逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

猫から学ぶ幸福論

バリッバリッバリッ

 


激しい猫のつめとぎの音。

 

段ボール製のつめとぎがうちの猫たちのお気に入り。

 

バリッバリッと結構大きな音をたてる。

 


朝起きたとき

 

ごはんのとき

 

私が帰ってきたとき

 


なんとなく
「うぉー やったぜ! やったるぜ!」っていうときに

 

つめをといでいるような気がする。

 

 

 

いつものごとく
猫を観察しながら、自分のことも顧みる私。

 


私が猫と同じように
つめとぎでそんな気持ちを表現するとしたらどうなるだろう。

 


静かにブログを書きながら
だんだんと気持ちが盛り上がってきて

 

ささっとつめとぎに移動してバリッバリッ

 


真剣にカウンセリングしながら
感動したり、励ましてるうちに気持ちが抑えられなくなって

 

「ちょっとすみません」なんて断りをいれながらバリッバリッ

 


電車で移動中、空想を膨らませながら
わくわくが止まらなくなってきて

 

つめとぎ携帯して人目もはばからずバリッバリッ

 


毎食、食事の準備が終わる度に
ごはん♪ごはん♪とウキウキして

 

熱々の食事を目の前にして、しばらくバリッバリッ

 

 

 

やばい。

 

私、つめとぎが止まらない。

 

 

 

そうそう

 

いつも猫を見てると
飼い主として「なんて可愛いのかしら」と愛でる時間もあるけど

 

私はつい
自分との共通点を見いだしては仲間・・・とニンマリしてしまう。

 

 

 

毎日あたりまえに朝がくる度に
「朝だ!朝がきたぞー!」ってはしゃぐ猫たち。

 

毎日毎食おんなじカリカリでも
「ごはん!ごはん!」って全力で求める猫たち。

 

毎日長い時間一緒にいるだけで特段何にもしない私でも、帰ってくる度に
「おかえり!やっと会えたね!」って喜んでくれる猫たち。

 


このいつまで経っても慣れない感じ
いつも新鮮に物事をとらえている感じ

 

これを見ていると
本当に可愛くて胸がキュンとする。

 


私もいつも何にも慣れなくて
何かと驚くし、何かと嬉しい。

 

人から見るとそれは大げさに映って変なことらしいけど
自分のそういうところ、我ながら可愛いと思ってる。ふふ。

 

 

 


家猫はさ

 

毎日違う猫や人に会うこともない

 

散歩をしたり、楽しいところに遊びに行ったり
違う場所に行くこともない

 

旅行に行って非日常を楽しむこともない

 

毎日違うごはんを食べることもない

 

娯楽といえば猫じゃらしぐらいで、ほとんどないも同然

 

酒やタバコや甘いものみたいな嗜好品も、ほとんどない

 

 

 

それなのに
いつもあんなに幸せそうにしているって

 

すごいよなぁ。

 


幸せって自分次第ってよくいうけど
猫がそれを証明してくれてるような気がする。

 

 

 

快適なナワバリがあって
危険がなくて
十分なごはんがあって
ずっとそばにいて愛してくれる人が居て
自由気ままに過ごせる

 

 

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本当は
これだけで十分すぎるぐらい幸せなのかもしれないね。

 

 

 

人間はどうして幸せじゃないんだろう。

 

何が足りないんだろう。

 

 

 

友達は沢山いないといけない。
人間関係は多くないといけない。

 

人を不快にしてはいけない。
人に迷惑をかけてはいけない。

 

普通でなければいけない。
常識を知らなければいけない。
分別がなければいけない。

 

優秀でなければいけない。

 

より豊かな生活を目指さなければいけない。

 


なんかこう
よくわからない

 

いけない、いけないに縛られて
幸せから遠のいてるんじゃないかな。

 

 

 

だいたいの人は

いつも危険にさらされてはいないし

住む家や食べるものにも困っていない。

 

だとしたら

 

たった1人の人でいいから
愛情を持って大事に接して、関係を丁寧に築き上げていって

 

社会常識とか多数派とか気にせず
誰かの顔色を伺わず
名誉とか地位とか豊かさに縛られずに生きられたら・・・

 


あとは、これだけでみんな幸せなのかもしれないよね。