逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

心の病気は認めることから


最近は勝手ながら
ついこう思ってしまうことが増えました。

 

体の病気を治すお医者さんが羨ましいなぁ、と。

 


カウンセラーが
目に見えないものである「こころ」を扱う仕事であることは分かっていたつもりでした。

 

でも高機能型の人格障害の人を専門としてカウンセリングをするまでは
ここまで大変なことが多いとは想像できていなかったんです。

 

 

 

よく思うんです。

 

心の病気も体の病気のように
自分で自分の状態を認めてもらえたらどれだけ楽だろうかと。

 

 

 

体の病気であれば

 

血液検査
レントゲン
MRI、CTなどの色々な検査で

 

「あなたはこういう病気です」とはっきりと告げることができ
患者も目で確認できるからそれを認めて一緒に治していくことが出来ます。

 

 

 

心の病気はそうはいきません。

 


心理検査はありますが

 

心の状態が悪いときに
自分の本当の思いや考えを答えること
自分を客観的に捉えることは難しいです。

 

日々刻々と気分は変わるため
対面している時間だけでその人全体を捉えることは難しいです。

 


また、心の病気の場合は認めたがらない人が多い。
専門家の前でも

いつもの状態を見せずに元気に振る舞ってしまうんですね。

 


診断してほしい気持ちはあれど

 

心の中は人に見られたくない気持ちや
体の病気と違って自分の弱みに感じて見せたくない気持ちで
無意識に問題を隠してしまう人も多い。

 

 

 

心の場合は具合が悪いといっても

 

我慢強い人は、普通に生活を送れてしまうし
本当は死ぬほど苦しくても笑顔で過ごせてしまいます。

 


体の病気で例えれば
高熱を出していたり胃腸炎で腹痛に襲われていたりしても
なんでもないと言って普通を装っているような状態です。

 

体の病気の場合は痛みが限界に達して
人に気づかれたり、倒れてしまったりして発覚するでしょう。

 

でも心の病気の場合はそうはいかなくて
どこまでも先送りして重い鬱になったり
表面的に何も出さないまま、誰にも気づかれずに追い詰められてしまいます。

 

 

 

この
心の病気は認めたくないという強い気持ち
専門家にも心は見せたくないという気持ち
心の痛みはまだ大丈夫と軽く考える気持ち

 

これが本当に難しいです。

 


悪化していく状態を放置している人に口を出せない
力になりたいのになれない

 

そういうもどかしさに本当に苦しみます。

 


だから
目に見えるものでその人の心の状態を見せることが出来たら
どれだけ楽だろうと考えてしまうんです。

 

 

 

まだ羨ましいと思うことがあります。

 


体の病気の検査を隅々までして問題が発覚しなかった場合
原因が分からなかった医者側は責められないのではないでしょうか。

 

もし検査で見逃し、発見することが出来なかっただけだとしても
不定愁訴として問題はないから心の問題だと患者側の責任にされることもありますよね。

 

 

 

その不定愁訴から
問題を探していくのが私たちの仕事です。

 

検査をして見ることが出来ない。
問診をするにしても
心の中を隠したり思い込みが激しかったり言葉に出来なかったりする人が多いため
正確な情報を得ることが難しい。

 


でも

 

生活習慣や生活上のストレス
人間関係、親子関係
考え方の癖
体の状態・・・

 

様々な角度から問題を探して複雑に絡み合った原因を探して
心を回復させなければいけません。

 


とても難しいことだと私は思いますし
断定的に言えずに今の時点の仮説としてしか言えないと思うのですが
早い段階でハッキリと原因を見つけなければ
こちらの能力不足だと思われてしまうような空気があると思います。

 

 

 

他にもあります。

 


心の病気の場合

 

体の病と違って
最先端の手術の技術を磨いて最先端の知識を学んで正確な投薬をするといった
治療者だけが自分1人で熱意を持って努力をするだけで
どんどん患者さんを治せるようになるということはほとんど無いと思うんです。

 

もちろん努力を続けることは必要です。
でも心の病気で一番大事なのは患者さんが自分から治そうとする気持ちです。

 

患者さんが心から
「この人を信頼できる」「何よりも心を回復させたい」と思えなければ
どんなに治療者が熱意があって大変な努力を重ねても知識があっても
患者さんの心の病気は回復しないと思います。

 


私1人が死にものぐるいで努力するだけで
患者さんが何もしなくても患者さんを救えるなら
どれだけ良いだろうかと私はいつも思うんです。

 

 

 

体の病気を治すお医者さんの場合

 

病気を治していくために
禁煙、禁酒、規則正しい生活など、患者さんに協力を求める時に
医者側が協力をしてもらうのが当然のように言う方が多いですよね。

 

患者側が約束を破ったとしても
多くの医者は「あなたが不摂生していたら病気は良くならないですよ」
と患者側の責任のように言っているのをよく聞きますね。

 


そんなふうに
どうすればいいかを正確に伝えるだけで協力をお願いできたり
責任を負わないで済んだらどれだけ楽になるでしょうか。

 


心の病気の場合

 

やる気が起きなくなるのも
自分で自分をコントロールできないのも
協力しようとしないのも心の問題なので
もうそこからがこちらの重要な仕事なんです。

 

 

 

心の病気の治療者が心の病気をもらいやすいなどとよく言われていますよね。
私はそれだけではないと思います。

 


心の病気は目に見えないからこそ
上手くいってもどこをどう治したと証明できない。
体の病気ほど名医としての証は見せられない。

 

その一方で、
誰であっても難しい症例だったものを治せなかった場合には
簡単に無能だと決めつけられやすい。

 


この理不尽なことが
心の病気を扱う治療者側が燃え尽きて心の病気になってしまいやすいのだと思います。

 

 

 


心の病気の治療の大半は

 

自分の具合の悪さを認められる
自分のことが見えるようになって自分のことを説明出来るようになる
痛いときにどこがどのくらい痛いか言えるようになる
治療に積極的に協力してくれるようになる

 

ここにあると思います。

 


体の病気の治療のスタートラインに立つまでが
本当に大変で時間がかかるんです。

 


逆をいえば、ここからはとても早く進むんです。

 

 

 

心に問題を感じている方

 

「自分はまだ大丈夫じゃないか」

 

「心に問題があるなんて恥ずかしいことで認められない」

 

「痛い、つらいなんて弱音をはくのは弱い人間だ」

 

「自分が努力して自分1人で治せる」

 


その考えが心の問題を治すことを邪魔しているかもしれません。

 


もしこれが重篤な体の病気の人だったらどうでしょうか。
こんなふうな考えはおかしいですよね。

 


心の病気も体の病気と同じで

 

恥ずかしいことではないし
痛いものは痛いし
認めたくなくても認めなければ治療は始まらないし
病気を治すのは専門家に頼らなければ難しい。

 


心の病気を治すのは
「自分の状態を認めることから」

 

強く私はそう思います。

 

 

 

 

 

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