逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

愛着障害の人が人から大事に扱われない理由

愛着障害を持つ人は

 

「物わかりが良すぎる」という特徴があるはずです。

 


物わかりが良すぎることは

一見して何の問題も無いと思いますよね。

 

 

 

物わかりが良い人がいると楽ですね。
こちらの都合に合わせてくれることが多いですから。

 

物わかりが良い人がいると安心しますね。
こちらが拒否をされることが少ないですから。

 

物わかりが良い人がいると助かりますね。
こちらに責任があることも負ってくれますから。

 

 


どうでしょうか。
問題は無いと思いますか?

 

 

相手にとっては問題はありませんね。

 


でも物わかりの良い人は
都合の良い人になってしまうことに気づきませんか?

 

 

物わかりが良すぎるせいで
自分から都合の良い人になってしまうんですね。

 

 


物わかりが良すぎると
都合の良い人を好む、自己中心的な人が周囲に集まるようになります。

 

さらに物わかりの良さを要求されるようになります。

 

物わかりが良くても感謝されず
物わかりが良くても愛してくれず
そうしてどんどん搾取されてヘトヘトになっていきます。

 

 

 

それだけではありません。

 

 

人に敬意をもち、人を大事に出来る人は

物わかりが良い人を好まないんです。

 


お互いの都合を加味して折り合いをつけていきたい

 

お互いに無理をせず、ちょうどいい所を探したい

 

お互いの気持ちを大事にしたい

 

お互いの間に起きたことの責任は半分にしたい

 

 


こんなふうに考えているので

全て自分のせいにして抱え込んで一人で我慢してしまう物わかりの良い人とは

上手くやれないんですね。

 

そして自分のことを大事にしてくれるような人には

避けられてしまいます。

 

 

 

こうして
物わかりの良い人の人間関係は

 

自分のことを大事にしてくれる人に避けられ
自分のことを利用する人に囲まれて

どんどん搾取されていく関係だけになってしまいます。

 

 

 


私もまさに
ずっとこんな人間関係でした。

 

人と繋がっているためには

人の要望をすべて受け入れ、人の役に立ち

ひたすら誰かのために尽くし続けるしかないんだと思っていたんです。

 

 


本当につらいですね。

 

 

 

 

問題はこれだけではありません。

 



物わかりが良すぎて

人が自分に対して失礼で理不尽な関わりをしてきた時にも怒れません。

 


相手にはこういう事情があったから責めてはいけない

 

相手は悪気は無いんだから許さなきゃいけない

 

相手も悪いけどそもそも自分にも原因はある
相手も悪いけど自分も悪い

 

これは仕方が無いことだからあきらめよう
どうせ上手くいくはずが無かったんだからいい

 

酷いことをされたけど
自分はそう扱われても仕方ない人間だから怒るのはおかしい・・・

 

 

 

こんなふうに

 

怒って当然の場面でも

相手の事情を優先し、相手の気持ちを考えます。

 
世の中の理不尽や不運を当たり前のように感じ
何事も無かったようにあきらめて受け入れてしまいます。

 

 

 

そうするとどうなるでしょうか。

 


自分がショックを受け、傷ついた気持ちや
恥ずかしい気持ちや悔しい気持ち、怒りの気持ちなどが感じられなくなります。

 

自分の本当の感情が分からなくなってしまいます。

 

 

 

失礼なことや酷い扱いを受け入れてしまうせいで
酷い扱いに慣れ、鈍感になっていってしまいます。

 

どんどん自分の価値を下げ、自尊心を下げていってしまいます。

 

 

 

不運や酷い状況を受け入れてあきらめてしまうせいで
酷い環境に慣れ、鈍感になっていってしまいます。

 

どんどん酷い環境から抜け出そうと思えなくなり
どんどん力を無くして抜け出す力が無くなってしまいます。

 

 


つらいですね。
私もそうでした。

 

絶対にこの真っ暗闇から抜け出せるなんて思えないんですよね。

 

絶対に物わかりが良すぎることをやめたいですね。

 

 

 

こんなふうに物わかりが良すぎることは
とてつもない生きづらさに繋がってしまうんです。

 


でも
物わかりが良すぎるのはあなたのせいじゃありません。

 

最初に愛着障害を持つ人は物わかりが良すぎるとお話ししました。 

 


物わかりが良すぎる人間になってしまうのは
「物わかりが良くないと親に愛されない」と思わされてきたからです。

 


そういう場面が沢山思い浮かぶのではないでしょうか。

 

 

 

本当は嫌だ!と言いたかったけれど
ほんの少しでもそれを出したら親は冷たくなった

 

本当は自分の気持ちを言いたかったけれど
ほんの少しこぼしただけで親にうんざりした顔をされた

 

本当は自分は悪くないと言いたかったけれど
ほんの少し抵抗しただけで親に馬鹿にされた

 


そうして次第に
自分の気持ちを殺して良い子になって
親の気持ちや望みを最優先にするようになっていったんですね。

 


「物わかりを良くすれば人の機嫌をとれる」と学んで

 

どの人間関係でも自分の気持ちを押し殺して

人の気持ちや望みを最優先にするようになってしまったんです。

 

 


どうでしょうか。

 

物わかりが良すぎる子どもは
とても健気で一生懸命で何も悪くないですよね。

 

物わかりが良すぎる大人も、本当は何も悪くないんですよね。

 

 

 

ですが大人になってしまいました。

 

本当に悔しいことですが
嘆いていてもこのまま変わりません。

 

何とかして
自分で自分を変えていきませんか。

 

 

 

「物わかりを良くすれば人の機嫌をとれる」

 

私たちはそう学んでしまいました。

 


これは間違いだったんですね。

 


「物わかりを良くすれば自己中心的な人の機嫌をとることになる。
 そういう人が集まってさらに物わかりの良さを要求されるようになる」

 

「物わかりを良くすれば都合良く扱われるようになる」

 

「物わかりを良くすれば余計に人に愛されなくなる」

 


これが正解です。

 


そして

 

「物わかりの良いことは自分の長所ではない」

 

「物わかりの良いことは自分気持ちに嘘をつくこと。人にも嘘をつくこと」

 

「物わかりの良いことは酷い環境から抜け出せなくなること」

 

このこともしっかりと分かって欲しいことです。

 


長く染みついた習慣を変えるのは簡単ではありませんが

 

ゆっくりと
「物わかりが良すぎる」自分から抜け出して

 

これからは

自分を大事にしてくれる人と

自分らしく自由に生きていきましょう。

 

 

 

 

 

 

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