逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

人がうらやましくてたまらない

人がうらやましい。

 

うらやましくてたまらないんだ・・・

 


私はうらやましいお化けだと思う。

 


ずいぶんと長い間
自分を叱り、いさめ、軽蔑し、押さえつけて
この大きな羨望、嫉妬心と戦ってきたけれど

 

年齢とともにエネルギーや欲望が減っていって
枯れていくものだと思っていたけれど

 

40を過ぎてもいまだ全く衰えない
この煮えたぎる思い。

 


もうこれは
生まれもって組み込まれてしまったシステムエラーなのだと・・・
もう治らないものなのだと戦うのをあきらめた。

 


恥ずかしいけど
うらやましいお化けの化け物っぷりを明かそう。

 

 

 

子どもが両親に両手を繋がれてぶらーんぶらーんしている。
子どもが最新の面白そうなおもちゃで思う存分遊んでいる。
子どもが思い切り親に駄々をこねても笑って受け入れられている。

 

あぁうらやましい。

 

もう40歳すぎているのにね。

 

 

 

非の打ち所の無い、お人形さんのような顔に長い手足のモデルさんが
着こなすのが難しい素敵な服を着こなし、颯爽と歩いている。
その様子だけで日常的に人から一目置かれ、敬意を払われている。

 

あぁうらやましい。

 

生まれつき無理なものは無理だし
美しすぎる人には美しすぎる人の沢山の大きな苦悩があって
私は美しくないからだいぶ楽をしている部分があるのにね。

 

 

 

高校生の可愛らしいカップルがラブラブで寄り添っている。
世界一幸せそうで、お互いを最高だと思って、夢中になっている。

 

あぁうらやましい。

 

自分だって通り過ぎてきたし
今そうしたいかというと そんな事もなく
今は恋愛より人として愛されたいし、恋愛より夢中になりたいものがあるのにね。

 

 

 

幸せそうなご夫婦と可愛い赤ちゃんと5歳ぐらいの男の子の4人家族
電車で移動しながらみんながリラックスして話し笑ってる。

 

あぁうらやましい。

 

育児は死ぬほど大変で、人と暮らすことは折り合いをつけていくことで
楽ばかりじゃないのが分かっていて、家族の幸せだけ欲しがってる。
自分は自分勝手に生活して、自分の好きなように時間が使いたいのにね。

 

 

 

世界一のスポーツ選手や世界有数の芸術家
ハリウッドスターや
有名な映画監督や、有名な小説家や、有名な大富豪・・・
きらびやかな場所で評価されている。

 

あぁうらやましい。

 

自分は全く同じ世界で努力したこともなければ
そんな才能を自分に感じたこともない。
それなのに、自分とは全く違う方向、全方向に、桁違いにすごい所に
うらやましさが止まらない。

 


どうでしょう。
書いていて自分でおそろしくなってきたわ。

 

もう世の中の老若男女、どんな方向にもうらやましさが止まらない。

 


みんなは少しの嫉妬で恥ずかしがったり、自分を責めたりするけど
ここまで酷い人もいるので安心してください。

 

 

 

多くの人と関わってきて
多くの人の奥深い内面に触れてきて分かったことがある。

 


誰だってうらやましい気持ちは持っているんだ。

 

それをどう扱うか個人差が出ているだけなんだと思う。

 


その個人差はどう出るかというと

 


・恥という気持ちから、この気持ちを葬り去る

 

・認めたら負けという気持ちから、この気持ちを葬り去る

 

・人をうらやむなんて良くないことだと、この気持ちを葬り去る

 

・この気持ちを感じたくないから
 はなから負けを認めてしまって、どうでもいいと諦める

 


こんなふうにして
うらやましい気持ちを無くしていっているだけで

 

みんなうらやましい気持ちは持っているんだと思う。

 

 

 

私はというと

 

みんなと同じで

 

羨望や嫉妬を持つ自分が恥ずかしく、情けなく
この気持ちを感じたくないと強く思ってきたけど

 

それを超える
自分の気持ちに正直にいたい
自分の欲求に従って生きていきたい・・・という気持ちがあったせいで

 

先ほど書いたような異常なうらやましいが止まらなくなったんだと思う。

 

 

 

話は少し変わるけど

 


自分は自分だと思えていて
人と比較しないと思えていれば人をうらやまない、なんて言う人がいるけど

 

そんなわけあるかいと私は思っている。

 


私は相当
我が道を行くタイプだし、自分のことが大好きだし
あまり人と比較しないでほぼ毎日自分と戦ってる。

 


でも
人とちゃんと関わる以上、人のことは嫌でも見える。

 

比較とはまた別の意味で、人を見ることはあるはずだ。

 

 

例えば


自分の道が一番好きだと思って順調に進んでいて

人とスピードも競っていない。

 

まだ目的地についてないし、楽園ともいえない場所にいる時に

 

人がその人自身の道を進んでいて
一時的に結構早めに楽園にたどり着いて、めちゃくちゃハッピーな場面を見たら

 

それは
「ああ、その道を私も進んでたら、私も楽園着いてたな」
と思ってしまうじゃない。

 


多くの人が一時的に楽園にたどり着いた人に
「すごいスピードだ。努力したんだね。力があるんだね」
と褒め称えていたら

 

それは
「ああ、私の道は険しかったからスピードが遅いだけで、努力も力も負けてないのに
 私だって最初からその道を進めていたらたどり着いてる」
と悔しく思ってしまうじゃない。

 


人と比較をしない人でも
人の様子が見えてしまう以上は
一度はこんな思いがよぎるんじゃないかな。

 

やっぱり結局は自分の道がいいと思うとしても。

 

 

 

私もそうだな。

 

自分で選んではいないけど、険しい道をここまで進んできて
いまさら引き返したり違う道を進むのは悔しいし

 

その楽園にいる人の道を0からスタートしようなんて思わない。

 


楽園に近い道を選んでも、その先がそんなに良い道じゃないかもしれないと思う。

 

自分の道は険しいけどその道自体が楽しいし
ここまで苦しい思いをして進んできた自分の道に愛着が湧いているし
たどり着くはずの楽園っぷりも半端じゃないはず・・・なんて思うから

 


結局は「やっぱり自分の道がいい」って思う。

 

 

 

あぁ書いていて分かった。

 


死ぬほどうらやましいって思って
それでも結局自分の道がいいって思う・・・

 

そんなことを何度も繰り返していくと
ものすごい自分の道を愛せるようになるね。

 


自分がコレだと選んでから
コレはどう?これは?って、もっと良さそうな誘惑が何度もあって
何度も比較検討して
心から自分はコレが良いんだって思うことを繰り返したら

 

もう自分の選んだものに強い愛情というか確信のようなものが出てくるね。

 

 

 

それに一度はしっかりうらやましいと思う事って
自分の選んだものだけじゃなく
それ以外のものも素晴らしいって認めていることでもあるじゃない。

 


うらやましいっていう気持ちを憎悪に変えてしまったり
自分の持っているものの良さに気づけなければ良くないことになるけど

 


人をしっかりうらやましいと思って
しっかりと自分の持っているものだって素晴らしいと着地する。

 

これは自分も他人も認めることだ。

 


人がうらやましいと思うことは悪い事じゃないな。

 


引きつづき
人をうらやましいと思い続けてこうっと。

 

 

 

 

 

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