逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

お久しぶりです

みなさま・・・ご無沙汰しておりました!
なんと2年4ヶ月ぶりでございます。

 

あまりに文章を書くことをしてなかったので書き方がよくわからずアワアワしながら今書いてます。
読みづらかったり面白くも何ともなかったらごめんなさい。

2年4ヶ月のことをお話ししますね。

 

ブログを長く読んでくださっている読者様、さらに猫と私のカテゴリの記事を楽しんでくださっていた方には悲しいお知らせになりますが・・・

私の最愛の猫であり、私の精神科医、私の師匠、私の親友、私の子ども、私の栄養剤・・・たくさんの役割を担っていてくれた「もこ」が2月12日に亡くなってしまいました。

 

47年間の人生の中で一番のつらい出来事でした。
自叙伝で書いているように、私はずいぶんとつらい経験をしてきた方ではあるけど、これまでとは全く違うつらさであり、とてつもない苦しさでした。


私もずいぶんと幸せになって、うすうすは分かってたんです。このとてつもない苦しさを味わう日が来るんじゃないかって。

 

孤独の苦しさ、人を遠ざける苦しさ、自分にも人にも期待しない空しさ、愛せない寂しさは過去に散々味わってきた。
人生の最初から家族に恵まれた人たちは苦しみなんて知らずに楽々と過ごしてるなんて偏見を持っていたあの頃。

自分が幸せになってみたら「あれ・・・疑いようもなく愛し愛された存在を失う苦しさってとんでもないんじゃ」って思いはじめるように。

 

ずっと自分は愛することはできないし、愛されることもないと思ってた。
もちろん瞬間的に燃え上がるような愛のような感情を持ったことはあるし、何もかもを投げ出して愛してくれようとした人もいるけど、そうじゃない。

それってお互い都合の良い虚像をつくりあげて見ているようで、私の思う本当の愛ではないと感じてた。


良いところだけじゃなくダメなところも弱いところも見せ合って、時にぶつかることがあっても心から思ってることを伝え合って和解して、人生の荒波を何度も共に乗り越えてきて、危機はあっても変わらず何年も一緒にいる。

そんな愛。

 

そんなこと私にはとても信じられなかった・・・!


愛着障害で境界性人格障害で躁鬱が激しかった私。
人に本当の自分を見せるなんて、心から人を信じるなんて、ぶつかってわだかまりを残さないなんて、大きな人生の問題が起きたときに逃げずにいてくれるなんてあり得ないもの!


それが心を回復させてからは私にもそういう存在が3人もできた。2人は20年の付き合い。一緒に住んだこともあれば毎日のように話すような時期もあり、恥ずかしいところやみっともないところもお互いに見せ合ってきた。
そして生まれて初めての感情を知ったの。

 

「絶対に何があっても私から離れていかない」「私がどんなピンチになっても身を挺して守ってくれる」「私もどんなに大きないさかいがあっても一生離れない」「これまでの私の人生には無くてはならない存在だったしこれからも無くてはならない存在」
言葉にするとこんな感じで絶対的な信頼感、大きな大きな感謝がある存在。
これはあれだね、機能不全の家庭で育っていない人は最初から獲得してる気持ちなんだよね。

 

この生まれて初めての感情を知って新たに生まれたのは「失う恐怖」
もう想像もしたくない。無理だ・・・怖すぎる。
境界性人格障害の時に慣れ親しんだ恐怖の「見捨てられ不安」、あれだってその時は死んでしまうと思うくらいつらかった。
でもでも、そんなのは比ではない恐怖だ。
絶対に見捨てられないし絶対に見捨てない、こんな保証された安心や幸せがいつかは死によって壊されてしまうなんて。

 

話が逸れに逸れてしまったけど、この恐怖が「もこ」の死でやってきたのね。
猫だけども。私にとっては本当に大きな存在だったの。
20年の友人たちと過ごした時間も本当に長いけど、16年近く一緒に生活してきた「もこ」はもっと長い。
養父母との生活は12年、パートナーとの生活も7年の人と3.4年の人がいるのみ。
人生で一番長く生活した存在。


しかも「もこ」と一緒に暮らした16年は私が人生を取り戻そうと必死に生きてきた時期と丸々重なっている。

この時期の私を全部見て知っていてくれる存在で、この時期を支えてくれた存在。
私は元々楽しい時間を過ごした人よりも、つらい時に一緒にいてくれた人に強い愛情を持つタイプでね。もちろん楽しい時間もなきゃだめだけど、苦しいときも一緒にいられることが何より大事だよねって思う。

 

心の病のデパートで、ちゃんとした仕事もなく自信も無く、どうしようもなかった私がlilcafe開業して成功するまでずっと側で支えてくれた存在。
16年間は変化の時だったから、今ほど全然時間も精神的にも余裕がなく、十分な愛情を与えてあげられなかった。
それでも毎日嬉しそうに穏やかに幸せそうな姿を見せてくれてね・・・うぅ泣けてくる。

 

2022年1月にリンパ腫が発覚して闘病開始してから2023年2月に亡くなるまでは「もこ」のためにとにかく時間を作って一緒にいた。
出かけたのは寛解したと思われた8月に一度と私の誕生日に外食しただけで、ずっと「もこ」といたの。
闘病のことは改めて「猫と私」のカテゴリの方で書くけれど、めちゃくちゃ大変だった。でも愛する「もこ」の世話を全力でできたこの時間は本当に幸せだった!

 

亡くなってから半年経ち、「もこがいないなら生きていたくない」みたいな絶望的な気持ちは無くなってきた。
猫なのにと思われそうだけど、それくらいつらかったなぁ。


こんな感じでもこに捧げた1年とちょっと。
亡くなってからも長く続いた睡眠不足と大きなストレスで体調も中々戻らず。
3.4ヶ月しっかり眠ってやっと元気が出てきたかな。
やっぱりストレスフルな出来事は終わってからすぐ回復するわけはなくて、心も体も回復までしばらくはかかるね。


あとね、1年半前に本の執筆の依頼があって。
今までもあったけど悲しいかな、怪しいところばかりで。初めてちゃんとした出版社から依頼が来たの。
これがね、私にとってはとてつもない喜びでね。

 

私は読字障害があって本を20代後半まで読めなくて。読めても星新一みたいに台詞みたいに書いてあるもの。この影響か私もなんか行間あけて書いちゃうところがある。
本を読めなかったから、頭の中にたくさんの考えがあっても全然文章にならなくて。
大学院入試で論文を書く練習をめちゃくちゃしてやっと少し書けるようになって、このブログも下手くそながら書き始めたの。

 

だから文章にコンプレックスがある。頭の中に詰まってるものには自信があるのに、文章には上手くできない。
ブログも何年も書くようになって少しずつ上達して。ものすごい読書家のクライエントさんたちに「竹田さんの文章はすばらしい」って言われるようになって信じられなかったな。
「読書オタクからすると文章の上手さより内容の深さだよ」なんて言ってもらえたのも衝撃だったな。
そんな文章苦手な私が執筆依頼って、どれだけ嬉しいか伝わるかな。

 

これだけじゃない。
養父母のもとから逃げ出して天涯孤独でまともな仕事に就けずにホステスをやっていたころ、ダメホステスで何の魅力も能力もなくて誰からも評価されてなかった。

それなのに「私は本を出す」って言ってたの。
本当に何もない私だったからみんな冗談だと思ってゲラゲラ笑ってた。
私自身は本気で「私にしか分からない真実がある」「私の考えは人に必要とされる」なんて思っていたんだよね。すごい思い込み!笑
何度も笑われて悔しい思いをしてたのを思い出すな。

 

今や普通の人もバンバン本を出していて、こんなこと大したことじゃないと思ってる人も多いけど私にとってはこんな理由で本当に大きな夢が叶った瞬間だった。

 

ところがね、そこで「もこ」の病気が発覚して。
このお話はお断りしたの。

それだけの夢だったら闘病支えながら書けよって思われるかもだけど、それだけの夢だからこそ全力で書きたかった。
「もこ」のために全力で闘病支えたかった。だからお断りしたの。

またいつか10年後だっていいけど、チャンスはやってくるだろうと自分を信じてる。
みなさんも楽しみに待っていてね-!!

 


あとはlilcafe開業7周年でした!
早いね。信じられない。
7年あっという間すぎたな。
でもなんかあまりに天職すぎて自然に日々が過ぎていきすぎて・・・20年くらいやってるんじゃないの?って感覚もある。

 

いや苦しいことも多いけどもね、開業前だって同じことをしてた。しかも無料で。
カウンセリングと同じことを日々していて多くの人の心を回復させてきたのを思い出す。
でもそれは「お願いします」ってされていないし「カウンセリング」の形じゃないしね。感謝されることもお礼をもらうこともない。
居場所が悪かったせいで賢明な人がいなかったせいもあり後ろ足で砂をかけていくような人ばかりでね。

 

だから今お金をいただけること、さらに感謝までしてもらえるのが有り難すぎて。
私はお金になる能力も無いし報われることもないと思っていたけど、それは居場所が悪かっただけだった。

 

お金ももらわず、感謝もされず散々な人生ではあったけど、そのおかげで今とんでもないカウンセリング能力を手に入れられてる。

 

開業して7年、毎日のように思うのはクライエントさんに恵まれてる。
これだけ高額のカウンセリングを続けてくれる。適正価格、いや安いと言ってくれる方も多くて。なによりの褒め言葉だよね。
人生かけて身につけてきたカウンセリング能力、そして仕事だからと淡々とやってるわけじゃなく自分の人生をかけて熱心に取り組んでいる姿を認めてもらえるのは本当に幸せ。

もう少し力を抜かないと人生のバランスよくないなぁと思いつつも、まだまだクライエントさんを幸せにするために出来ることはどこまでもやるぞ!と思わずにはいられない私です。

 

クライエントさんに「自分を大切に」っていつも言ってるくせにダメね・・・
10周年にはもう少し力を抜いていられるといいな。

 


長くなりすぎちゃった!
これからまたブログを書き始めますー
まずは私事やひとりごとのカテゴリーから。
あとね、自叙伝は時系列を意識して書けなくなってたので、これから年齢はバラバラで思い出した時のことを書いていこうかなと思ってます。自叙伝も再開じゃ。

どうぞこれからまたよろしくお願いします!!