逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

あなたの心に今必要なのは?

最近はすっかりブログにうつつを抜かしてTwitterをお留守にしています。

 

私はTwitterが難しいよう。

何度も何度も同じことを繰り返してるな。

 


私のカウンセリングを受けられない人の心も回復させたい!

 

言葉の影響は絶大だから毎日見てもらいやすいTwitter頑張ろう!

 

・その場しのぎでない心を健康にする言葉を呟こうとすると分かりづらくなるし面倒な内容になるのでいいねつかない
・人それぞれキャラクターや心の回復度合いによって必要な言葉が全然違うから誰を対象に呟いたらいいか分からなくなって混乱する

 

人の回復の役にも立てないし、いいねもつかない・・・見返りもなく自分なりに頑張ってやってるから余計に無力感・・・

 

 

 

ボガーーーン !!!!
Twitterから逃走・・・

 

 

 

何度やっても折り合いがつかない。

 

 

「心に良いもの」って難しい。

 

今は特に対症療法っていうのかな。
今をやりすごす、今楽になる、今一旦症状をなくすみたいなものがウケる時代。

 

 

何度も絶体絶命のピンチを経験してきた私は、命を守るためにそれがどれだけ大事なことかも分かってる。

 


だけどそうじゃない状況なら、今の楽を取って根本的なところを治さないってことは、問題の先送りでしかなくて、ほとんどの場合は問題をさらに悪化させていってしまう。

 


そしてそれは老いていく人間、命に限りある人間にとっては本当に取り返しのつかないことなんだといつも私はハラハラしている。

 

 

私のクライエントさんが30歳40歳50歳60歳・・・でやっとのことで心を完全回復させて、もう本当に幸せな気持ちになったとしても、どうしても乗り越えられない思いがある。

 


「あと10年、20年前にこうして回復できていたら・・・」

 

 

全く違う人生になっていたと分かってしまう。

 

大変な苦労の連続だったけど、あんな苦労はしなくて済んだ
あれもこれも諦めたけど、今の心だったら手に入れられた
この幸せな時間をもっともっと沢山味わいながら生きられた

 


この後悔はもうどうしようも出来ない。

 


そうだよね。もう悔やんでも悔やみきれない。


私もこの思いが強すぎるから、人にはなるべく早く人生を取り戻して欲しいって思って必死にカウンセリングしてる。

 

 

私は自分の気持ちに折り合いをつけるため、「私の犠牲が無ければ人を助ける力を持つ今の私にはなっていない」「私は回り道をして回復したから誰にも出来ないことが出来てる」とよく考えてる。

 


今は本当に自分の人生を愛しているけど、他の人がこの苦しみを味わって人の役に立つ人になればいいなんて・・・思えない。

 


やっぱり育ちのせいで奪われてきた人生は、少しでも早く取り戻して幸せになってほしいと思うんだよ。

 

 


今その場しのぎをすること、問題があっても絶好調ではなくても放置すること、面倒なことを避けて楽だけを追求すること。

 

それがいけないことなんて思わない。人それぞれの選択がある。

 


でも私は思うんだけど、「こういう危険がある」「こんな素敵な未来がある」ことを知らずにした選択はどうしたって間違う。
その人の選択ではあるけど知らないせいで間違うのは悲劇。

 

 

だから、その場しのぎの今の行動を続けていたらどんな危険があるか、今できることを少しずつ増やしていったらどれだけ豊かな人生になるかをいつも人に言いたいんだよね。


十分に知った上で先送りを選ぶなら、それはその人が自分で選択して結果の責任を追っていくんだから悪いことじゃない。

 

 


話を戻すけど、私がTwitterが難しいのは人によって正解が違うから。

 

心のつぶやきのインフルエンサーの人を見てると、正解は一つ。
多数派の平均的な状態の人に届きやすいし、単純明快でわかりやすくスッキリした気持ちになりやすいから人気なのもわかる。

 

でもさ・・・本当に心は回復しているかい?

 

 

私のカウンセリングを求める人はかなり両極端のどちらかになっていてバランスを大きく崩してる。

 

例えば

 

現実的すぎる or   現実逃避しすぎる


人を求めすぎ or   人を拒絶しすぎ


ポジティブすぎ or   ネガティブすぎ


感情が無い or   感情があふれすぎる

 

などなど・・・「ポジティブ」「自立」「冷静沈着」みたいに一見良さそうに見えるものだって極端になっていたら毒だし、コントロールしてるわけではなく勝手にそうしてしまう、それしか出来ないならそれは問題を抱えてる。

 


だから何か一つの状態を良いものとしたり、コントロール出来てない所は見ずに立派な人格者だとするのは大問題なのに・・・

Twitterではそんなことばかりで私はため息しか出ないよ。

 

 


生きるか死ぬかの状態の時は正解は一つ。
その状態を脱するためには人から何て言われようと楽に緩めて世間から離れて、エネルギーを回復させること。

 


でもエネルギーが戻ってきたら、二度と鬱にならないために必要なことはたくさんある。

極端な部分を無くしていくこと、自分で自分をコントロールできること、支え合える人間関係をつくることなど…まだまだ他にも。

 

 

 

これが人として正しいよねとか、理想の人間像だよねとかはその先のこと。 


まずは間違えてばかりでも残念な人間でも、鬱に二度とならない状態になるのが先。
そこから少しずつ自分を誇れるような人間を目指して努力をしていけばいい。

 


鬱を繰り返しているのに、先に「立派な人間」を目指して必死に努力して自分を責めていたら、本当の問題は絶対に解決しないんだよう。

 

 


難解な問題を解くときほど、基礎がしっかりしていないとダメなんだと思う。

 

 

私もね、学生時代英語が苦手で成績は2!全然出来ない状態で、大学院受験のために英語で心理学の論文を読めるようにならなきゃいけなかった。
沢山専門用語の単語を覚えて、何度も何度も長文を読んで勉強してもわからない。


ピリオドまで3.4行のすごい長文、今まで聞いたことも無い内容、知識も無い難解な内容で絶対に勘で読める内容では無い・・・

 

そこで恥を忍んで文型を学び始めた。
中学の参考書でSVから。こんな簡単なもの、わかってる!なんて気持ちと戦いながらしつこく文型ばかり学んだ。

 


その後、長文を読んだら・・・読めた!
びっくりした。
あれだけ努力してもダメだったのに、しばらく長文に触れてなかったのに読める。

 

心の問題もそう。


どんなに優秀か、賢いか、さまざまな経験豊富か、努力家か・・・は関係ない。
必要な土台をすっとばしていたら、回復は難しい。

 

こんなに努力をしても回復しないと困っている人は、努力不足なんじゃない。
その場しのぎの方法をとってしまっているか、今の自分の状態にあっていないか、必要な土台が抜け落ちているかだよ。

 

Twitterだとこういう複雑なことは語りきれないから、またブログで書いていこうかなと思ってます。


Twitterと違って読むのは面倒だけど、心の回復のため、これからブログを読んでやってねー