逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝37 コントロールし合う養父母と私


小学生の頃の私は
いつも養父母から逃げようと考えていた。

 


当時はまだ虐待なんて言葉は知らなかったし
私が変な子どもだからしつけなんだと思うことも多かった。

 

家庭の中は異常だったのに、良い家族ごっこをする養父母に
ふと普通の家族なのかも知れないと思わされることも多かった。

 


それなのに
必死に助けを求め、逃げだそうと考えていたのを思い出す。

 


養父母といる時
道ばたの見知らぬ大人、店員、養父母の知人の大人
そういう人の前で
何とかして「この人達の本当の顔はひどいんだ。助けて」と伝えたくて
一生懸命、目線を送ったり、養父母に心を許していない態度をアピールしていた。

 

こんなことで絶対に分かってもらえるわけはない。
ただ助けて欲しくて必死だった。

 

 

 

小学生の頃の心の支えだったラジオの子ども相談室。
聡明な声のお兄さんお姉さん。
穏やかで知的で何でも解決してくれる。優しく教えてくれる。
私にとって完璧な人物像だった。

 

夏休みだっただろうか
それを聞いているとき、めずらしく親が留守だった。

 

急に今しか無いと思い立って、勇気を出して電話したのだ。
助けてもらえるかもしれないと。

 

とんでもないことをしているという不安
親が帰宅したらどうなるかという恐怖
泣き出しそうな気持ちで何度も何度もつながらないままかけ続けた。
多分狂ったようにその時間中、ずっとかけていたような気がする。

 

結局つながらなかった。

 

その日からそのラジオは聴けなくなった。
つながらなかっただけだけど、なんだかもう見放された気持ちになった。

 


つながった所で、子どもが科学に対する疑問に答える番組で
助けてもらえるわけはなかったけれど
それぐらい必死に助けを求めていた。

 

 

 

優しくてまともそうな隣の家の人に打ち明けようとしたりしたこともあった。

 

狭い下町の密集した住宅で
いつも怒鳴っている養父母がまともじゃないことは
近所の人は皆、気づいていたと思う。
養父母と関わりを避けようとしているのが分かった。

 

私が寒い中裸足で何時間も外に出されているときに
隣の家の人は気づかれないようにそっと心配して声をかけてくれたことがあった。

 

その時は自分がいけないと思っていたから恥ずかしくて
話していると親にバレたら大変なことになると思って
冷たく嫌な反応をとってしまったけど本当はとても嬉しかった。

 

つらくてつらくて仕方がない毎日で

ふと目が合った時に心配そうな顔をして優しく挨拶をしてくれた隣の家の人。

限界の時に話してしまおうと何度も思った。

 

 

だけど打ち明けたところで話は大きくなって
私の素行が問題だということになって
最終的に養父母が何倍にも怒りを大きくして酷い目にあうことになる。
そう考えてやめた。

 

 

 

何とかして養護施設に戻ろうと何度も考えたけれど
連絡先が分からなかった。東北で遠かった。

 

家出も何度も考えた。
友人の家や知らない町に逃げる・・・
だけどどうやっても、上手く逃げ切れる案が浮かばなかった。
結局つかまって、家出前よりひどい状況になることは分かっていた。

 

 

 

警察にかけこもうと何度も考えた。

 

でも教師がしつけだと言う親の言葉を信じるように
警察だって素行のおかしい小学生の言うことを信じるとは思えなかった。
性的虐待なんてこの頃は存在しないという空気だった。
結局私が疑われ叱られ恥をかき
家に戻った後に状況が悪化するだけだと分かっていた。

 


結局は何の行動も起こすことは出来なかった。
どれだけ逃げ出すために想像を巡らせ絶望することを繰り返してきたことだろう。

 

 

 

中学生になって
逃げだそうと考えることは無くなった。

 

私も大きく変わり
少しだけ上手に生きられるようになったからだ。
そして何より養父母が大きく変わってきたからだ。

 


中学生になると

 

友人と何とか上手くやったり
多くの人から褒められたり
たまに良い成績をとったり
モテたりして

 

養父母に支配されているだけの世界ではなくなった。
養父母の言葉や評価が全ての世界ではなくなった。
自分の世界が広がっていって、まだ見ていない世界なら生きられる気がした。
これまで、ほとんど苦しみしか味わっていなかったけれど
苦しみ以外のポジティブな感情を味わうことが増えた。

 


それにより
養父母のとの関係性や世界の見え方が大きく変わっていった。

 

 

 

ここまで書いてきたように
小学生時代はパニックだった。

 


養護施設から引き取られた先は
恐ろしいボロ家で
無職の自己愛性人格障害の性的虐待者の養父
何も考えずに夫に従う母性の欠片もないスナックのママの養母

 


発達障害のあった私は
学校で大暴れし友人や教師に叱られたり疎まれたり笑われたりする毎日。

 


解離性同一性障害で自分のことが全く自由にならない毎日。

 


養父母の激しい夫婦喧嘩
養父の八つ当たりをこめたしつけという名の暴力
怒声が飛び交う日常
一挙手一投足を監視され常に養父のそばにいなければならない異常な時間
つねに性的な欲求を見せられ、そこから逃げられない日々

 


睡眠がとれず、尋常では無いストレスに晒され
体調不良を抱えながらも、それを隠しながら
平気に振るまいながらこなしていく毎日

 


ざっとまとめるとこんな感じだ。

 


当たり前だがこんな状況下にあった私は
ひどい有様だった。

 

グズでノロマで馬鹿で鈍臭く
自信が無く卑屈でいつもおどおどしていて
可愛げも無く異常な行動をとる子ども。

 

だから私は養父母のサンドバックで
何を言ってもやってもいい、好きに扱われる存在だった。

 


ところが中学生になり状況は変わった。

 


多くの同級生や大人の話を聞き
多くの人と折り合いをつけて上手くやり
多くの人の悩みを聞いたり、矢面に立って問題を解決したりしてるうちに

 

あっという間に
養父母のコミュニケーション能力、精神年齢を追い抜き
自信や頼りがいを身につけた。

 


養父母の態度は一変した。
手のひらを返したように私を一切馬鹿にしないようになった。

 

養護施設で引き取った
サンドバックにしかならない可愛げのない子どもは
自分たちの頼れる存在に変わったからだ。

 

 

 

夫婦喧嘩をすれば、穏やかにそれぞれに共感する。
感情を除いて、問題点をあぶり出し話し合いの議題にのせる。

 

何の面白みも無い2人の話を興味をもって面白そうに聞き
くだらない下手な冗談にも大笑いした。

 

いつも養父には頼りがいがあり賢く強いというように敬意を見せ
養母には毎日働いている労をねぎらい
集客はあなたの魅力だ、あなたの頑張りの賜だと励ます。

 

経営しているスナックで問題が起きれば
その不安をいつまでも聞き
いくつかの提案をする。

 


養父母は友人がいない。
お互いに全く信頼し合っていない。

 

だから私という、いつも気持ちよくしてくれる人間が
なくてはならない存在になった。

 


この頃から
養母は養父より私に信頼を置くようになり
養父に対する不満や愚痴を私に言うようになり
たまに私の機嫌をとるようになった。

 

養父は私の友人に嫉妬するようになり
「俺から逃げたらボウガンで撃ち殺す」と冗談めかして言うようになった。

 

 

 

ここまで完全に支配されていた私だったが
急に養父母に依存されるようになり
少しだけ養父母をコントロール出来るようになっていった。

 

ところがそのせいで
私を自分のものにしようとする欲求が増し
私に対する束縛がどんどん強くなっていくのを感じた。

 

 

 

私は
私に依存している養父母にどこまで私の要望は通るかと考え

 

養父母は
私に嫌われずに養父母の権限でどこまで私を縛れるか

 

互いに空気を読みながら
こんな攻防がずっと繰り広げられていたと思う。

 

この頃から

互いにコントロールをし合う状況が続くようになる。