逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

楽なだけじゃ幸せじゃない

もこが亡くなってもう7ヶ月が過ぎた。

 

 

もこが居なくても日常を過ごせるようになってしまった・・・

 

もこの一年の闘病から亡くするまでのことは、きっと誰かの役に立つから書き残さなきゃとは思ってるんだけど、まだつらくて書けない。


今も、もこが居なくてもヘッチャラってわけではなく、悲しみを掘り下げないようにしながら過ごしてるだけ。

 

もこの動画を見れば、会いたくて仕方なくなって、この世にいないんだという現実を突きつけられて、どうせ号泣する。


かといって、もこのことは忘れたくないので、ちょっと笑いを交えながら、大好きだったもこをじんわりと思い出すことはしている。

 


そんな感じで、もこが亡くなってからの良い変化を不謹慎にも書いてみよう。

 

 


もこが亡くなってから・・・黒い服が着られるようになった!!


黒い服は本当に無理だったの。

 

もこは短毛種だというのに、フワフワモコモコのボリューミィーな子。

 


15年間、ほぼ毎日、換毛期には一日二回ブラッシングをして、掃除機をかけても、いつのまにか部屋のはしっこにふわふわと毛のカタマリが。

 

部屋中コロコロして、洋服を着たら必ずコロコロしたって、どこからかすぐに毛がつく。

黒い服を着ると埃つきまくりのみすぼらしい雰囲気になってしまうのだ。

 


なんせもこは白猫ではないけど、白いとこ多め。白いから目立つ。

 

 

それが今や、ぎんちゃんのブラッシングは毎日してるけど、掃除機は3日に1度。

それなのにふわふわとした毛のカタマリは落ちていない。

 


出かけるときにコロコロをしっかりすれば、真っ黒な洋服を着ても目立つほど猫毛がついていることはない。

ぎんちゃんは茶トラだしね!

 

 

 

そして

猫のマー掃除をしなくていい。

猫という生き物はよく吐くものだと本を読んで勉強してた。

それにしても、もこはよく吐いた。 

 


病気になってからはもちろん、若いころから毛玉から何からよく吐いてて。


ケコッケコッと始まるとすごいスピードでキッチンペーパーを用意し駆けつける。

もこは何故かベッドやソファやラグ、置いてあるカバン、コンセントや電化製品に向かって吐く。


どんなに高いソファもラグも、必ずもこのマーの洗礼にあって、必死に清掃するけどシミがつき、ラグなんか頻繁に買い替えることになってた。

 

 

ケコッの音に敏感で、いつも気が休まらなくて、冷蔵庫の音やポットの音、加湿器の音にキッチンペーパーを持ってもこの元に駆けつけて、もこが「なんなのよ。冤罪よ」って顔してたの思い出すな。

 

 

ぎんちゃんはめったに吐かない。
換毛期に1.2回毛玉を吐いたのと、急いで食べ過ぎて戻しちゃったくらい。

一ヶ月に一度も吐かないかな。

 

もう今は油断しまくり。
吐く心配とか、ラグとかソファ掃除の大変さとか買い替えとか考えなくていい。


なんて楽なんだろう。

 

 

 

さらに、出かけるときにイタズラ対策をしなくていい。


もこは本当にやんちゃな子だった。

1.2歳まで・・・とかじゃなく、病気になる直前までずっとイタズラしてた。 

 


若い頃はもう大変!

棚の中に入れたフードも、棚を開けて囓る。
絶対に届かない高い所に置くか、開けられないように細工しないとやられる。


キッチンに食べ残しのゴミが少しでもあれば、キッチンに乗ってゴミを漁る。

 

14歳になっても、キッチンにぎんちゃんの食べ残しとか置いといたらキッチン漁ってたな…

 

バタバタと急いで出かけて、キッチンをしっかり確認していないと・・・必ずやられる。

 

だから毎日、帰宅時に扉を開ける時、今日はイタズラをしていないかとヒヤヒヤした気持ちで「ただいま~良い子してた?」って聞いてたっけ。

 

 

それが今。
ぎんちゃんは良い子すぎる。
ゴミを漁らないどころか、キッチンにささみを置き忘れても、ちゅーるを置き忘れても、フードが入れてある棚が開きっぱなしでも、何にもしない!!!


しんじられない・・・


決して食が細い訳ではなくて「ごはん!ごはん!」って要求は激しいのに、イタズラをするという概念がない。

 

 


まだまだある。


私が猫を飼っていて苦しかったのは鳴き声や、ドスンドスンという音。

私自身が音がうるさいと言うより、近所の人に迷惑がかかる・・・という心配でいつも大きなストレスを抱えてた。

 


もこはとにかく鳴く。

ご飯の時間の1時間前には「腹へった~」「はやく~」とご飯が出るまで鳴き続け

暇でかまって欲しくなると「かまって~」「暇なのなんとかして~」と鳴き

さみしくなると「お前から撫でに来い」と鳴いて呼ぶ。

 

鳴くだけじゃなく、ドスンドスンと音を立てる。

もこは元気な老猫で14歳すぎても80センチくらいのスツールや出窓ののぼり降りを一日20回くらいはしてて。


夜中に私を起こすためにのぼり降りをするのもお約束。


歳をとってもトイレダッシュも毎日激しく欠かさない。

 

とにかく騒がしい子だった!笑

 

 

それがぎんちゃんはまぁ~静か。


うるさく鳴くのは食事の準備している1分、トイレ直前に「出ますよ!出ますよ!」と1分。

あとはTwitterにあげてるけど「かぁさん」「好きよ」とソフトに可愛く鳴くだけ・・・

 

 


ラスト!


夜もすんなり眠れる、朝もゆっくり眠れる。


こんなの初めて!!

 


もこは夜寝るとき、私を寝かせまいとする。

ベッドの回りをバタバタと走り回ったり、枕元の出窓で外を見ながら鳴いたり音を立てたり。

 

朝は朝で起床1時間前、日によっては2時間前にスツールからどーん!と飛び降りて爆音出したり(本当は静かに降りることもできる)、出窓からベッドにドスンと振動をたてたり。

 

直接ちょいちょいと起こすと怒られると学び、このスタイルになったんだけど、こっちの方が迷惑だったよ・・・

 

 

それがぎんちゃん。

寝る前はさみしがって、足元にベタベタして離れない。

でも「おやすみね」と私がベッドに入ると、すんなりサーッと去って行く。
なんなら、こっちがさみしいくらい。

 

 

朝も、まーーー静か!
私が起床30分前に目が覚めて、そーっと薄めで見てみたら、なんとぎんちゃん、ベッドの下でスックと立って私が起きるのを静かに待ってる。
なんと健気・・・

 

 


以上、もこが居なくなってからの良い変化でした。

 

 

いやもう、猫を飼うってこんなに楽なの?って驚いてる。


もこが特別大変な子だったのか、ぎんちゃんが良い子すぎるのか。

 


当たり前だけど「楽になった~もこ居なくなってよかった~」なんて思うわけがないね。
大変でも良いから、もこには居て欲しい。

 

 

楽だから幸せかってそれは別物だ。

 

 

カウンセリングをしていると皆さん自由をのぞむ。


親子関係で不自由な思いをしすぎて、逆にそうなっちゃうのも分かる。

 

 

私も自由が大好き!

忖度とか同調圧力とか、束縛とか洗脳とか、そんな不自由には全然負けない。
普通はどうとか、皆がどうとか、人がなんやかんや言ってきても、私がやりたくなければやらない。

だからこんな仕上がりの人間になっちゃってるんだけど。笑

 


だけどね、自分で選ぶ不自由は大好き。


やっぱり人と深く付き合う、人の面倒をみる、動物を愛するとかって、超不自由で面倒なこと。

 

自分の思い通りにならない。自分の都合ばかり優先できない。自分の好きなことばかり出来ない。

でもそうやって、愛するがゆえに納得して譲る、自分の時間と労力を使うからこそ、愛情は深くなっていくんだよね。

 

今の時代は好き勝手に自分のためだけに時間と労力を使う形の自由ばかり求めている気がする。

 

自由を求めなきゃいけないのは、自分の心の中だし、忖度しない、同調圧力に屈しないことだと思うんだよね。

こちらはガチガチに不自由なままなのに、愛するもののために不自由になることは絶対に嫌だと思ってる。

 

束縛は別だからね!

「義務」とか「責任」とかで不自由になってるのは、自分の内側から「与えたい」と思えていなくて、自分で選んで不自由になってない。

 

愛するもののために自分で選んで不自由になれないと、本当に愛することも愛されることもないと思うんだなぁ。

 

 

愛着障害の人の親がこんな人が多い。

 

愛着障害の人は「親は悪い人じゃないんだけど・・・」と言うことも。


だけど、子どものために不自由になりたくないから自分勝手だし恩着せがましい親。自分は愛情を感じられずに大人になってしまってる。

 

悪い人じゃなくても、自分の自由を無くしてまで愛することは出来ていないせいで、子どもは苦しんできてる。

 

 

 

愛し愛されたいなら、子どもや動物を愛したいなら、多少の不自由は致し方ないことじゃないのかな。


もちろん、自分を削りすぎて捧げすぎて自己犠牲になるのも違う。

自分の幸せも確保しつつ、愛するもののために自分を捧げる。
それは短期決戦じゃなく長く愛し続けなきゃだから。

何十年も続く関係では自己犠牲だけで破綻しないはずがないからね。 

 


自分を捧げるのは楽じゃないけど、愛情が返ってくるのは何よりも幸せだ。

 


なんか深くなりすぎちゃったね。

 

とにかく愛する者のために多少不自由になる幸せを、もっともっと皆にも知って欲しいっていつも思ってる。


まぁ、もこは15年みっちり私を不自由にして幸せにして逝ってしまいましたが、私は本当に幸せだったよ。


これからも、私は自由に生きながらも、愛する人に不自由にされながら幸せに生きていくんだろうな。