逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝54 洗脳されない私①

高校での波瀾万丈な体験はこれで終わりではない。

 


私はどこまで特殊な経験をするんだろう。

 

 

生い立ちとは関係のないところでもまた
あり得ない経験をすることになった。

 

 


高校1年の時の担任との出会いが、私の人生を変えた。

 

数学教師の片岡先生。

当時30代中頃で東大出身。

 

しゃべり方が子どもっぽく感情がコロコロと変わる。

 

物腰がやわらかくにこにこと話したり
いたずらっ子のようにジョークや毒舌で調子よく話したり
弱々しく甘えるように泣き出しそうに話したり
急に厳しい顔をして睨みつけたり。

 

とても不思議なキャラクターで生徒達もみんな最初はバカにしてた。

 

 

片岡先生は私が最初に学年トップをとってから
やたらとみんなの前で私を褒めた。


私は教師に褒められる事ってあんまり無かったから嬉しくて
つい片岡先生に心を許していた。

 

 

それに片岡先生の授業が大好きだった。


それまで私は勉強らしい勉強が出来たことがなかった。


ディスレクシアがあり
覚えることが本当に苦手で本が読めなくて
いつも目の前のことに集中力が続かなくて違うことを考えてしまう。


それが片岡先生の数学の授業に出会って変わった。

 

 

中学生の時も
たまに数学が面白く感じて成績が良い時もあったけど
やっぱり公式を覚えたりするのが嫌でそれほど好きになれなかった。

 

 

片岡先生の教え方は

とにかく「頭を使え」「公式を覚えるな」だった。


他の生徒はそれが大変そうだったけど
私はハッと目が覚めるような感覚だった。


公式ひとつだけ覚えて
これを微分して使え、積分して使え、この図形から導き出せ・・・と

ただ頭を使うだけで全て出来てしまう。

 


興奮した。

 


何も強制的に学ばされない。
ずっと自分の頭で考えていれば良い。

 

これが私には最高に幸せで楽しくて仕方が無かった。

 

 

それに私は勉強が嫌いだから正解とされる解法を学ばないで
独学で普通じゃない解法で解いてしまうんだけど
それを褒めてくれる。

 


「竹田、この解法すごいな」

「この解法、美しいね」

 

 

これまでの人生で

人生の全ての問題を正解とされる解法以外で解こうとする私は

 

「このやり方以外はダメだ」と
いつも全否定されてきたのに

 

正解以外の解法を認めてくれて
さらに正解よりも素晴らしいと褒めてくれた。

 

 

その時は
数学を好きになったというより
数学だけが私が生きられる場所なのかもしれないくらいの感覚だった。

 


私の人生に数学が加わって
私はそれまでのトラウマや悩みがどうでもよくなった。

 


高校2年になって理系クラスになり
数学にどっぷりとハマっていった。


数学のことさえ考えていれば

 


苦しいことも恥も忘れられる

つまらない日常も最高に興奮できる

暇な日常も頭の中にある数学の難問を解くことだけで忙しい

話の合わない友人とも大好きな数学の話をしているだけで楽しくてしかたがない


完全に数学に依存していた。

 

 


私に数学を授けてくれた片岡先生は
二年生で理系クラスの担任になってから豹変していった。

 

 

片岡先生の受験への熱意はすごかった。

 

この頃うちの高校は


理系クラス以外のんびりしているというか

「大学受験のために必死に勉強するなんてダサい」

というような空気があった。

 


勉強ができる生徒は多いのに
大学受験のために必死になるより

 

おしゃれして部活を楽しんで友情恋愛を育んで青春する方が大事


なんだか不思議だけど
高校全体がそういう空気だった。

 

 

理系クラスの生徒も最初はそうだった。

 


片岡先生はそれを簡単に変えた。

 

 

「あいつらみたいにチャラチャラしてて大学入れると思う?」

「たった1年楽しい思いしたいって勉強しないで酷い大学入って未来は明るい?」

「他の高校生は君たちがフワフワしてる今も必死に勉強してる
 それで大学に受かると思ってるの?」

「今就職厳しいよ。良い大学に入れなかったら終わりだ」

 

 

世の中について何にも知らない私たち。

 

ゆるい高校に入学してただ楽しく過ごしてきて
受験なんて何もわからない私たち。

 

 

急に厳しい現実をガツンと突きつけられて

 

最初はヘラヘラとしていたけど
こんなことを毎日言われていると

 

一週間も経たないうちに

誰も楽観的でいられなくなった。

 

 


他のクラスの子に

「二年生になったばかりで補習とか信じられない」

「理系クラスやばいね」


なんて冷やかされるように言われる。

 


みんな恥ずかしい気持ちになるんだけど
心の中では受験のために必死にならなきゃヤバいと思ってたと思う。

 

 

サッカー部、アメフト部、野球部の人気者の子がうちのクラスに多くて

他のクラスの子がよく遊びに来ていたけど

少しずつ人気者の子達も元気がなくなった。

 

 

かっこいいことが正義の高校で受験に必死になってる自分への恥ずかしさ
受験への温度差を感じる孤独

 

みんなこんな気持ちだったと思う。

 

 

こんな感じで
二年生になって半年も経つと

理系クラスは他のクラスから孤立していった。

 

 

学校全体が、二年生みんなが
まだまだ高校生活をエンジョイしている空気の中

 

理系クラスだけが少しずつ精神的に追いつめられてた。

 

 

他のクラスの子と温度差があって仲良く出来ないから

理系クラスの結束が固くなった。

 


理系クラスあるある
理系クラスのメンバーの内輪ウケの話
片岡先生あるある

 

本当に狭い世界で狭い話をして
ぎっしりと固まっているような感じだった。

 

 


この時の私はというと

将来のことはあまり考えられなかった。

 

 

狂ったあの親から
いつかどこかのタイミングで逃げ出そうとだけは確実に思っていたけど

 

自分が大学に進学できるなんて思えない(学力的にも親的にも)

ホステスとして親元で働かされることが濃厚


暗い将来しか見えなかったから
私は今の幸せを堪能したかった。

 

 

理系クラスのみんなと数学の話をする時間
かっしーとかなたとの時間
大好きな数学にのめりこむ時間

 

それだけしか見えていないから


受験の恐怖、就職の恐怖
そういうみんなの恐怖は全く分からなかった。

 

 

でもみんなはもう
理系クラスの中の空気にどんどん飲まれて
片岡先生の言葉に怯えて

「受験のために残りの高校生活を捧げる」ようになってしまった。

 

 


そして片岡先生の天下になった。

 

 


片岡先生は自分の時間を全て生徒に割いて勉強を教える。

「最初はなんて素晴らしい先生なんだろう」とみんな思ってた。

 

 

でも二年生になってから変わってきた。

 


クラスみんなのための補習も毎日あったけど

 

それ以外に
自分が気に入った生徒のために補習をする。
気に入った男子を引き連れてご飯を食べさせる。


これが恒例になってた。

 

 

これが優秀な生徒ならわかるんだけど

優秀なだけじゃなくて
その時の自分の気分でお気に入りにそうする。

 

 

見た目が良かったり
人気者だったり
従順だったりするような男子生徒をピックアップする。

 


本人は「女子生徒はまずいでしょ」なんて言ってたけど
どう考えても男の子が好きな先生にしか見えなかった。

 


理系クラスになってそれがエスカレートする。


毎日毎日その補習、食事会が行われる。

 


高校生男子からすれば

 

頻繁に高い食事をおごってもらえる
優秀な先生に優先的に勉強を教えてもらえる

 

こんなメリットがあれば断る理由なんてないのだろう。

 


理系クラスの中のことは理系クラスでしか話せない。

 


他のクラスの生徒から孤立してしまったし
かっこわるいから受験で必死になってる話をしたくない。

 

片岡先生と食事に行ってることや
さらに特別に補習をされていることは恥ずかしいこと。

 


なんかこうやって罪悪感や羞恥心で

みんな理系クラスでの出来事や片岡先生のことを隠そうとしているようだった。

 

 

理系クラスで起きていること
片岡先生にされたこと

 

「それを外に話せない」

 


これが洗脳の始まりだった。