逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝④養護施設から引き取られる

養護施設から引き取られる日の記憶は結構残っている。

 


私にとってこの日は
私の人生を大きく変えた日。

 

人生の転機・・・というか

 

私には選択肢なんてなかったから
人生の転機とか人生の岐路とも違う。

 

長く続く暗黒の日々への入り口か。

 

 

 

余談だが
小学校でドナドナを習ったとき
私はパニックを起こした。

 

歌いながら泣き出した。
コントロールできない感情が湧いてきて
結構引かれるぐらい泣いたと思う。

 


他人にはよく分からないことで
頻繁に泣く子どもだったから
いつも変な子だと周りには笑われてた。

 

悲しいメロディラインだけでも
よく情緒不安定になってたから
このことは
自分もさして気にも留めていなかった。

 

でも最近になって
養護施設から引き取られる日の記憶が
ドナドナの歌を聴いて
フラッシュバックしていていたんだと気づいた。

 


施設から引き取られた後の生活が苦しくなれば苦しくなるほど
歌詞と私の気持ちが一致していった。

 


ある晴れた昼下がり
市場へ続く道

 

荷馬車がゴトゴト
子牛をのせていく

 

かわいい子牛売られていくよ
かわいそうなひとみで見ているよ

 

ドナドナドナ ドナ
子牛をのせて

 

ドナドナドナ ドナ
荷馬車がゆれる

 


青い空 そよぐ風
つばめが 飛び交う

 

荷馬車が市場へ
子牛をのせていく

 

もしもつばさがあったならば
たのしいまきばに帰れるものを

 

ドナドナドナ ドナ
子牛をのせて

 

ドナドナドナ ドナ
荷馬車がゆれる

 

 

 

養護施設から里親の元に引き取られたことを
運が良かった、感謝しろと
人から散々言われてきたが

 

私はドナドナの子牛だった。

 

 

 

引き取られる日は
未来に何が起きるかなんて知らない。

 


かといって

 

親が出来るという嬉しい気持ちがあったわけでもない。

 

そもそも親が出来るということが
どういうことか分からなかったのだ。

 


ただ
何だろう。

 

やたらとハイになって
興奮していたことは覚えている。

 

何故だったんだろうと考えると胸が苦しくなってくる。

 


そうだ。

 

面会の時に
散々私に対してマウンティングをしてきたみんなに

 

今度は逆に
私が優越感を覚え快感を覚えたことに
罪悪感があるのだ。

 


面会が多い子も外出や外泊が多い子もいた。
でもこうして施設から出て行く子はいなかった。

 

私は言葉にはしなかったけど
寂しそうなみんな
劣等感を持つみんなを見て
きっと、してやったような気持ちを持ったんだ。

 

あぁ私もひどいな。


この瞬間が
子ども時代の私の幸せのピークだったな。
その後の地獄なんて予測しないよな。

 

 

 

見ず知らずの人と施設から出て行く。

 

あんまり覚えていないけど
それまでに何度か会ったかな。
ほとんどちゃんと話していないと思う。

 

たらい回しにされた経験から
そんなのは慣れたものである。

 


不思議な感覚はあった。

 

自分にすごく優しく話しかけてくる女性と男性。
初めての経験である。
自分に対してだけ一生懸命話しかけてくるなんて。

 

素直に嬉しいとは思えなかったし
なんだか怖くはあったかな。

 

お世話になるのは分かっていたから
良い子でいようとか
笑おうと努力はしていた気はする。

 


引き取られることは私は本当に嫌だった。
その時は自分の本当の気持ちに気づけなかったけれど。

 


施設のスタッフは
みんな良かった良かったと喜んでいるから
「そうか。喜ぶところなんだ」と思っていたと思うし

 

施設の子どもみんなに
積年の恨みを晴らすことが出来てハイになってたから。

 


本当は
施設は大好きだったし
施設のみんなと離れるのも嫌だった。

 

やっと慣れた人や場所から
引きはがされるような思いだったんだよな。

 


あと
この瞬間はよーく覚えている。

 


私の心の支えだったウサギのぬいぐるみとの別れだ。

 

体の半分ぐらいはあったかな。
大きなぬいぐるみ。
いつも一緒だった。小脇にかかえてた。

 

まだ全く言葉に出来なかった
自分の沢山の大きな感情を
ぶつけて伝えて受け取ってもらいながら毎日を過ごしてた。

 


ウィニコットの移行対象という概念がある。
簡単にいうと
母親から離れる不安や寂しさを埋めるために肌身離さず持つもの。
ぬいぐるみや毛布など。

 

まさにそれなのだが
私は多分
親という感覚をつかんでいなかったから
親代わりという感じではなかったと思うのだ。

 

なんだろう。
友人・・・仲間?違うな。

 

分身という感じがピッタリくる。

 

それが無ければ私は私でいられない。
だから離れるなんて考えられないし
離れてはいけないものだ。

 


そのウサギとの別れ。

 


よりによって
私を一番いじめた子、たみちゃんが
「じゃあこのウサギちょうだい」と言った。

 

目の前にいた養父母。

 

のちのち嫌と言うほど知ることになるのだが
この人たちはものすごく外面がいい。
とにかく見栄っ張りである。

 

だからもちろん
「みゆちゃん、あげなさい。もっと大きなの買ってあげるから。」
と言う。

 

この人たちの言うことを聞かなければいけないと
分かってはいた。

 

でもさっき言ったように
離れては生きていけないと思っているから
それどころではない。

 

ただただ
「嫌だ嫌だ」と号泣していた。

 


ここで
たみちゃんが引けば事は済むのだが

 

さすがたみちゃん

 

「いいって。ちょうだい」

 

私が小脇に抱えていたウサギを
ものすごい力で引っ張る。

 

私も死んでしまうと思っているから
わぁわぁ泣きながら必死で引っ張る。

 

地獄絵図。

 


そこに割って入る養父

 

静かに
「あげなさい」
と引きつった笑顔で言う。

 

引き取ってあげる子が自分の言うことを聞かないなんて
プライドが許さなかったのだろう。

 

今にも切れそうなほど怒っている。
でも優しい養父のフリをしている。
このままだと恐ろしいことが起こる。

 

私はそれが分かった。

 


引っ張るのをやめた。

 


この瞬間。
私は一回死んだ。

 

いや今思い出してもそう思う。

 


施設から引きはがされる不安も
施設のみんなと離れる心細さも
ウサギと離れる胸が引き裂かれる思いも

 

この人たちに少しでもその気持ちを出したら
私は生きていけなくなる。

 


言葉には出来ていなかったけど

 

悟るというか
糸が切れたようになって諦めた。

 


施設に入る前に戻ったという感じ。

 

自分は厄介者で異物で
楽しむことも何かを所有することも許されない。

 


またそんな
ただ「そこにいる」物体に戻った。

 

いや
それだけじゃなくて

 

監視をされて気に入らなければ
施設にも戻してくれず放り出す
攻撃される
ということが加わったのだ。

 

 

 

絶望をして
明らかに様子のおかしい私を引き連れて
養父母は岩手から東京に向かう

 

そのときの養父母は優しかった。

 


私はADHDだなぁと思うのが
こんなことがあっても
馬鹿みたいにすっかり忘れる瞬間がある。

 

新幹線で駅弁を買ってくれて
何が美味しいかを聞いてくれて
私がゼンマイが好きだと言うと
二人ともが自分の弁当から分けてくれた。

 

これだけで
「なんて優しい人!」と感激をした。

 

あのときの感動を覚えている。
なんていじらしい子どもなんだ。

 


あとは
お父さん、お母さんと呼ぶんだよ
って言われたり
みゆちゃんの部屋があるよなんて言われたかな。

 

最初は私を懐かせようと必死だったんだと思う。

 

 

 

こんな優しさは長くは続かない。
本当にすぐに無くなったと思う。

 


迎えられた家はひどかった。
この時代ではそんなに珍しくはないのかな。

 

古い一軒家。
門が壊れていて開かない。
綿壁でぼろぼろの壁。
六畳が二部屋、三畳が一部屋。

 

私は何かと恐がりだったから
到着したときはもう夜だったし
この新しい家が怖くて仕方が無かった。

 

養護施設は
施設だから広いし、一軒家の古さのような汚さもない。

 

だから
急にすごく狭い暗い汚いところに連れてこられたと
また絶望した。

 


階段がすごく急で怖くてのぼれないし
自分の部屋は三畳で狭くて
恐怖で震えていた。

 


今思い出しても嫌悪感しかないし
思い出したくないのか
12年も過ごしたし家にいる時間は長かったのに
あまり室内の光景が浮かばない。

 


そうだ

 

自分の部屋と言っても
そこにいることは許されなかった。
寝るだけの場所だった。

 

少し時間割をそろえようとしていたり
友達にもらった手紙を見ていたり
授業で書いた絵を見ていると

 

10分ぐらいしか経ってないと思うんだけど
養父はすぐに階段をのぼってきてふすまを開けて

 

「おい!何をやってるんだ」
「なんかあやしい」
「悪いことしてるんじゃないか」

 

本当に少しでも自分の時間を持つことは許されず
叱りつけられた。

 

養父は無職。
ありあまる時間があったのだ。

 

養父がいる間は
養父が目の届かない所に長時間いてはいけなかった。

 

もともと忘れ物をしやすい子どもだったが
時間割をゆっくりとそろえることも出来ず
異常な忘れ物の量だった。

 

いつもふすまを開けて
ほんの2、3分で自分の部屋を出て
階段を降りて居間に向かわなければならなかった。

 


だから
居間の記憶しかない。

 

もっと言えば
居間に居る養父の顔しかほとんど記憶に無いのだ。

 


この異常な養父の話はおいおいさせてもらおう。

 

 

 

養護施設に居たことが
私にとって辛い過去ではないのだ。

 

この養父母に引き取られたことが私の地獄の始まりなのだ。