逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

小さな「死にたい」という気持ちとつきあう

触れるのはタブーかもしれないと思っていたけど

 

やっぱり実は多くの人が抱えている悩みでもあると思うので
勇気を出して書いてみる。

 

 


希死念慮について。

 

死にたいと思うこと。

 


今情緒不安定で死が身近にある人、差し迫っている人は
ごめんなさい、自己判断で読まないで欲しいです。

 

 

なんとなくボンヤリと死にたいと

多くの人が思ったことがあるのに
あるいは頻繁に思っているのに

 

それは自分だけでおかしいこと、恐ろしいことだと思っているんじゃないかな。

 

 

 

幽霊の正体見たり枯れ尾花という言葉がある。

 

カウンセリングで色んな悩みを聞いていると
そのほとんどが私にもあることだと気づく。

 


私にもあるから気にするななんて
簡単に片付けてしまうつもりは無いけど

 

悩みの根本が

 

「こんな自分は異常」

「こんな自分は恐ろしい」

「こんな状態は普通では無い」


自分に起きていることや自分の存在を恐れていることにあるなら

 


それほど変なことではないことを知れば
起きている事の理由を知ればきっと安心できるんじゃないかな。


だから私の話をしたいと思う。

 

 


怖いものの正体を知ってしまえば
打ち勝てるかは別としても、たいていは怖いものじゃなくなる。

 

 

私は多くの問題に打ち勝ってきた勇者だと
クライエントさんに思われているけど


本当は多くの問題の正体を知って
そいつと仲良く手をつないでやってきただけなんだ。

 

 

希死念慮もそのうちの1つだから


恐れず上手くやっていこうと提案したい。

 

 

 


みんなが
死にたいと思う気持ちが湧いてくるのはどんな時だろう。

 


1つの理由ではないよね。

 

 

私は境界性人格障害だったので
リセット癖からくることは多かった。

 

 

色んなことを先送りして問題が溜まってきて

その場しのぎで騙してきたことがいよいよ逃げ切れなくなってきて

我慢に我慢を重ねてどうにもこうにも耐えられなくなってきて

 

 

わーっと半狂乱になって全てを壊してしまう。

大事なもの、取り返しのつかないものであっても関係ない。

 


とにかく全てを壊して
リセットして0からやっていきたい欲求が止まらない。

 


この気持ちから
「死にたい」と思うことが多かった。

 

 

こうして落ち着いた今振り返って書いていると

死ぬことはリセットにはならない、全てを終わらすことだとわかる。

 

 

でも「死にたい」気持ちがある時は頭が回っていないから
先のことは一切考えられない。

 


決して死んで生まれ変わるとか
そんな希望を持っていたわけでもないんだけど

 

リセットぐらい軽い気持ちで死をとらえていたんだと思う。

 

 

この頭が全く回っていない状態がわからない人には
信じられないと思うけど

 

こんな軽い気持ちで死を選んでしまうこともある。

 

 

実際、このリセットしたい気持ちで「死にたい」と思っていた頃の私が

 

もし目の前に致死量の薬があったら
楽に苦しくなく死ぬことができる方法を知る人物とアクセスしていたら

ほぼ確実にそうしてしまっていたと思う。

 


それくらい本当にリセットするために「死にたい」と強く思うことは多かった。


昔はSNSもインターネットも無かったから
私はこうして生きていられるんだといつも思う。

 

 

 

この頃の私に
この頃の私と同じ気持ちの人に伝えたいのは

 

 

死んでもリセットできないから

 

先送りしてきたことやその場しのぎのことを全て明らかにして
そうして全てを失ってどん底に落ちて0になってリセットする方がいい

 

違う場所で誰も知らない場所でリセットして生きてみるのだっていい

 


死んでも絶対にリセットできないからね。

楽しいことや嬉しいことも好きなことも全て感じられなくなってしまうからね。


死んでリセットしようと考えるのは一旦やめよう。

 

 

 

 

あとは脳疲労がピークの時。

この時の「死にたい」気持ちは本当に強い。

 


どんな小さな問題も
自分にはどうしようも出来ないという気持ちになってしまう。

 

 

目の前に自分に解決出来ない問題が無数にあって

 

どれだけ考えても努力しても無理で
明日も明後日も来年も再来年も
この無数の恐ろしい問題に怯えながら生きる

 


こんなに苦しいのに、誰も助けてくれないし解決しようがないし
これが一生続くんだから楽になりたい


本当に苦しくて苦しくて
「もう楽になりたい」ということしか浮かばない。

 

 

脳疲労がピークだから解決策は浮かばないし
行動を起こす気力も無い。

 

そして現状が転がるように悪化していく。

 


そのせいで
自分には自分の人生を続ける力はないって確信が生まれてくる。

 

 

だけどね
そこを何とかぎりぎり乗り切って

 

眠れるようになって、悩みすぎなくなって、動けるようになって
脳疲労から回復すると

 


悩む意味があることと無いこと
頑張る意味があることと無いことの取捨選択ができるようになって

 

解決策を調べたり、自分で解決策が浮かぶようになったりして

現状を少しずつ自分の力で良くしていけるようになるよ。

 

 


この頃の私に
この頃の私と同じ気持ちの人に伝えたいのは

 


脳疲労がピークの時は
現状を考えてどうにかしようとしても無理だから

 

今は諦めて
考えても頑張ろうとしても無駄だから色んなことを一旦放棄してね。

 


放棄したら現実がどうもならないと思うけど
死んでしまってもどうにもならないからね。

 


とりあえず頭の疲れをとって絶好調になってから考えよう。

 


それまでは色んなことを頭の中に入れようとしないで

 

ただ家事をやったり散歩したり
音楽を聴いたりゲームをしたり美味しいもの食べたり
愚痴を言ったり泣いたりしながら

 

頭をのんびりさせることをしてね。

 

頼るのは難しいけど、誰かに一緒に考えてもらわないといけないかもしれないよ。

 


脳疲労を回復させて死にたい気持ちを無くすためには
インターネットやSNSは本気で減らすか断つかしないとだめだよ。


今は何もかも自分には難しい
人生を普通に送っていくなんて出来ないと思うけど

 

頭が疲れ切ってるだけだから、頭を休めて回復出来たらできるから。大丈夫。

 

これから先もずっと苦しいわけじゃないからね。

 

 

 

 

最後は
本当に現状が最悪で追いつめられていてどうしようもない時。

 


愛着障害の人でなければ
ここまで追いつめられる経験はあまりないかな。

 


本当に大ピンチであれば、親兄弟や親戚が手をさしのべてくれるもんね。

 


でも愛着障害の人はその人間関係がないことが多い。

 

何でもいいから少しでも力になってくれる人がいればいいのに
周りに全くいない。

 

 

自分1人で死ぬほど頑張ってきたけど万策尽きて
もうやれることはなくなってしまった・・・

こんな時に死ぬ以外の選択肢はないと思ってしまう。

 

 

私も何度そんな窮状が訪れたかな。


もう本当に出来ることはないと思うよね。

 


でもね
まだプライドを捨ててやれることがあるかもしれない。

 

 

私は色んな人に頭を下げたな。

 

困ってるとアピールして罪悪感を煽って助けを引き出すのではなくてね。

 

とにかく嫌いな人でも親しくない人でも
「こんな窮状です。無理だと思いますが助けてもらえませんか」と頭を下げた。

 


沢山無下に断られたし


足下を見られて酷い条件を提示されたり
お願いを聞く代わりに偉そうな態度をとられたり酷い扱いを受けたり

本当に悔しい思いをしたよー


それでも今は生きていて良かったと思うんだ。

 

 

そして
酷い仕事をしたし酷い環境で我慢した。

 

色んなことを諦めて捨てて生き残ることだけに集中した。

惨めでも生き残ればいいって。

 

 

この頃の私に
この頃の私と同じ気持ちの人に伝えたいのは

 


そこまで落ちぶれたくないと思うのかも知れないけど

私はそんなプライドより生きて欲しいと思ってしまう。

 

 

本当に落ちぶれるのは

 

人に頭を下げることでも
みじめな生活を送ることでもなくて

自分を放り出してしまうことだと思うな。

 

 

一時的にプライドを粉々にされたとしても
いつか生き残って逆転すると思い続けて耐えているなら

 

落ちぶれてなんかいないんだと私は思う。

 

 


なんのために生きなきゃいけないの?


この問いに答えるのは本当に難しい。

 

 

でもほんの少しでも

面白いテレビや映画や本がある、推しが居る、美味しいものがある…なんて

 

小さな喜びがあるなら

それだけでいいから、意味なんていらないから生きてみてほしいな。

 

 

そうしてるうちに意味が生まれたり

意味が生まれなくても生きててもいいかと思えるようになるかもしれないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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