逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

かゆいところに手が届く


若い頃は

 

いつか自分も高級な物を手に入れてみたい、高級な所に行ってみたい
いつか流行の物を好きなだけ買いたい

 

そんなふうに思ってたっけ。

 


40を過ぎた今
多少無理をすれば、ほんの少しだけ
そういうものを手に入れられる経験が出来るようになった。

 


最初は
ずっと憧れていたことだったから高揚感はすごかった。

 

こんな高いもの!こんなブランド!
今だけ流行だって分かってるのに高いのを買ってしまった!

 


でもその時期が過ぎると
何だか首をかしげるようになる。

 

「私はこれを本当に良いと感じているのか」
「私はこれを本当に欲しいと思っているのか」

 

 

 

あまのじゃくな性格のせいなのか
絶望的なセンスの持ち主だからなのか

 

もともと
多くの人が良いと思うものを良いと思えなかった。
自分が良いと思うものは人にはあまり伝わらなかった。

 

 

 

そうそう。

 

これは今も私のコンプレックスだ。

 

多くの人が良いと思うものを良いと思えないために

 

人と好きなものの話を共有できない。
いつも人が良いと思うものに
心の中でケチをつけるような感じになってしまう。

 


若い頃は
「何がいいの?」とストレートに聞いたり
「これだったら無名でももっと良いのがある」

 

なんて本当にぶしつけなことを言っていた。

 


私も大人になり

 

自分が、人が良いと思うものを理解出来ないだけで
人が好きなものを否定するのはおかしいと分かるようになってから

 

「自分のセンスに問題がある」
「多くの人が好む物を理解できないのは自分」

 

と今度は自分を否定するようになってきている気がする。

 

 

 

だから
自分が本当に良いと思ったものや、好きだと思ったものを
同じように良いと思ってくれる人に出会うと本当に大喜びする。

 

迎合してほしいわけではないので
何となく調子を合わせられるのは嫌いだけど。

 


とても興奮する瞬間は
相手が先に好きなものを語った時に、それを私も好きだった時。

 

そして
その好きな理由もちょっと変で
普通なら見逃してしまうぐらいの所に目をつけていたりして
その目の付け所も私と似ている時の感動ったらない。

 

 

飛び上がりたくなるくらいの喜び
逆にぞっとするような驚きといった感覚がする。

 
私はこの感覚がたまらなく好きだ。

ピタッとくる感じ。

ガシャンと組み合わさる感じ。

 


どうも普通の人は

 

好きな物やそれを好きな理由がかぶることが多く
共感し合える機会が多いから
ここまでの大きな感覚は無いらしい。

 

 

 

こだわりが強く、個性的なセンスを持っている人は少なくないと思う。

 

でも私はそれだけではなくて
困ったことに

気分によって良いと思うものが変わってしまうこともある。

 


だから余計にぴったりとハマることが難しくなる。

 

 

 


最近は本当によく思う。

 

どんなに素晴らしい物よりも

 

その時に欲しいと思った物、渇望している物が
そのタイミングで与えられることがとてつもない喜びなんだと。

 

 

 

若い頃はいつだって嬉しい物があった。

 


ステーキやお寿司
高級なケーキだったら
いつだって食べたいと思っていた気がする。

 

高級ブランドの服やカバン
最先端の流行の物だったら
いつだって欲しかった気がする。

 

愛のささやきや褒め言葉
気分を上げてくれる言葉
自分に有利な情報
いつだって求めていた気がする。

 


ところが今や

 

大好物のカレーだって
ローストチキンだって
チーズケーキだって和菓子だって
食べたい時でなければ全然いらない。

 


大好きなブランドの服やカバンだって
大好きな小物や絵だって
何だか欲しくないことが多々ある。

 


有り難い言葉だって、嬉しくない、重たいことがある。
自分にプラスのことだって欲しくない、放っておいてほしいことがある。

 

 

 

なんか分からないけど

とてつもなく焼きそばが食べたい時
とてつもなくミネストローネが食べたい時に
それが叶った日

 

もうめちゃくちゃ幸せだ。

 


あったらいいなとずっと頭で思い描いていたデザインと素材の物が
形になってあったら
無名のブランドでも流行の物じゃ無くても

 

本当に嬉しくてたまらない。

 


どんづまりの時
褒め言葉じゃなく厳しい言葉が視野を広げて楽にしてくれた。
調子に乗って乱心している時
冷静に意見を言ってもらって平常心に戻れた。
つらいけれど何も言われたくない時
慰めもせずに放っておいてくれたことで癒やされた。

 

自分の代わりに自分を見ていてもらうのは
本当に有り難く、安心する。

 

 

 

このかゆいところに手が届く感じが一番幸せだ。

 


色んな経験をしてくると

 

高価な物とか流行の物とか
一見良さそうなものや、甘い言葉より

 

その時に

欲しいと思ったもの

渇望しているもの

必要なものがそのタイミングで与えられる。


その快感がたまらなくなるんだと思うんだよね。

 

 

 

 

 

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