逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝39 いつも浮いてしまう私

友人関係に関しては
いつも苦労が絶えなかった。

 

でも中学時代が一番難しかったような気がする。

 


小学校時代は
変人と思われていても
人懐こく、いつも笑っていて、自分をさらけ出していたから
「何だかんだ憎めない奴」「変で怖いけど良い奴」
そんな感じの存在だったんだと思う。

 


でも中学時代は
本当に嫌われていたような、嫌がられていたような気がして
思い出すだけでつらい。

 

 

 

中学生の時期は

自分と似た価値観を持つ仲間で集まりたい
友人と感情を共有して深く繋がりたい…

そんなふうに友人との結びつきが強くなる時期なのだろう。

 

誰とも似ていない、得体の知れない雰囲気を持ち
自分の気持ちを何も話そうとしないし、内面が少しも見えない私。

嫌がられるのも当然かもしれない。

 

 

よく思い出される場面は


「何を考えてるか全然分からない」
「本音が見えない」

「つまんない顔しないで」
「顔色を見るのやめて。疲れる」

 

こんなふうに言われた場面だ。

 


面と向かっていつもハッキリと言い放たれた。
多くの人はあまり経験がないと聞くが

私の場合は本当にいつも人から言葉をぶつけられてきた。

 

軽く言いやすいタイプだったのか
へこまないように見えたのか
下に見られていたから言い放たれたのか・・・

 

その全てだったのかもしれない。

 

 

 

私が友人関係を語る時に

 

自分は嫌われていた
友人関係で楽しい思い出は無い

 

いつもそう言い切れないのには理由がある。

 

 

はっきりとイジメられた経験はない。

 

冷たくされたり避けられたりすることは多々あっても
それは敏感な私が気づくだけで周囲には気づかれない程度のことが多く
嫌われ者として扱われることは無かった。

 

冷たくされたと思っても

その相手は気分によって手のひらを返して仲良くしてきたりする。

 

時期によって、友人と上手くやれている時と全くそうではない時と

極端だった。

 

場面場面で、すごく好かれたり、すごく疎まれたりと

極端な扱いを受けた。

 

 


外側から見れば嫌われ者では無かったせいで
自分自身が分からなかった。
その当時は、嘆きや悲しみ、怒りの感情を持つことが出来なかった。

ただただ苦しかった。

 

 


思い出してみると

 

友人がいる場所ではいつも

 

嫌がられていないだろうか
はぶかれないだろうか
浮いていないだろうか
楽しませることが出来ているだろうか・・・

 

必死に考えていて
一瞬たりともリラックスなんて出来なかった。

 

 

 

この時の私は大人数の前で明るく振る舞うのは得意だった。
出会ってすぐの関係が得意だった。

 

大人数ではテンションを上げてジョークを言って笑わせたり
その場を仕切ったり、全員の話を司会者のように回すだけで
みんな私を好いてくれて褒めそやしてくれた。

 

そんな時はみんなが私の周りに集まり羨望の眼差しをくれる。

 


でも学校生活はそんな時ばかりではない。

 

女子生徒の普段の学校生活は
テンションを上げて大笑いをしたいというより
興味のある話を共有したり、お互いを知り絆を深め合ったりしたいのだ。

 

ただ落ち着く友人と普通に毎日の学校生活を送りたいのだ。

 


なんとなく皆で元気に話そうという空気の時は
休み時間事に、私の机の所に何人も集まってきてくれた。
とても鼻が高く、居場所があり安心だった。

 

それにだんだんと飽きてきて疲れてきて
みんなが雑談を好むようになると休み時間に少人数で静かに話すようになる。
私の居場所は無くなる。

 

休み時間毎に気が気ではなくなった。
授業が終わるのが恐怖だった。

 

チャイムが鳴ったら誰の所にいこうか
どこに行けば浮かないでいられるか・・・
とにかく必死だった。

 


移動教室や
授業での二人組
修学旅行などで移動する時は本当につらかった。

 

こんな時こそ
なんとなく気が合う友人が選ばれる。

 

選ばれなかった

積極的に誘われなかった…

拒絶されたと絶望しているその瞬間

自信が無く、弱く怖がりで、グズだった私が戻ってくる。

 

そうなると、余計に仲の良い子から避けられるようになる。

 

私はいつもおどおどびくびくしながら
割り込むように入ったり
明るく後ろから話しかけながら一人にならないようにしがみついていたのを思い出す。

 



 

自信が無く、弱く怖がりだった私になると友人は私を避ける。

でも調子が良く自信がある時は、近寄ってくる。

 

グループみんなで話す時は、私をリーダーとして輪の中心に置かれた。
クラスみんなで話すような時は
頼りがいがあり面白いことが言える私を誇るように
いかにも私とすごく親しいようにグループのみんなは振る舞ってきた。

 


だから嫌われ者なのか、人気者なのか
自分がなんなのか分からなかった。

 

 

 

 

中学時代は
危機を乗り越えるために実に色んな手段を講じていた。

 


自分が仲良くなりたい子でなくても
とりあえず何とか二人になれる仲良しを常にキープしようとした。

 

本当に酷いことだが
その時自分が馬鹿にしているような相手でも
いつでも受け入れてくれるような下の友人をキープしたのだ。

 

 

 

とにかく常に恋愛話を作ろうとした。

友人の好きな男の子の情報を用意しようとした。
男の子と仲良しの私と仲良くしていると得だと思わせようとした。

 

この頃は恋愛よりも学校で生き残ることしか頭に無かったのに
男の子の気を引くことに必死だった。
恋愛話を作り出すためにモテなければいけなかった。
女の子は恋愛話さえしていれば、私と二人で話すことを喜んでくれた。

 

 

 

とにかく相談にのった。
この年齢で私ほど人の苦しみが分かり

上手に気持ちよく人の話を聞ける子はいなかった。
悩みがある子でさえあれば、私は自分の居場所を確保できた。

 

 

 

色んなグループの子と仲良くした。
元から誰とでも仲良くしたいというタイプではあったがそれだけではない。
居づらくなったとき、居場所が無くなったときに
他のグループにちょっかいを出しにいくと面白がって歓迎してくれる。
おかげで、避難場所が出来た。

 

 

 

こんなふうに
中学時代の私の行動は自分が浮かないための打算しかなかった。

 

これだけ頑張ったから私のような人間でも
なんとか無事に生き残ったのだと思う。

 


でも心の中の嵐は相当なものだった。
中学時代の友人関係を思い出すと、本当に情けなく、恐ろしく、苦しい気持ちが押し寄せる。


私の中学時代の友人関係は

何とかギリギリでしがみついていただけで

形だけの友人関係しか無かったのだ。