逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

体験談③50歳女性Mさん

 

二年間、美由さんのカウンセリングを受け、卒業した50歳の主婦です。

 

二年前の私は、臨床心理士になりたくて通信制の大学に籍を置き、一生懸命心理学を学んでいました。穏やかな夫がいて、中高生の子供たちがいて、友人も多く、見た目は華やかでパワフル、臨床心理士になりたいという夢もある、外からは恵まれた主婦に見えたかと思います。ですが、内面では本当は自信がありませんでした。自分より上の人を見ればため息をつき、下の人を見れば安心する、とても不安定な状態でした。心理学を学んでいくうちに、自分の生い立ちや、結婚するまでの友達との格差、自分の背負った運命の苦しさ、などに気が付き、それを恥じ、一人ではもう処理しきれないほどの闇を抱えていました。心がにっちもさっちもいかなくなった頃、偶然にも臨床心理士のブログランキング一位だった美由さんのブログを読むようになりました。そして、吸い寄せられるようにlilcafeに申し込みをしました。藁にもすがる思い、そんなところでしょうか。こうして、美由さんとのカウンセリングが始まりました。

 

ここから、私のカウンセリング体験談を書いていきます。その苦しさも葛藤も伝わるといいのですが。

 

美由さんのことは、ブログやツイッターなどでお顔は拝見していたのですが、実際会ってみるとすごく透明な方に見えました。会った瞬間、威圧感とか緊張とか全くなく、美人だけど敵意は覚えなかったそんな印象でした。

 

48歳で初めてカウンセリングを受ける私は、とにかく美由さんに腹を探られるのが嫌でした。カウンセリングを受けにいっているのに?おかしいですよね。でも誰にも心の内を見せたことがない私が年下の方にあけすけになにかを話すなんてできなかった。最初の一か月は自分の悩みを打ち明けるのが怖くて、拙い心理学の知識を無理やりあてはめて、自分で分析をしていました。今思えば釈迦に説法的な?笑いがこみあげてきます。

 

48年誰にも自分の闇を打ち明けてきたことはありませんでした。友達も親友もいましたし学生時代から顔の広い人だと良く言われてきました。でも孤独でした。あまりにも特殊すぎる機能不全家族に育った私は孤独でした。自分よりも遥かに恵まれた友達に囲まれても、誰よりも明るく周りを盛り上げてきました。恵まれた友達に必要とされてきて、若いころはそれでいいと思っていました。しかし、結婚して子供を二人産み育て、子供たちが中高生という人格をなすようになってくると、自然と自分の歪みが、子供の反抗という形をとって見え出してきました。そして自分の過去の歪みもあぶりだされてくる。それを隠すように見た目を派手にして、学歴など外側の見栄を張ろうとする。間違った方向に努力すればするほど、心の中の孤独感、自分を隠す気持ちは膨れ上がります。本当の自分が他人に分かってしまうのが怖かった。赤裸々に自分の生い立ちを公表している美由さんにさえ自分の闇をさらけ出すのはとても怖かったです。

 

最初の三か月は、本当に愚ともつかないような、嘘だらけの話をよくしていました。カウンセリングに向かう電車の中では「今日はあれを打ち明けよう」と思って意気込んで向かうのです。でもいざ実際カウンセリングの場で美由さんを目の前にして自分の本当の気持ちをいうことはとてもとても怖いことでした。「あなたってそんな人だったの?」と思われることが怖い。本当は弱くて、みっともなくてちっちゃな自分を感じていることを他人に悟られることが怖い。人の目に映る自分と、中身が大きく異なることが怖い。それを見抜かれるのが怖い。怖いだらけでした。

だから、カウンセリングでも、ためらいが出て、本当のことを隠すためにでたらめな話をしていました。でも、嘘の話は行き詰まります。結局何を話しているのか訳が分からなくなり、振出しに戻る。迷路みたいなものでした。自分の恐怖を話すことができない理由を美由さんのせいにして「なんかカウンセリング受けている気がしない」と美由さんに嫌味を言うこともありました。

 

なかなか、本音を打ち明けることができず、三か月が過ぎようとしていました。その頃、私の心を見抜いた美由さんから「せっかく高いお金を払ってきているのにもったいないと思いませんか?」と言われました。その時は深く傷ついたのですが、これがカウンセリングのターニングポイントになりました。育った家庭環境のこと、病気のこと、学生時代のこと、友達のこと、OL時代の仕事のこと、一つ一つ絞り出すように話しだしました。美由さんは私の話をじっくり、まるでその場にいて過去の私を見ているかのように一緒に再現に伴ってくれました。一番うれしかったのは、学生時代の切ない話をしたときに、美由さんから「そこは引けないよね?絶対に引けない。絶対に嘘をつくね」と理解を示してもらえたこと。その時に衝撃を受けました。私は生まれて初めて「この情けない話を、そう思ってくれる人がいるんだ」と、気持ちが楽になったことを覚えています。私にとってはこの時期のカウンセリングは、自分を厳しく締め付けていた過去に赦しをもらったようなものでした。本当のことを言えば言うほど認めてもらえる、こんな現象が起こりました。

おそらく私が長年求めていたのは、誰かからの深い理解だと思います。「つらかったね」とかそんな言葉が欲しかったわけではなく、わかってほしかった。「そう感じていいんだ」と自分で思うこと、それが生まれて初めての解放でした。数々出てくるつらい体験も、「誰があなたの立場でも逃げ切れることはなかったはず」と、意外すぎるような言葉が返ってきて、驚かされました。私が恥ずかしいとか苦しいとかみっともないと思っていたことは、やむを得ないことも多かったのかもしれないと思い始めました。

 

 

自分の人生50年の中で大学生と高校生の二人の子供を育てたこと、これが自分の支えになっています。

美由さんとのカウンセリングを受けるまでは、自分は最高に頑張っているいい母親だと思い込んでいました。いい母親に見られたい気持ちと、いい母親でありたい気持ちが半々だったかもしれません。OL時代大好きだった仕事、ましてや人前に出て高い評価をされる仕事をしていたので、仕事の代わりに情熱をぶつける対象と、周りからの評価が欲しくてたまりません。子供たちが幼いころは毎日公園で遊び、寝る前は必ず読み聞かせ、土日は一日中遊ぶ。習いたい習い事は可能な限り習わせ、夏休みは毎日のようにイベントに連れて行った。そう、行動は素晴らしかったのです。そして、子供たちが性格面でも成績面でも優秀であったため、ママ友達や先生達からの評価も高く私はいい気になっていました。これが、どれだけ子供たちに心理的な圧迫、虐待を与えていたのか後述します。

 

行動面は素晴らしい母親。だけど心理面は最悪な母親でした。

とにかく、私の方針からはみ出ることを許さない。子供が風邪をひき夜中に咳き込まれるだけでも怒り出していました。なぜ、夜寝ることを邪魔されるのかと腹が立っていたのです。私にとっては、睡眠を妨害されて、明日の朝からの有効な一日を邪魔されるのが本気で嫌でした。子供は苦しくて咳き込んでいるのに、親の私が「咳き込むなんて!」と怒りました。その当時子供はどんなに怖かっただろうと思うと、何度思い出しても、胸が苦しくなります。現在大学生の子供は、数年前に診断を受け、幼少のころから気管支ぜんそくを持っていたことが判明しました。小学生時代は、咳が出ても私が怒り出すので、咳をするのを我慢していたのだと最近本人から打ち明けられました。この時に戻って子供を介抱することはもうできません。母親としての罪の深さを瞬時忘れないでいることしかもう償う手だては残っていません。これはほんの一例、いつもは優しくて優秀な母親だったと思います。ですが、自分の枠から子供たちがはみ出ると攻撃をしてこの20年近くの歳月を育児という言葉で支配してきました。

 

カウンセリングを受け始めて一年は、美由さんにも嘘をついていました。私はとてもいい母親なんだとそれを認めてほしいと嘘をついていました。しかし、一年たったころに上の子供との問題が発覚し、見事美由さんに虐待を見抜かれました。ここからが、カウンセリングの第二のターニングポイントです。

 

育児における自分の罪を認めるのが本当につらかった。苦しかった。だから美由さんから問われると黙秘して、泣いたふりして保身して逃げようとしました。美由さんからは、逃がされません。自分の罪を認めること、これが一番私にはつらかったです。子供たちを心理的に自分の母親代わりにしていた。はっきりそう思います。自分が自分の親からされて嫌だったこと、それを倍にして子供たちに仕返ししていたのだと思います。そして、切ないのは、子供たちがそれにもめげずに、人として大きく育っていることです。つまり、私の罪を上回るほど子供たちが優秀だったということ。優秀だったがゆえに私の親代わりを担わせてしまったこと。取り返しのつかないことをしてしまった。

 

美由さんのカウンセリングで、私は自分の罪に向き合う場を与えてもらいました。自分の罪を真っ向から認めることは生易しいことではありませんでした。自分の子供にしたことを認めるのは身を切られるようなつらさを伴いました。でも、厳しくも温かく美由さんに伴われ、絞り出すように自分の罪を一つ一つ振り返り見つめる作業を繰り返していきました。今思い出しても、気が重くなるようなあの時のカウンセリング、でも、あのつらさを経験して本当に良かったと今では思います。

 

カウンセリングが進んで、つい最近、子供たちに対する私の態度にいい変化が出てきました。やっと少しづつ、母親として取るべき行動がとれるようになってきたのです。そのエピソードを美由さんに話した時に泣いて喜んでくれました。うれしかった。一日一日、子供たちへの罪を縮小していく。それしかできません。やっと母親としてスタート、いやリスタート地点に立つことができたと思っています。

美由さんのカウンセリングを受けてなかったらとどうなっていたでしょうか。

 

本当に苦しかった二年間のカウンセリングを終えて、今自分が感じているのは、幼稚園児のようなわくわくとした好奇心です。明日幼稚園に行ったら、砂場で遊ぶか、鉄棒しようか、まだ話していないお友達と話してみようか。苦手なお友達もいるけど、笑ってみようか、そんな気分です。

50歳で幼稚園児?って笑われるかもしれませんね。初めて心が自由になって心に安心があるのです。子供に返っただけでなく、私の心の中には幼稚園で先生のをしてくれるようなもう一人の自分がいます。幼稚園児の気分と、トラブルが起こっても「大丈夫」って言ってくれる先生が自分のなかに同居しています。

 

カウンセリング後は、見える世界が変わったという表現をよく聞きますが、私は自分を囲む世界が変わりました。スポーツジムや子供の学校のママ友、家族やこれまでの友人が、微笑んでいることに気づくようになりました。自分の周りに笑顔があふれ、みんなが温かい。私は自分じゃない自分になろうともがいてきたけど、私はありのままで誰かを喜ばせたり楽しませたりできるんですね。

 

美由さんは細かいことまでよく覚えてくれていてその記憶力に圧倒されます。一年前にぽろっと言った話を一年後のカウンセリングで引き出してくるのです。50分間人の話を聞いて記憶に収めるのです。カウンセリング中は一切メモも取りません。これを一日に数回、一週間毎日行っているのです。美由さんのクライアント一人一人に対するエネルギーと執念はどこにあるのかと思います。よっぽど好きでたまらない相手でないと、こんなこと無理なのではないかと思います。家族にでもここまでの愛情って差し出せない。私は、クライアントの一人にすぎません。ですがこの二年、まるで私の専属カウンセラーかと錯覚するほど、二年分の話を覚えてくれていました。カウンセリング中はこの美由さんからの愛情がまるで自分一人に注がれているかのような錯覚を受けました。前述したように、私はまだまだ愛されたかった。優しい夫がいても、優しい子供たちがいても、不器用な母親がいても、慕ってくれる友達がいてもまだまだまだまだ愛されたかった。その欲しくて欲しくてたまらなかった得体のしれない愛情という名の核を美由さんから与えてもらいました。

だからこそ、こちらも一生懸命自分のつらい気持ちをつたえようと頑張るし、その自分の本当の気持ちを細かくわかってもらえる、認めてもらえる、そして、頑張らない自分も認めてくれた。こんな安心がなければ、自分の罪に向き合うことはできなかった。そう思います。

 

このような形で美由さんとのカウンセリングが進んでいき、途中不真面目な態度もとりつつ、三か月目から苦しいことを話し始め、八か月で隠しておきたかったことをとうとう自分から話し、一年で育児の虐待が完全にばれ吐露し、立て直しを図って二年で卒業となりました。この二年間のカウンセリングは、騙して隠して見破られ、また大げさに盛って見抜かれ叱られて、いつしか観念して話だし、そんな流れでした。振り返れば、あっという間の二年間でした。この二年の間に、胃カメラを飲まなきゃいけなくなったり、乳がん検診で引っかかり生体検査を受けたり(全て異常なしでした)子供たちのダブル受験があったり、母親や弟の問題に奔走したり、いろんなことがありました。そんな中で毎週毎週西荻窪に通い、死闘のような50分を過ごしてきたのかと思うと、我ながらよくやったなと思います。

 

ここまで読んでくださった方は、これはマインドコントロールではないかと思われる方もいるかもしれません。ですが、違います。なぜなら、美由さんは、自分のほうからクライアントを手放そうとするからです。洗脳をして自分の思い通りにしようとするのではなく、そのクライアントの再生のためにストイックに、努力を重ねてくれています。美由さんの真摯なまでのカウンセリングに対する情熱と意欲と没頭、たぐいまれなる経験の深さからくる深い洞察力、深い理解、人間離れした記憶力と集中力、その結集としてカウンセリングが行われるから、奇跡のような現象が起こる。クライアントの再生はその凄まじいまでの美由さんの気迫によって、起こる再生劇だと私自身は感じています。

 

子供の頃、信じられる大人が全くそばにいなかった私は、心が再生した今の自分を奇跡だと思っています。美由さんとのカウンセリングが、自分の運命の舵取りをこんなにも大きく変えてくれるとは思いもしませでした。この奇跡が多くの方にも起こることを望んでいます。