逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

愛着障害のギフテッドは傲慢になりやすい

「何か突出した才能をもつ者は自分の能力を高く見積もりやすい」

 


よく言われていることですがこれは想像がつきますよね。

 

たった一つでも偏差値75の教科があれば、他の教科はいまいちであっても自分は頭がいいと思うのも自然なことかもしれません。

 

では勉強では無く、何かの才能が偏差値75くらいのレベルであったら・・・?


スポーツの才能
音楽の才能
芸術の才能
経営の才能
投資の才能
お金を稼ぐ才能・・・

 

なんとなく自分は普通の人とは違う、選ばれし者だと思ってしまいそうです。

 


愛着障害のギフテッドはどうでしょうか・・・?

 


ヤングケアラーだった人は別として、このように突出した才能がある場合が多いのではないかとカウンセリングをしていると感じます。

 

そして自分の能力をかなり高く見積もっている人も多い。

本当に他の人に比べて突出して優れた人間なのでしょうか。

 

 

 

愛着障害の人は、その障害のせいで感情を感じられない人が多く、親密な人が居ないことが多くコミュニケーションも最小限のものです。


それにより大変な苦しみはあるのですが、感情面をオフに出来る、親密な人が居ないというのは一部の才能を伸ばすという点では実はかなりのアドバンテージなんです。

 


感情があるからこそ人生をめいいっぱい楽しめる。

 

でも喜怒哀楽はかなりのエネルギーを使います。

 

さらに感情が大きくなるとどんなに頭の良い人も理屈では説明できない言動をとってしまうというリスクもあります。

 

希望を持ったり絶望をしたりするのも人生の面白さではあると思いますが、安定して楽々と前に進むためには邪魔なものです。


恋愛や色んなことに情熱を持つなどで、冷静になればわかることもわからなくなり、馬鹿なことをやってしまう。
それもまた人生の楽しみだと思いますが、つねに冷静沈着で上品で間違いの無い言動をとるためには、大きな感情は邪魔なだけです。

 

親密な人が居ることは人生の大きな幸せの一つですが、その分の負荷や責任もあります。
自分も与えてもらう分だけ相手にも与えなければいけません。

 

嫌々付き合うのではなく楽しい時間であっても、人付き合いの時間をとるということは、人と一緒に過ごす時間が増える分だけ自分の能力を高めるための時間は少なくなります。

 

 


このように、愛着障害のギフテッドの人は「感情が感じられない」「人と親密な関係が築けない」ことで本当に苦しい思いをしてきているものの、そのおかげで突出した才能を伸ばすことが出来ている部分もあるんです。

 


それなのに、わかりやすい能力の高さや成功によって「自分はすごい」と思っていて、いつも人を何となく見下してしまっている。

 


また、大きな感情によって馬鹿な言動をとることもないので、感情的で説明のつかない言動をとる人を「頭が悪い」「自制心が低い」と思って見下してしまっている。

 

もともとの愛着障害でコミュニケーションの問題があるのもありますが、それよりもこの「見下す」空気で人に愛されづらくなっている人もとても多いんです。

 


人と親密な関係を築いてきた経験があれば、人が感情にどれだけエネルギーを割いているか、人が人のためにどれだけエネルギーを使っているかが分かります。

 

だからそこをカットしてある能力だけを高めて来た人と、人間関係にもエネルギーを使いながら他の能力もほどほどに高めて来た人と比較すると、エネルギーの全体量としてはそれほど大きな違いはないことも何となく感じられるのではないでしょうか。

 

 

自分が大きな感情をもって生きてきていれば、頭で分かっていても「どうしてもやってしまう」ことが起きると分かります。

だから感情的になって間違えた行動をとることと、頭の悪さや自制心などは関係ないとわかるはずです。

 

カウンセリングが進んで大きく感情を感じられるようになると、人を見下してその人も同じように感情的な間違えた行動を取るようになります。

その時に初めて「自分もやるのか!」と気づくんですね。

 

 

 

愛着障害のギフテッドの人は、親の養育のせいでもありますが「人間力」よりも見えやすい才能の部分しか見ないので、それ以外のさまざまな才能を持つ人のことを尊敬できないんですね。

 


あとはギフテッドの傾向でもあり愛着障害の傾向でもあると思うのですが、怖がりのために「傷つきたくない」「ショックを受けたくない」思いが強いせいで、傲慢になってしまっている人も多い印象です。

 

自分が傲慢で居られる場所を選んで動かないんですね。

 

 

・自分が得意なことだけをする
・失敗をしそうなことはやらない
・自分を好きでいてくれる人や尊敬してくれる人としか付き合わない
・褒めてくれる人の言葉しか受け入れない

 

 

一見何も悪くないようにも思えます。


鬱の時や、一時的に自信を喪失してしまった時などはこれが正しい方法だと私も思います。

 


でも人生を通してこうしてしまうと・・・
自己愛性人格障害レベルの傲慢さを持つことになってしまいやすい。


一生そうやって過ごせるとしたら、それもまた幸せな人生かもしれません。

 

でも今はSNSなどで色んな人を見ることになります。

ふと変化が欲しくなって新しい場所や新しい人を求めた時に初めて「自分は完璧では無い」「自分は大したことは無い」と知って絶望することになります。

 

 

多くの人は早いうちにこの絶望を何度か経験して傲慢さは薄れていきます。

 

でも愛着障害のギフテッドの人は突出した才能があるがゆえに30代40代、その先まで上手に逃げ続けることができてしまってる人が多い。

私はこれを良かったとは思いません。悲劇だと思うんです。

 

 

自己愛性人格障害になって年齢を重ねてくると、もう「自分はすごい」「自分は間違ってない」妄想から目を覚ますのは難しい。

 

何十年も信じていたことを壊す怖さに耐えられないんですね。

 

 

カウンセリングが進むとほとんどの人が「普通の人のすごさを知った」というんです。
本当に気持ちをよく言葉に出来ていると思います。

 


自分が優位な人間関係、有利な場所にばかりいないで、色んな人と関わりを持ってみる。
色んなことに挑戦してみる。
自分の問題点から逃げずに探してみる。 

 

そうしていくうちに、自分が普通の人が時間をかけて身につけてきたことや経験してきたことが抜け落ちていたと気づくんですね。

 

 

感情を取り戻して、しっかりと感情を感じながら日常を過ごしていく。

 

そうしていくうちに色んなことに気づけるし楽しいし幸せだけど意外と疲れる、一つのことばかりやっていられないと気づくんですね。

 

 

人間には成功やわかりやすく人から褒められる能力以外の能力や魅力も沢山あります。
実はそっちを身につけるのは本当に大変です。

 

人からの賞賛が無くても、自分のやりたいことの達成感が無くても、人との温かい交流のためや絆のために力や時間を使うなんて信じられないと思います。

 

 

もちろん、成功だけを追い求める、分かりやすく人より優れていたい、自分がやりたいことだけをやっていたい、それだけで人生を終えても幸せだと感じている人は傲慢なままでいいんです。

 

 

もし、人と温かい関係を築きたい、人を愛し愛されたいと思っているなら・・・
自分自身に欠けている人間力の部分をしっかりみて、見下していた人たちのすごさを分かるようにならないといけないんです。