逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

体験談④管楽器コーチ 権左勇一さん33歳

 

 

こんにちは。

音楽大学卒業後、一度は一般職を経験しながらも、今は管楽器のコーチとして活動している権左勇一と申します。年齢は33です。

 

 

私は最初、カウンセリングをここまで真剣に受けることになるとは思ってもいませんでした。

当時は、仕事もプライベートも順調でした。

目につくものには何でもチャレンジし、ブログを毎日更新し、徐々に多くの人に認知されるようになり、仕事もかなり順調に行き始めていました。

 

ですが今思うと、どんなに仕事がうまくいっていても自信がなく、頭の中には常に焦りや不安がありました。だからといって、特に自分にカウンセリングが必要だとは思っていたわけではありませんでした。

 

カウンセリングを受けるきっかけは竹田さんをSNSで見かけたことからでした。

違う分野の仕事をしている人なのに、なぜだか言葉がすっと入ってくる。そんな印象を受けたことをよく覚えています。

自己啓発の為というような、ほんの好奇心から通い始めたカウンセリングでした。

それが、まさかこんなに自分を大きく変えることになるとは思いもしませんでした。

 

 

カウンセリングを最初から思い出してみると、

カウンセリング当初から竹田さんはいつも温かかった。

私の考えていること、やっていること、これまでのこと、何を話しても私以上に感情を表して聞いてくれていました。

それは嬉しかったんです。でもその温かさが怖かった。心の距離の近さも。

これまでそんな人には出会ったことがなかった。

こんなに温かくしてくれていても、いつか裏切られるかもしれない、本当はそう思っていない のに合わせているだけかもしれない、カウンセラーだからそういうリアクションをしているの かもしれない。

そう思って、警戒して、様子を見て、心は許さなかったと思います。

 

 

毎週通っていろんなことを話しました。

ただ話すことは得意でした。でもそこにあったはずの感情を思い出そうとすると途端に苦しくなりました。それまでは、そこにある暗くて冷たい汚い気持ちを見ないように感じないようにしてきたんだと思います。

 

竹田さんと話すほど、灰色だった過去に少しずつ色が戻ってきたようでした。

大切な人がいたことを思い出させてもらいました。今まで感じたことのないような大きな感情を自分の中に感じることも増えてきました。

竹田さんに話すと、感じないようにしてた感情が、本当は大切だったこと、感じてよかったこと、思い出して感情を感じることは今からでも遅くないこと、いろんなことがわかってきた。

そんな自分の変化が見え始め、自然と竹田さんに信頼も湧いてきていました。

でも、まだ不信感を持っていました。自分のことも疑っていました。

 

 

この人は安全な人なのか?

いつか手のひら返すんじゃないか?

 

私は本当にそう思ってるのか?そう感じているのか?

そういう空気だから合わせてたんじゃないのか?

 

この人は違うかもしれない。信じたい。

自分も変われるかもしれない。

 

でも怖い。怖い。

 

そう、なんだかずっと怖かったんです。

 

 

カウンセリングに通い始めたのは初夏でしたが、年が明けるくらいまでは憂鬱なことも多かったと思います。竹田さんはいつも穏やかで静かでにこやかで、それでいて深くて抜け目がなくて、部屋に入った瞬間その日の様子を見抜かれて、何も隠し事ができないような雰囲気があって隠せないような気がして、まだ自分のことを信じられていない、隠したい私には憂鬱でした。

 

いつまでたっても自分の言葉で話すことに慣れなかった。これまでの私は、相手が言ってほしいこと求めていること、その場の空気にふさわしいこと、それらを読み取って自分の気持ちを無視してその場をなんとかしてきました。

 

だけど、竹田さんにはそんなものが何にもなかったんです。

ただその部屋で私の考えていること、感じていること、思っていること、思っていたことを聞きたい。ずっとそんな感じしかありません。

混乱しました。こんな人との接し方のデータはありませんでした。心がエラーを起こしパニックでした。

 

自分が何を考えているか
 感じているか
 どう思ったか
 100%ストレートで?

 

いくら考えても何も浮かびません。なんとなくいつものクセで当たり障りのないことを言うと「今、考えるのあきらめたでしょ~」とばれてしまう。何か浮かんでも口に出すのが怖い(間違ってたらどうしよう、がっかりされたらどうしよう、そんなことしか考えていないのかって思われたらどうしよう)、でも竹田さんは急かすでもイライラするでも怒るでも呆れるでもなく、ただ待っています。ここから逃げたい、正解を教えてくれ、何度もそう思ったのを思い出します。

でも、私が少しずつたどたどしく出した自分で考えた言葉を、ひろってくれ、認めてくれ、喜んでくれる・・・そんなことを繰り返しているうちに、いつのまにか自分の言葉で話せるようになっていました。

 

一度だけカウンセリングに遅刻したことがありました。

止むを得ない事情があったのですが、言い訳はしまいとそれを話さずにいたとき、竹田さんに事情を問い詰められました。

言い訳はしたくない、どうせ分かってもらえないと重い気持ちになりながら正直に事情を話しました 。

そうしたらすんなり分かってくれました。


(本音で話せば人に伝わるんだ)

この瞬間は私にとってとても大事な瞬間でした。

どこかでずっと、自分のことなんて誰も理解してくれない、話したって無駄だ、そう思っていました。その氷がこの出来事で溶け始め、自分の気持ちを少しずつ話すようになっていきました。

 

 

カウンセリングの成果を初めて感じた、ほんのささいな出来事がありました。

それを次のカウンセリングで話しました。


「こないだこんなことがあったんだよ」ただ聞いてほしくて誰かに話したのは、それが初めてだった気がします。

竹田さんはいつものように興味深そうに話を聞いてくれた。そして喜んでくれた。なんでもないやりとりでしたが、嬉しかったんです。私にはそんな普通の会話の経験はありませんでした。

子供の頃、その日あったことを家で話すことはほとんどありませんでした。家族は私が期待しているよ うな言葉をかけてくれることもありませんし、何を話しても喜んでくれることはありません。 子供らしく振舞った記憶は無く、むしろ親の話を聞く側でした。

 

子供の頃の自分は、生意気でいじめられていて遊ぶ友達がいなくて、本ばかり読んでいて、それ は全部自分のひん曲がった性格のせいだと思っていました。

竹田さんはそれを、「ずっと子供として過ごさせてもらえなかった。大人の役割をしなければいけなかった。そのせいで子供らしくいられなかっただけ」だと時間をかけて教えてくれました。

 

 

仕事にもカウンセリングの影響が大きく出てきました。

私は楽器の吹き方や音楽を人に伝える仕事をしています。

カウンセリングを受けるまでは、勉強して集めた知識を使った技術的なアドバイスや、1回のレ ッスンで効果を出すことが得意でした。

長期的な視点でその人のことを考えたり、寄り添うことは苦手に感じていました。

 

それが、カウンセリングを通して深く物事を考えたり、感情を大切に扱っているうちに逆になりました。

 

こんな風にこの人は考えてやってきたんだな、

こんな気持ちだとそれは苦しいだろうな、

この考えがこういう結果を生んでいるんだな、

この人はこういうやり方で取り組んでいけば改善していくんじゃないか、

 

 

そうやって繊細に詳細に考えて人と接していると、仕事で会う人のリアクションが変わってきました。私の伝えたいことを深く理解してくれる人や、心から喜んでくれる人が増えました。

レッスンではこれまでは考えられなかった大きな成果をあげる人が増えました。

 

 

カウンセリング当初、私は自分のやっていることに全く自信が持てませんでした。

自分がやろうとしていることが誰かの下位互換で、自分じゃなくてもいいと、いつも思っていました。

そんな私に竹田さんは「権左さんがやっている仕事、やろうとしている仕事は権左さんにしかできない仕事だよ」、そう言ってくました。

誰かが混じり気のない気持ちで自分を応援してくれることもまた、初めてのことで、言われた当初はやはり竹田さんを疑っていました。そうやって軽く言うけど・・・と。

 

でも竹田さんは軽く言っていないと分かるように続けてくれます。

「じゃあ、権左さんが子供の頃に今の自分みたいな先生に出会えていたらどう思う?」

そう言われた時、恥ずかしいですが「それは最高のことだ。出会えていたらその後の人生別のものになったと思う」と思いました。

そう思えたとき、自分の仕事を、自分のやっていることを少し好きになれました。

 

さらに「同じような技術を教えられる人はいるかもしれない。だけど、温かさや親身に寄り添う安心感は、苦しんできた権左さんにしか与えられない。がんばってもうまく出来ない人が出来るようになるまで辛抱強く支えられるのも、その過程のやり方を知っているのも苦しんできた 権左さんだけ」そう言ってくれたこともありました。

 

私は人を信じるのが怖くて、カウンセリングが進んでからも長いこと竹田さんへの不信感を持ち続けていたと思います。

でも、そんな私もとうとう変えられてしまいました。


厳しいこともたくさん言われた、

私が間違えば、それは違うってはっきり言ってくれる、

痛いところも容赦なくついてくる、

いつも応援してくれる、

熱心に話を聞いてくれる、

わがままも聞いてくれる、

誰も気づかないこだわりに共感してくれる、

誰よりも良いところを見つけてくれる、

私が話したことを自分のことのように喜んでくれる、悲しんでくれる、

私に起きた理不尽なことを自分のことのように怒ってくれる、

 

時に師匠で、時に親で、時に友達で、時に同志で・・・

竹田さんは不思議な存在でした。

こんな風に自分を全力で全身で信じてくれる人がいたから、私は自分を取り戻せたんだと思います。

 

 

自分のことが好きになった。

仕事を愛せるようになった。

人との接し方も変わった。

自分の機嫌をとりながら過ごしていくことの大切さがわかった。

自信というものがわかってきた。

これからの毎日が楽しくなってきた。

人と違うことを受け入れられるようになった。

自分の長所が自分も認められる形でわかった。

 

 

終わってみればたった1年3ヶ月。

でもこんなに自分は変わったんです。3年にも5年にも感じる濃すぎる期間でした。

 

 

 

 

 

 

権左勇一

 

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