逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

YouTubeについて思うこと

齢47にしてYouTubeにハマる・・・

 

 

言葉にはしていなかったけど


「YouTubeなんてテレビの下位互換」

「私はテレビで育ったんだ。テレビはすごい」

「下積みから努力してテレビに出られるようになったタレントのほうがすごい」

「YouTubeはgoogleみたいなもので本や辞書でしか得られないようなものが不足する」


なんて偏見だらけな考えを持っていたよ。

 


ごめんなさい。はずかしい・・・

 


私はいつもそう。


先取りしてきたこともあるけど、先取りできなかったものは最後の最後まで抵抗する。

考える時間があると、新しいものを取り入れるのが怖くなっちゃうのもあるし、今さら変われるかみたいな頑固さも出てきちゃうようで。

 

でも結局は「良いものは良い」と認めるから敗北するんだけどねぇ。

 

古いものにしかない良さもあるし、新しいものの優れたところもある。

こんなことは当たり前だけど、古いものに愛着を感じすぎてしがみつきたい私は新しいものの価値を下げたがる。

 

最近のテレビが変わっちゃったのもあるかな。

昔の感じだったらまだ私の中ではテレビの方に軍配が上がってたと思う。

 


YouTubeを見るようになって気づいたけど、今のテレビ番組の多くは残念ながらYouTubeに敵わないよね。

 

YouTubeを取り上げて芸能人がそれを見ながらワイワイ


YouTubeで15分で得られる情報を余計な情報などで薄めながら1時間に延ばす


YouTuberが自分らしくいきいきと話しているのに対し、テレビでは忖度だらけ

 

 

本当に私はテレビが好きだったのになぁ。

 


親から何一つ教えられず、何の娯楽も教育も与えられず、常識なんて欠片も持ってない親との関わりだけで常識的な大人との出会いもなかった私。  

テレビを見て世間というものや、普通の人について学んだ。

 

本当にテレビに育てられてきたと思っていて、勝手に恩があったけど・・・やはりYouTubeを知ってしまうと今のテレビ番組は見られない。

 

あぁ悲しい。

 


多くの人が「親は偉大じゃない、ただの一人の人間だったと気づいた。それを認めるのは苦しい」と言うのを聞いてきた。

この苦しみを理解出来てたつもりだったけど、やっと本当に理解出来た気がする。

 

一緒の話にしてごめん(笑)

 


ただテレビからYouTubeに興味が移ったっていうどうでもいい話だけど、私にとっては大きい出来事だったのです。

 

 

さて、どんなYouTubeを見てるか発表しちゃいましょう。

 

 

私がとにかく楽しくて仕方ないのが海外のことを知れるチャンネル。

 


小学生の時にテレビでよく洋画を見てた。そこで海外に強い憧れを持った。

 


外国人の美しさ。

彫りが深くて目がぱっちり、鼻も高くて、背が高くて手足が長い。

今は日本人特有の美しさも理解してるけど当時は外国人しか美しくないと思っちゃうくらい偏った憧れがあった。

 

海外の洋服やインテリアのセンスの素晴らしさ。

とにかく好みで。当時の日本にはこんな素敵なのは全然無かった。

 

 

あとは外国人の底抜けの明るさや主張の強さ、わかりやすいコミュニケーションが自分にピッタリだと感じた。

 

学生時代、クラス替えするたびに「帰国子女?」と聞かれる事があったんだけど、私は海外のコミュニケーションの方があってたんだろうな。

 

発達障害でなじめない部分もあったけど、日本だからこそ私の振るまいがおかしいとされることも多かったんじゃないかと今は思ってるんだ。

 

 

本当は留学したり、英語をマスターして海外に住むとか出来たら幸せだったと思うけど

 

自叙伝を読んでいただけると分かると思うけど、私の人生、生きるのに精一杯で英語を学ぶ余裕も、海外に行けるチャンスも全くなかったからねぇ。

 


大人になった今からだって遅くないと思われるけど…

 

今のお仕事、現代の日本人の心性を深く知っていく、心の病のことを細かく深く知っていく、日本語の語彙を増やす、日本語の表現力をつけていく、目の前のクライエントさん10数人に寄り添い続けるっていうのが大事で…

 

これと同時に英語は・・・私は無理だ~

 

語学が堪能な人は、深く人に寄り添うような人より、軽々と動き回る人ばかりなのは、当然な気がするな。

 

 

 

話がズレまくったけど、そんな背景があって外国の日常を知れるだけで私は今しあわせ~


・Kevin's English Room

・US生活&旅行

・今日ヤバイ奴に会った

 

 

あとは相変わらず人間の光と影を見るのが好きな私はyoutubeでも・・・


・にんげんTalk

・月光夫婦のシネマ

 

 

ぎんちゃんだけでは飽き足らず、他のうちの猫ちゃん・・・というか猫飼いさんや動物飼いの生活を見られるのが楽しい。


・元野良猫チャチャとR me

・ある家族と、白い迷い猫。

・エミューちゃんと二人暮らし

 


そして最近は筋肉バカになりつつあって、一日中こちらのyoutube見てることも。


・Miyako's Channel

・ザ・筋肉TV 2nd

・山本義徳 筋トレ大学

 


勉強になるし、視野が広がるし、良い影響がもらえるし、元気がもらえるし、心があったかくなる。

今の私はYouTube無しではいられないーーー!

 

本当に無料でこんなの、ありがたすぎるね。

 

YouTubeすばらしい・・・と思ったけど、私は出会えたのが今で良かった。

 


もし心の病MAXの20代前半にYouTubeに出会っていたら・・・?
人生を変えようと必死になってた30代前半にYouTubeに出会っていたら・・・?


私はこんなに心を回復させることは出来なかったかもしれないし、何も成し遂げられなかったかもしれないと本気で思うんだよね。

 

私がここまで必死に頑張ってこれたのは、つねに苦しくて仕方が無くてそれを消したかったからだったと思う。あとは飢えていたせいで強く求めてたから。 

 

苦しさがそこまでじゃなかったり、飢えを感じられなかったら、必死になれなかったんじゃないかな。

 


まともな人と関われない、酷い孤独。現実が全く動かない、酷い退屈。見える景色が変わらない、酷い閉塞感。

この苦しみから抜け出すためには、膝を抱えて部屋に閉じこもっているわけにいかなかった。

世の中が何もかもわからないことだらけで、自分の足で動いて世の中を知っていくしかなかった。

 


youtubeがあれば、まるで近い距離で関わっているかのように素敵な人の生活をのぞける。
まるで親しい人のように話かけてもらえる。

 

面白いことはいくらでもあって退屈しない。

 

YouTubeを見れば色んな悩みを抱えた人や乗り越えた人がいて、わからないことがほとんどない。

 


多分私は動かなくなってしまったんじゃないかな。

 

 


YouTubeは人が人を求めるモチベーションを奪って、自分の足で動き回って色々知っていきたいと思う行動力を奪ってしまうんじゃないかと感じてる。

 

なんか嫌ーなこと言っちゃってるね。

 

 

YouTubeを上手く使えば豊かな人生を作っていける。

でも、YouTubeのせいで、なんとなく隙間や空虚を埋めてしまって飢えることが出来なくて、自分の人生を変えられない人がいたら・・・

 

そろそろ自分の経験を増やさなきゃいけないって気づいてほしい。

 

 


私はきっとYouTubeやSNSの無い時代を過ごせたから今があるんだよね。


気づかずに人生を停滞させてしまっている人、人生を変えられない人が、観客をやめて自分がプレイヤーになれば、本当はもっと自分らしい人生を作っていける。

 

 

みんな楽しそうなのに、どこか諦めのような空気、空虚な感じがするのは、自分の人生をいきいきと味わいながら生きられてないからだと思うんだよ。

 

 

寂しくないし、退屈じゃないし、楽しいし、困っていないし、何も望んでない・・・なんて言わず


本当はやってみたかったこと、なりたかった自分、寂しさを感じてる自分、飢えている自分から目を反らさず、たった一回の人生、もっとめいいっぱい生きてほしい。