逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝57 衝撃的な真実

この事は書くべきかどうか悩んだ。

 


自叙伝では読んだ側があまりに衝撃的すぎることや
私が誤解を受けるであろうこと
私のクライエントさんが読んで悪影響があることは

 

内容を柔らかくしてることも、伏せていることもある。

 

 

その点でこれは判断が難しかった。

 


でも私の心に大きな影響があったことで
この事を知っていてもらえなかれば伝わらないことが沢山あるので

 

ブログやこれからのカウンセリングで伝えていきたいことを伝えるために
この事を書くことにした。

 

私と感じた衝撃を感じてもらうために
私がこの真実を知ったのと同じタイミングで明かす。

 

 

 

私は小さい頃

 

知らない人の家を転々とさせられ
養護施設では孤児だと罵られ既に自尊心はボロボロで

 

いつも下を向いていてオドオドと下から顔色をうかがい
可愛げも無く卑屈な雰囲気を醸し出していたと思う。

 

 


残念なことにそれにプラスして容姿にも恵まれていなかった。

 

手入れを知らなかった歯は味噌っ歯と言われる歯で溶けて汚い
目立って青白く真っ白な肌に沢山のそばかすがあって汚れのよう
髪は施設の職員が適当にぶつ切りしたヘルメットのようなショートカット
東北の養護施設で着せられた服はお下がりでヨレヨレでシミもついている

 

大人が見ず知らずの子どもを可愛いと思うのには到底難しい容姿だった。

 

 

だから養父母も私を奴隷のような扱いをしたくなったんだろう。

 

「引き取ってやったんだ感謝しろ」
「働かなきゃ食わせない」
「うすのろ。グズ。まぬけ」
「きたねぇ歯だな」
「ブサイクな顔だな」
「気持ち悪い顔しやがって」
「陰気で可愛げのないガキ」

 


どんな言葉もその通りだ当然だと思っていたし
引き取って食べさせてくれた二人には感謝をしなきゃと思っていた。

 

 

小学校に入学したばかりの頃は

 

親に世話をされることもなく自分の世話をすることも出来ず
お風呂もろくに入らず歯も磨かず汚い子どものままだった。

 

 

3・4年生になって

 

クラスの子を見て綺麗にしてオシャレをすることを学んで
学校で自信をつけて明るく元気になってきて

養父母は罵ったり馬鹿にしたりすることが減ってきた。

 

 

中学生になって

 

酷かったそばかすは消え、背が伸びてスラッとし、髪を伸ばし
振る舞いも女らしく品があるように意識し「綺麗」と言われるようになり

養父母は知り合いに「娘さん綺麗ね」と言われると自慢げにしていた。

 


グループのリーダーになったり学級委員をやったり
まぐれで学年トップをとったりして賢く頼りがいがある所を身につけたら

 

養父母は私を頼るようになり
養父は「俺に似て美人、賢い」と訳の分からないことを言うようになった。

 

 

高校生になって

さらに容姿を磨いてオシャレをして
背筋を伸ばし颯爽と歩き笑顔を振りまいて人が綺麗と振り返ってくれることが増えた。


学級委員をやったり、人気者と親しくなったり、クラスの人気者になったり
学年トップをとったりみんなに尊敬されたりする奇跡が続き
私も自分に自信満々の時期だった。

 

 

そうするとまた養父は

 

「俺に似て賢い」
「俺に似て良かったな。感謝しろ」


私が血の滲むような努力で手に入れてきたものまで全て
養子なのに実の親子だという妄想までして
自分の手柄にしようとする養父に恐怖を感じた。

 

 

そんな実の親子の妄想の発言の直後に


「お前も彼氏とエッチするんだろ。俺と予行演習するか」


こんな言葉を平気で吐けるのだ。

本当に狂った人間だった。

 

 


私が綺麗になって輝けば輝くほど
私が賢くなって良い成績をとるほど


「俺に似ている」

「俺に似ている」


ずっとこれを繰り返す。

 

 

私はある日ついに耐えきれなくなって

 

「私は孤児だから似てるわけないよ」と養父にたてついた。

 

 

すると養父は悪びれずに言った。

 

 

「いやお前は俺の子どもだもん」

 

 

その時、横に居た養母を見る。

頷きながら「岩手の孤児院に娘がいると聞いて驚いたよ」

 

 


信じられなかった。信じたくなかった。

 

 

でも誰が見ても
私と養父はそっくりだった。

 

どこに行っても
「娘さんそっくりね」と言われた。


手の形と足の形がそっくりで気味が悪かった。

 

 


実の娘だった。

 

 

じゃあ何故ずっとそれを言わずに
それまで放置してきて私を苦労させたことに詫びも無く

 

「引き取ってやった」
「食わせてやってる」
「感謝しろ」
「金がかかる」

と言えたのだろうか。

 


いつも他人にご飯を食べさせてもらっていると申し訳ない情けない気持ちになりながら
ずっと育ってきた私の気持ちは何だったんだろう。

 

どんな暴言も暴力も

世話になってるんだから当然だと耐えてきた。

 

 


本当は女性を妊娠させて別れて
シングルマザーにして一切助けもせず
母親が癌で亡くなっても子どもを放置して好き放題暮らしていた酷い父親

 


何故か気が向いて養護施設に引き取りに行って
自分の悪行がバレないよう
ずっと赤の他人のフリをして孤児を引き取った善人のフリをして
子どもを奴隷扱いしてしてきた

 


人がここまで酷いことが出来るのだろうか。

 

 

性的虐待も
赤の他人の狂った人間のすることだから耐えられた。

 

 

あれが血の繋がった父親がしてきたことだったのだ。

 

 

驚きとか怒りとかいう感情では表せない。

 

長い長い時間、真実を知らずにずっと死ぬ思いで耐え続けてきたことが
覆ってしまった。

 


とても受け止めきれない。

 

 

怒り感情の前に湧いたのは殺意だったかもしれない。

 

この真実を知って何もせずにいられる気がしなかったし
養父がいなくなっても自分が生きられる気もしなかった。

 


真っ直ぐに養父の言うことを信じて生きてきてしまった

どうしようもなく長い時間。

 

孤児だからと諦めて受け入れて何とか踏ん張ってきた長い時間。

 

引き取ってくれたことに対する感謝だけで何とか抑え続けてきた養父への怒りは
今にも爆発しそうだ。

 

 


何より
この狂った人間の血を引いているという事実

 

これが一番受け止められなかった。

 

 

汚い。私は汚い。

 

私が変人なのは、ずっと学校でおかしなことを繰り返してきたのは
狂った人間の血を引いていたから。

 

もう治らない。私もこうなっていく。

 

 

どこにも発散できない大きな感情がぐるぐると渦をまいて
めまいと吐き気がする。

 

そしていつものように心が凍った。

 

 

私は数学があって幸せ。
高校生活は楽しい。
かっしーとかなたと遊んでいられたらいい。

 


養父は養父だ。

 

 

いまだに養子に対するように

 

「働かないと金は出さない」
「ここまで立派になったのは引き取ってやった俺のおかげ」と言っているし

性的欲求を向けてくるし

 


私もそれに応えて養子のままでいたらいい。


血が繋がっているというのは養父の妄想だ。

 

そうやって何とか自分を騙しながら
私は現実に戻っていった。

 

 


血の繋がりのある人がいて良かったじゃないかと思うだろうか。

私を天涯孤独じゃないと思うだろうか。

 

 

この事実を知ったって私は天涯孤独だ。

 


ずっと養子として育てられてきた。
他人として恩を着せられてここまできた。

 


一言「血の繋がりがあった」と言われ真実が分かっただけで
何も変わらない。

 

 

多くの人が
本当に酷い親がいても「血の繋がりがあるから捨てられない」と言う。


血の繋がりがどれだけ逃れられないものかというのは
あなたには分からないと言われてきた。

 


私にも血の繋がりのある狂った親がいた。

 

 

でも血の繋がりなんて関係ない


私は心からそう思う。

 


血の繋がりなんて

たまたま同じクラスになったクラスメイトみたいなものだ。

 

赤の他人だって、もっと遠くに居たって


精神が似た者の方が

共に助け合う時間を長く過ごした者の方が家族と言えるんじゃないか。

 

 

普通の人は
血の繋がりのある人が精神も似ていて、共に助け合っているから
血の繋がりを大事にするのは理解できる。

 


でも血の繋がった人間が狂っていたら?
血の繋がりを大事にする必要なんかない。

 

 

親は親として愛情を与えた時に親になれる。

 

どうか血の繋がりがあるからと

異常な親を捨てるなんて非道だと思わないでほしい。

 

 

本当に非道なのは

家族という形に甘えて人の人生を乗っ取っても平気でいる人間だ。


家族という絆は血の繋がりが無くたって作っていける。

 

 

血の繋がりを心からすっかり捨て去って

家族同然の人を自分の手で手に入れてきた私はこう思う。