逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝③愛情を与えられずに育つ

私が居た養護施設は岩手県にあった。

ここがすごい山奥で田舎だったと思う。

 

雪深い景色の中
がっつりとスパイクがついた靴や
ミニスキーを履いて移動した記憶がある。

 


養子に入る前の私の名字は
そこの土地独特の名字のようで
非常に珍しく何だか可愛らしい名字だった。
ここで明かせないのが残念だ。

 


時代が時代なのかもしれないけど
トイレがすごかった。
くみ取り式のトイレに
拭き取る紙が雑誌や新聞紙だった。
トイレ事情なんて
あんまり聞きたくないだろうから詳細に書くのは控える。
今も少しトラウマだ。

 

 

 

小さい頃は東北弁を話していたと思う。
東京で小学校に入学したときに言葉が通じなくて困った記憶がある。

 


養護施設から引き取られる前の少ない記憶をたどってみよう。

 


母が亡くなってから養護施設に入る前に
多分何件かの家に世話になった。

 


覚えている家の一つ。

 

自分より少し年上の子どもがいる家にいた。
7歳ぐらいの男の子と5歳くらいの女の子かな。

 

私は3、4歳だったから
感情を言葉になんて出来ていなかったから
自分がどんなふうに考えていたかは分からないけど
なんとなく「自分が邪魔者」であることは感じ取っていたかな。
「悪いなぁ」って感じがあったから。

 

この頃
大人と関わった記憶がほとんどない。
とりあえず家に置いてくれただけで
子ども同士でって放置されたんだと思う。

 

子ども達は仲良くしてくれるよりも
腫れ物を触るようにビクビクしていたようだったな。

 

まぁいきなり自分の家に
見ず知らずの子どもがやってきて
多分「可哀想な子だから優しくして」なんて言われたら
ビクビクするよね。

 

そこにはあまり長くいなかったかな。

 

その後
謎のおばあちゃんに引き取られる。
誰なのかは不明。
母方の祖母だろうか。

 

記憶にあるのは昔の東北の頑固な厳しいおばあちゃん。
優しく世話をしてくれた記憶は一切無く
とにかく雑な扱いをされたと思う。

 

やたらと怒られて叩かれた記憶しかない。
だけど何故かそんなに嫌な気持ちはない。

 


この辺の記憶があまりない。
ホッとしたとか楽しかったとか
逆に傷ついたとかそういうのもない。

 


なんかこう
ただ目の前のことを受け入れていたような感じ。

 

ただそこにいるしかないし
優しくされないのも当たり前だし
怒られるのも叩かれるのもそういうものだと思っている。
そこに悲壮感は無い。

 


外側から見ると可哀想なのだが

 

本人は
子どもが温かく育てられるものだなんて知らないし
嬉しくない状況が毎日変わらずやってくるから
それが当たり前になっていて苦しいと感じないのだ。

 

それよりも
私は変化が苦手な性質だったはずだから
めまぐるしく変わる周囲の環境や人間に
ついて行くのがやっとだったから
自分が何かを感じる暇なんてなかったのかもしれない。

 


私がこの辺の事を思い出すとじわっと感じるのは
「ただそこにいただけ」
という感じ。

 

どう言えばいいかな。

 


子どもの頃の記憶って
誰かが自分を見ている場面だったり
話しかけてくる場面だったり

 

怒られたり褒められたり喜んだり悲しんだりと
誰かが自分がしたことに反応している場面なんじゃないかな。

 


この頃の記憶は

 

自分を見つめてくれるような目はなかった。
自分に問いかけてくれることもなかった。

 

「可哀想な子ども」だったからか
ありがたいことに感情をぶつけられることも無かった。
残念ながら温かい感情をくれる大人も居なかった。

 


ただそこにいて
厄介になっているのだけは感じ続けるような感じ。

 


無条件の愛情を沢山もらわなきゃいけない時期に
こんな経験ばっかりだったら
変な子どもになったって仕方ないよなぁ。

 


そこから養護施設。
ここでの記憶も多くない。

 

よく覚えているのはおもちゃで遊んでいたこと。

 


マジンガーZの大きな大きなおもちゃ。

 

記憶では自分と同じくらい大きかった気がしてる。
その大きさにワクワクが止まらなかった。
それにボタンを押すとパンチが飛んでいく仕組みがあって
たまらなく興奮して、ずっとパンチを繰り出していた。
いまだにこれを思い出して興奮するぐらい
私にとってのインパクトは大きかった。

 


たらい回しにされていた間は
ただ住む場所と食べ物を与えられていて
生かすために世話をされていた感じだっただろうから
遊ぶって事がほとんどなかった。

 

子どもがいる家にはにおもちゃがあった気がするけど
触ったときに怒られてから遠くから見ているだけだった。

 


生まれて初めて自分が触っていい
遊んでいいおもちゃがある状況。

 

もう「本当にいいんですか!私なんかが!」って気持ちだ。

 


理解されづらいことだが
私の中では
養護施設での思い出は実は結構良い思い出だ。
それまでの環境に比べればすごく良かったから。

 


同じ年くらいの子がいて
その子達が自分を腫れ物を触るような扱いをしないでいてくれる。
養護施設のスタッフは叩かないし
本当にたまにだけど自分を見てくれる。

 

転々としなくていいし
厄介者ではない。
出来上がっている集団に後から放り込まれる異物のような気持ちで
気を遣って小さくなっていなくていい。

 

すごく幸せを感じていたんだと思う。

 


施設の子ども達に対する気持ちは
友達っていう感じでもなかった。

 

家族っていう感じでもない。
ずっと一緒に居て寝泊まりをするわけだから
家族のような意識になりそうなものだけど。

 

集団生活だし
小さい子どもが沢山居てスタッフが少ないから
軍隊みたいなルールはしっかりとあったと思う。
厳しいしつけではないけど
とにかくルールに従って生活をする場所だった。

 

家族みたいな自由度はほとんどない。
だけどスタッフからの虐待はなかったし
自由時間にはちゃんと遊ぶことはできた。

 


そんな感じだから
私は養護施設の仲間を
良いライバルという感じに思ってたと思う。

 

今思い出しても熾烈だったのが
スタッフにかまってもらいたい子ども達が群がる光景。

 

私はいつも遠巻きに見ていた。

 


私の子どもの頃の記憶でよく浮かぶ場面が
こんなふうに自分以外の子ども大勢が群がっている対象に
自分だけ遠巻きから見ている光景。

 

いつもそこから動けなかった。

 

いたたまれなくて
その場所から離れていくこともあった。
フラフラとどこかに行って行方不明になって
どこにいってたんだと怒られることも多々あった。

 


私にすれば
構ってもらいたいからといって対象に向かって群がるなんてことは
ものすごい高等技術だ。

 

私もスタッフに触れたいと思っていた感情を思い出す。
出来なかったんだろうなぁ。

 

自分から何かを求めていくなんて
ほんの少しは愛された経験が無いと難しいんだと思う。

 

 

 

いつものように
スタッフに群がる子ども達。

 

所在なさげにいた私は
散らばってたおもちゃを片付けていた。

 

所在なかったから片付けていただけだ。

 


そんな時
沢山の子ども達に群がられて
ほとほと困ったスタッフはこう言った。

 

「みんな美由ちゃんをみてごらん
 一人でお片付けしてるよ。えらいねー」

 

そっと頭を撫でる。

 


・・・

 

きたーーーー!!!

 


生まれて初めての快感。

 

欲しかったスタッフの愛情
他の子ども達から頭一つ出たような優越感
目立つことによる多くの羨望の眼差し

 

欲しくてたまらなかったものが一気に押し寄せてきた。

 


だからこれがかなり私の中に強く残ってしまった。
学習してしまった。

 


群がってその他大勢であしらわれるより
遠くでその標的が望むこと、良い子でいることをしていれば
褒められるらしい。見てもらえるらしい。

 

カタカタカタカタ・・・チーン。

 


コレヲツヅケルンダ

 


その後
激しくこれを繰り返した。

 


これだと思ったことを狂ったように繰り返す
しつこい性格は変わっていない。

 


あまりにこれを使いすぎて
あざといのがバレてたと思う。
スタッフも困ったのではないだろうか。

 

いつもみんなが群がっているときに
一人ぽつんと良い子をやってる。
ちょっと気味が悪かったろうし可愛くなかったと思う(笑)

 

 

 

あぁ思い出した。

 

多分私は
とても頭が回るし
ケンカの際は口が達者で相手を完膚なきまでに打ちのめすから
私にはどうしようもない部分で攻撃を受けることが
小さい頃から最近まで続いていた。

 

最近やっと売られたケンカも買わなくなって
強い者は手を出してはいかんと
サンドバックになることを選んでいるけれど。

 


この頃は
施設の中では優等生で
いつも面白いことを見つけたり面白いことを言ったりして
みんなの中で目立っていたと思う。

 

それを面白くない子達は
面会の時にマウンティングをする。

 


面会とは
施設に預けられた子ども達に親や親戚が会いにくること。

 

身寄りがない子どもよりも
事情があって預けられている子が多かったから
面会は頻繁にあったと思う。

 


面会の際
空気的には
大富豪と大貧民のような感じ。

 

面会が多い子は富豪
泊まりで外出する子は大富豪

 

私のように一切面会が無い子はほとんどいなくって
私は大貧民

 

普段の腹いせに
「面会ないねー可哀想」
「みゆちゃんってお父さんお母さんいないの-?」
なんて言ってくる。

 

無邪気にではない。
恐ろしいでしょう。
子どもでも、施設の子のように純粋そうな子でも
こんなマウンティングはあった。

 


この時かな。
生まれて初めての感情が芽生えたのは。

 

自分が生まれつき劣っているんだというやるせなさ。
普段の頑張りがガラガラと全て崩れ落ちるような絶望。
戦おうにも戦いようがない無力感。
人に対する悔しさ、憎悪。

 

言葉にするとこんな感じだけど
そのときは全く言葉に出来なかったし
なんにも言い返せなかった私は
強い感情にどうしたらいいか分からなかったと思う。

 


今書いていて思ったけど

 

今も私がとてつもない怒りが湧くのは

 

生まれつきだったり努力とは関係ない部分を攻撃されること
頑張りを簡単に無にされること
こちらが手を出せない状況で攻撃され続けること。

 


今も変わらない。

 

一番卑怯で卑劣なことだと私は感じる。

 

三つ子の魂、百までって本当にそう思う。