逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝㉙生まれて初めて感じた気持ち

小学校4年生の頃

 

私は近所のあすかちゃんという子と仲が良かった。

 

彼女のことは
いまだに鮮明に覚えている。

 


これまで書いてきたように

 

私は人を喜ばせることが得意だったし
明るくエネルギッシュで魅力のある部分もあったから
友人から一度は熱烈に好かれる。

 

でも
人格の変化があったり
魅力を超えて変な部分や迷惑をかける部分があったりして
必ず最後は疎まれることになった。

 

あるいは
私の方が友人に対して自己犠牲をして関わりすぎて
自分から離れていくことも多かった。

 

驚くべき事かもしれないが
30歳ぐらいまで
長く関係が切れることの無い友人がいたことはなかった。

 

これも長年私を苦しめてきた

恥ずべきことの一つだ。

 


私の中では
あすかちゃんとだけは何かが違ったと思っている。

 


3年生の頃
あすかちゃんは父親の転勤で転校してきた。

 

あすかちゃんの家は
私の家から歩いて3分ぐらいの所で一番のご近所だ。

 


あすかちゃんは
背が高くてスラッとしていて美人で
頭が良くて明るくていつも笑顔で性格が良い子だった。

 

声に特徴があって
裏返るようなちょっと響く声で
私はこの声を聞くのが大好きだった。

 


私はすぐにあすかちゃんに夢中になった。

 

毎日学校が終わって
あすかちゃんと遊ぶことしか頭になかったし
友人はあすかちゃんしか要らないと思っていた。

 

もっと言えば
この頃の私は

毎日が地獄のようだったから
あすかちゃんと過ごす時間が生きる意味だったと思う。

 


この頃
自分を客観的に見ることは出来ていなかったけれど

 

こだわりが強く
好きなものに対する執着や依存が病的だった私だから
相当にあすかちゃんにまとわりついていたと思う。

 


いつも友人はまとわりつく私を嫌がる。

 

それなのにあすかちゃんは嫌がらなかった。

 


毎日遊ぼうと行ってもほとんど断らない。
迷惑そうな顔をしたり
間を置いて考え込むこともなかった。

 

友人が嫌がる表情を見せるとすぐに気づいていた私だから
本当に嫌がられていなかったのだと思う。

 


あすかちゃんは
いつも友人に嫌がられるような行動
私が楽しくなりすぎてテンションが上がって暴れ出したり
想像力が爆発して妙なSFチックな話を始めたりするのを見て

 

細くて長い手を大きく振って叩いて大笑いしたり
大きな目を見開いて面白がってくれたりした。

 


いつも友人に気持ち悪がられる行動
感情表現が豊かすぎて
幼児のように「楽しいね」「嬉しいね」「大好きよ」
とやたらと言葉に出す私に

 

あすかちゃんは一緒に
「そうだね」「私もだよ」
といつも応えてくれた。

 


あすかちゃんに甘えて
こだわりを出してワガママになって
困らせた場面も沢山あったと思う。

 

そういう時の私に対して
当たり前だが誰もが嫌悪の顔を浮かべる。

 

あすかちゃんはというと
困った顔をしてしばらく黙った後
ハッとした顔をする。

 

そして
「じゃあこうしようか」
新たな提案をしてくれた。

 


明らかにワガママで
私が理不尽で悪いことをしている時は
絶対に折れずに怒らずに
私が自分で気づいて謝るのを待っていてくれた。

 


今まで誰もが嫌悪する私の変な部分を面白がって
今まで誰もが許さない私の悪い部分を治るまで見ていてくれて
今まで誰もが部分的にしか愛さなかった私を全部愛してくれた。

 


どう言葉にしていいか分からないが

 

ありきたりの言葉を使うと

 

生まれて初めて
自分がすべて受け入れられたように感じたのだと思う。

 

生まれて初めて
なんにも怖いと思わないで

怯えないで居られる時間を過ごしたのだ。

 

 

 

今書いていて浮かんできた。

 

これまでの人生で
私は沢山の人に助けられてきたけれど

 

それらは全て
私から先に十分に何かを与えて
そこから返してくれるような形だった。

 

私の光の部分や魅力のある部分のみを見せて
それに対して何かを与えてくれる人しか居なかった。

 

 

相手から助けてくれることも与えてくれることもない。

私が私らしく居たらみんな離れていく。

 


私は何も与えないのに
私はありのままでいるのに
それを受け入れてくれたのは多分彼女しかいなかった。

 

今思うと
同い年だし
お姉さんのような振る舞いはしなかったけど

 

彼女は
私の母親のような存在だったのかもしれない。

 

 

 

あすかちゃんだけではない。

 

私はあすかちゃんのお母さんにも救われた。

 


普通であれば
すごく変わっていて親も普通では無い子どもと
自分の娘を仲良くさせたくないと思うはずである。

 

ところが
毎日のように押しかける私を
いつも笑顔で迎えてくれて

 

いつも帰り際に
帰りたくないと駄々をこねる迷惑な私に対して
「そうだね。まだ遊びたいね」
と言ってくれて

 

「うちでご飯を食べさせていいですか」
と養父母に何度も交渉までしてくれた。

 



私は自分の家庭環境の話をしたことはないけれど
私の態度や養父母を見て
あすかちゃんのお母さんは何かを察していたのかも知れない。

 


「大丈夫?」
「なにかあったらおばさんに言ってね」

 

そうやって
無理に聞き出そうとせず
私の気持ちに寄り添いながら
私を守ろうとしてくれていたような気がする。

 


養父母もあすかちゃんのお母さんに
何か自分たちのことを見透かされていると感じはじめていたようだった。

 

何度目かで
「迷惑が掛かるからやめろ」
「うちがろくなもん食べさせてないみたいじゃねぇか」
「そんなにうちが嫌なら出て行くか」
と私に怒るようになり

 

あすかちゃんのお母さんに
「うちの教育方針がありますので」
「いつもお邪魔して悪いので行かせないようにします」
と言うようになった。

 


全く言葉には出来ていなかったけれど
私はこの時の気持ちを覚えている。

 

ずっと養父母に信頼など置いていなかったし
良いときもあるけれど
基本的には嫌な人たちだと思っていた。

 

だけどこの時ハッキリと
「敵だ」と感じた。

 


このとき

私の味方はあすかちゃんとあすかちゃんのお母さんで
養父母は完全に戦うべき敵だったのだ。

 


だけど私は
自分の気持ちを上手く言葉にできなかったし
自分に起きていることを誰かに話す事なんて想像もできなかったから

 

これだけ心は頼り切っていても
二人には何一つ打ち明けていなかった。

 


あすかちゃんの家に遊びに行かないようにさせようとする養父母。
何が何でもあすかちゃんの家に遊びに行きたい私。

 

それを察してくれたあすかちゃんのお母さんは
うちの養父母に対して
「うちではなく○○ちゃんのお宅にいるみたいですよ」
という嘘をついてくれるようになった。

 


以前ほどの頻度では無くなったが
無事あすかちゃんのところに遊びに行くことができるようになった。

 

多分
疑り深い養父母がすぐに信じて疑わなくなったのは
他のうちの子の親御さんにも
そう口裏を合わせるようにしてくれていたのかもしれない。

 


その時は分からなかったけれど
大人になった今ならこれがどれだけ大変なことか分かる。

 

とても頭の良さそうな人だったから
この嘘がバレたらあとあと大変なことになることは分かっていたはずだ。
こんな面倒でリスクの高いことをやってくれていた。

 

今思い出すとありがたくて涙が出てくる。

 

 

 

こんな幸せが1年ほど続いて
私はうっすら
助けてもらえるかも知れないと思い始めていた。

 

他人なのに何故か
あすかちゃんとあすかちゃんのお母さんがいれば
私は生きていけると思い始めていた。

 


ところが幸せは長く続かない。

 

4年生の終わりで
あすかちゃんのお父さんの転勤で
あすかちゃんが北海道に引っ越すことになった。

 

 

私の感覚では隣町であっても今生の別れだ。

それが北海道だなんて絶望的だ。

 

私の世界は狭かったし
私には電話や手紙のような離れて交流をする手段も
使い方が分からなかったし親が許してくれると思えなかった。

 

 


この気持ちをどう表現して良いか分からない。

 

彼女が死んでしまうような気持ち。
生まれて初めての希望が突然奪われた。


これから先どうやって生きていっていいか分からなかった。

 

 

私は自分の気持ちをなんとかするのに精一杯で
あすかちゃんと
あすかちゃんのお母さんの気持ちを考えることはなかった。

 


この事実を知ってから
言葉にはならない絶望で

 

私には
二人の声が聞こえなくなってしまっていて
感情も無くなってしまっていた。

 


今思い出してみると
二人は泣いていた。

 

私と離れる寂しさでは無いだろう。
多分私を不憫に思って
私を救えなかった無力感かもしれない。

 

最後まで
私を侵害しないで全力で守ろうとしてくれたのだと思う。

 


その後も
電話が来たことがあった。

 

親の目の前で何も話せなかった。

 


手紙が来た。
親が読み上げる。

 

私の返事も確認する。

 


もうこの頃の私には
どうやっても
遠く離れた二人と心の交流をとることは出来なかった。

 


30年経った今でも二人を思い出す。

 

たった1年の出来事だけど
私にとっては大事な大事な思い出だ。

 

 

 

私が生まれて初めて
味わえたこの気持ちは本当に大事なものだ。

 

しかし人間は落差に弱い生き物である。

 


この後の私は

 

希死念慮
鬱や解離性障害に悩まされるようになり
問題行動を起こすようになる。