自分には価値が無い」と思い込んでいたけど、ずっと僕を見ていてくれた竹田さんは僕の思い込みを真っ向から否定してくれました。

 

自分には価値があるんだ、応援してくれる人の為にも、もっと頑張りたい。しょげてちゃいけない。こんな気持ちも初めてでした。

 


カウンセリングが進み、僕は元気になってくると生きることを楽しみはじめました。
ずっと家の問題や自分の心の問題などで楽しむことはできませんでしたから。

 

今までは着なかったような派手な洋服を着たり、ギターにはまったり、女の子と沢山遊んだり、昼間からお酒を飲んでみたり、雀荘に通ったり。思いつくままにちょい悪な経験を増やしました。

 

他人に話すと厄介だと思って言わずに閉じ込めていた、自分でも忘れていた不真面目な自分。真面目な自分じゃない、遊び好きな自分が世界を広げてくれました。

 


仕事も全力で取り組みました。
竹田さんに支えられ、職場の人や友達に支えられ、色んなチャレンジや失敗、成功がありました。
以前は人とこんなふうに温かい交流をすることも、勇気を持ってチャレンジすることも出来ませんでした。

 

人に対して素直に感謝や好意を伝えることが出来るようになるなんて思ってもみませんでした。

 


親との和解もありました。
僕の中で諦めがついて、親への期待は無くなりました。
今でも距離をつめよられたり、一方的に求められることはありますが、拒否できます。
僕から助けようとか、何かしてあげなきゃとか、そういう義務感もなくなりました。

 

親との楽しかった思い出も、少しですが竹田さんと見つけることができました。
見つけた思い出は幼い頃の私にとって宝物でした。
ちゃんと楽しくて嬉しい時間もあった。幸せな過去も探しだすことができました。

 


今はつらいとか楽しいとか嬉しいとか、しっかり感じて話すことができます。
気持ちが落ち着くことが増えて、料理や趣味に没頭できます。

 

竹田さんとファッションやインテリア、生活の話、遊びの話、沢山しました。
日常会話のやりとりも僕は好きでした。

 

カウンセリングはじめたての、集中しきれない、どこかぼんやりしている幼稚園児のような心境も覚えています。
何回か別のカウンセラーと会って、生意気でませた子どもみたいに疑り深いところもありました。
でも竹田さんがいつでも誠意を持って接してくれるうちに、自然となくなりました。

 


今は仕事もプライベートも新しいことに挑戦中です。
毎日がチャレンジで溢れていて忙しい。人から教えてもらったものは片っ端から試してみる。失敗も成功もすべて良い経験。

 

昔のように一人で頑張りすぎることもありません。
自分のやりたいことに全身全霊に取り組んでいるだけで、人が助けてくれるような気がします。
職場で高く評価され、新しい仕事も舞い込んでくるようになりました。

 

毎日が平和で幸せと感じます。

 


振り返るとまともな家庭で育っていない、ちゃんと育てられたことのなかった自分。
やっとマイナスから0になったから、1を積み上げる感覚が新鮮で爽やかな気持ちがします。これから新たな一歩を、心の底から楽しみながら進むことができます。

 

今が一番幸せだなぁ。沢山のつらい経験を乗り越えてここまで来れたこと、じんと心に感じます。

 


竹田さんとのカウンセリングで、欠けていた自分の人生を取り戻すことができました。
これからどんな将来が待っているんだろう。そんな希望も持てるようになりました。

 

僕は自分の事が大嫌いで絶望の淵にいました。

 

今は自分のことが大好きになりました。好きな道をとことん進んでみたい。
沢山の人に幸せだったり、楽しい気持ちを届けるような存在になっていきたいです。

 


竹田さんに心からありがとうの気持ちでいっぱいです。
僕が治ったんだから、竹田さんに治せない人はきっといない!と思ってしまいます。
振り返ると1年10ヶ月。満ち足りた時間の連続でした。

 

できることならタイムマシンに乗って、本当につらくて助けて欲しかった頃の自分に教えてあげたいくらいです。
「数年後に素晴らしい人と出会うから大丈夫だよ。幸せな日がちゃんとくるよ」って。

一人でも多く、竹田さんのカウンセリングで元気になる人が増えたら、沢山の人が笑顔を取り戻せたらと願っています。

 


竹田さん、ありがとうございました!