逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

ギフテッドは協調性が無いことに悩まなくていい

ギフテッドは協調性は無くてもいい

 

 

協調性の無い自分を責めているギフテッドに

私は伝えたいんです。

 

 

自己中心的であれ
はみ出し者でいろ

人と上手くやる必要はない…

 

こんなことを勧めたいわけじゃありません。

 

 


自己中心的ではギフテッドらしさは発揮できない

ギフテッドはリーダーになってこそ生かされる

ギフテッドは本当は人が好きなはずですからね。

 

 

 

私が伝えたいのは

 

世間一般で言われている協調性の有無が

とてもいいかげんで

 

協調性が無いと人から言われても

ギフテッドが本当に協調性が無いわけではないということです。

 

 


自分を責めたり、落ち込んだりする必要なんてないんです。

 

 

 


世間一般で言われている協調性とは

 

 

どんなに理不尽なルールでも、疑問を持たずに従う

 

どんなに間違っていても、多数派に従う

 

どんなに自分が嫌だと思っていても、権力のある人にNOとは言わない

 

 

こんなことじゃないでしょうか。

 

 

 

私はずっと

協調性が無いといつも言われてきました。

 



私は「郷に入っては郷に従え」という言葉は大事にしてきたし

 

そのコミュニティにとってより良いことは何かをいつも考えていたし 

自分の利益よりコミュニティの利益のために尽くしてきました。

 

 

 

 

でも先ほど挙げた世間一般の協調性を持たなかったせいで

協調性がないと非難されてきました。

 

 

 

 

私はいつもその場所で
最低限のルールを守っていました。

 


コミュニティ側は
「ここは自由。選択の自由はちゃんと与える素晴らしいコミュニティ」

 

表向きのメッセージはこうです。

 

 

ところが、いざ私が自由を行使すると


「みんな同じことをやってる」
「暗黙のルールが分からないのか。この馬鹿。」

 

 
必ずこんな空気になりました。

 

 

 

みんながやってることに疑問を持たなくていい
自分の行動のひとつひとつに責任を持たなくていい

 

私にはこんなことが不思議で仕方ないんです。

 

 

 

またギフテッドの人は
きっと同じ思いだと思いますが

 

小さいコミュニティでだけ
助け合ったりして同じ目標にむかって強く結束することに抵抗があるんです。

 

 

 

小さいところで
助け合い同じ目標をもつところまではいいんです。

 

 

でも

自分の隣のコミュニティは無視したり

他のコミュニティを敵視したりするような結束の仕方に馴染めませんでした。

 

隣のコミュニティとも助け合う

他のコミュニティも敵視しない態度がまた

 

自分のコミュニティを大事にしていない、協調性が無いと疎まれるんです。

 

  

 

ギフテッドの私は

 

そんなことより小さいところでも助け合って

さらに大きいところで助け合って

もっと大きいとこで助け合って

 

ひいては人間みんなで助け合って同じ目標をもつ…

 

それでいいじゃないと思っていたんです。

 

 

もっと広い視点で協調性を持ちたいと思っていたんだと思います。

 

 

 

だから

協調性が無いと散々言われてきたギフテッドの人

 

 

協調性がないって言われるのは 

 

きちんと疑問を持てているということ 


自分の行動に責任を持っているということ


広い視点を持てているということで

 

 

世間一般の協調性は同調圧力でしかないとわかってほしい。

 

 

だから自分を責めたらダメです。

それでいいんです。

 

一般的な協調性は無くたって

もっと広い協調性をあなたは持っているんですから。

 

 

 

 

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