逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝㉒ディスレクシアの私

私はディスレクシアだった。

 

気づいたのは30代後半。

 

振り返ってみると
とても普通に学業を出来る状態ではなかった。

 

よくこれでやってきたなぁと我ながら思うし
これだけのことが
何故教師に発見されなかったのかと思うのだが

 

私の場合は
やはり外側から見ても分からないのだと思う。

 


勉強が出来ないのは 

これまでのこと同様
自分にとって当たり前のことであり
全部自分のせいだと思ってきた。

 

ただバカで努力不足なだけだと思っていた。

 


自分がバカで努力不足なせいで出来ないのだから恥ずかしい。
必死にそれを隠そうとした。

 

そして
私の困り事は誰にも発見されなかった。

 


書いていて思ったのだが

 

これまでのこと全てがこの理由で
私はいつも誰にも困っていると思われなかったのかも知れない。

 

 

 

小学校一年生の頃

 

学歴にコンプレックスを持つ養父は
私に勉強を教えようとしていた。

 


かけ算の九九はとても早く覚えた。

 

養父はご機嫌だった。

 


ひらがなの書き取りになると
私は全然出来なかった。

 

「め」「ぬ」「む」「も」「あ」「お」

 

苦手だった文字を上げたらキリがない。

 


未だにあの時の混乱を思い出す。
パニックだった。

 

どこでクルッと丸めたらいいのか
どのあたりでカーブしたらいいのか分からない。

 

ひらがなのカーブの角度は文字によって全然違うし
カーブの位置も違う。
丸める場所も大きさも違う。

 

アルファベットのような規則的な作りでは無い。
ひらがなは私にとって非常に難易度が高かった。

 

右と左どっち向きかも分からない。
そもそも右と左という概念が全然覚えられなかったから
余計に分からなかった。

 


最初は私を馬鹿にして笑っていた養父だったが
「自分の子どもが馬鹿なんて自分のプライドが許せない」
と思っていたから

 

いつまでたっても覚えない私に激怒する。

 


「何度言ったら分かるんだ!頭おかしいのか」
「さっきやったばっかりだろうが!」
「人の話聞いてんのか!」
「こいつクルクルパーだな」

 


間違えると馬鹿にされ恫喝される。

 


震える手で1ミリずつ進めて
養父の顔を見ながら
右か左か、どこで丸めるのか判断しながら書いていた。

 

ひらがなは覚えるまでに相当時間がかかった。
覚えてもしばらくは反転した文字を書いていた。

 

 

 

漢字も書けなかった。
ひらがなよりは比較的得意だったけれど
一本か二本か
突き出るのか出ないか
木偏か禾偏か
なんとなく覚えているだけでは難しく

よく間違えていた。

 

漢字の読みはとても得意だった。
何学年も上の漢字が読めた。
読むのは何となくの形が分かっているだけで読めるからだ。

 

 

 

学校では勉強がすべて難しかった。

 


私の長年のコンプレックスの一つは
授業の板書をノートに写せなかったこと。

 

学年が変わる度にノートを新しくする。
でも私は2~3ページしか使わない。

 

何故なのかノートをとれなかった。
授業が始まって少しの間、1,2行は書いているのだが
すぐに書けなくなる。

 


先生が板書を写しているかどうか
見回りに来るときが本当に恐怖だった。

 

必死にその場だけ写しているフリをする。

 


不自然すぎてバレる。
ノートをパラパラと確認される。

 

ばれた・・・
冷や汗が出る。

 

「竹田なんだこれ。一度もノートとってないじゃないか」
「頭がいいやつは余裕だな」

 

先生にキレられる。

 

この時の気持ちは言葉にできない。

 


この頃
ノートをとることが絶対の時代だったと思う。
ノートをとらないのはヤンキーの生徒だけで
教師に対する反抗としかとられなかった。

 


ごくたまにある
授業のノート提出の時も恐怖だった。

 

いつも友人にお願いして貸してもらうので
「みゆちゃんずるい」
「みんな授業中頑張っているのに」
そう責められた。

 


板書をノートに写せないなんて誰も分かるわけが無い。

 

これだけ嫌な思いをしていても
新学期の度に気合いを入れて頑張ろうとしても
12年間一度も
一回の授業全部のノートがとれたことがなかった。

 

それなのに
自分も「ノートがとれない」なんて思わなかった。

 

ただ努力が出来ない怠け者だと思っていた。

 


上手く伝わるか分からないが
ノートがとれないことがバレることは
私にとってはとてつもない恐怖だった。

 

 

 

教科書が読めなかった。
文章が読めなかった。

 

読めないというより
何が書いてあるか全く理解できない。

 


これは20代中頃まで続いた。

 

本に目を落としても
一行ぐらいしか集中力がもたない。

 

一行ももっていなかったかもしれない。

 

 

 

例えば

 

日常生活で大変な問題が起きて頭がいっぱいの時
ストレスが溜まって疲労がピークの時

 

普段なら読める本が全く読めない。
目で追っているだけで頭に入ってこなくて
何度も同じ行を眺めている。

 

みんな一度は経験があるのではないだろうか。

 


このような感覚がもっと激しく
つねにあったのだ。

 


本を読んでいると
刑務所で脱走犯を探すサーチライトのごとく
視点が四方八方に散る。

 

散りながらサーチライトが単語や形容詞などをとらえる。
何度もそれを繰り返して
集まったもので意味や内容を推測する。

 


あるいは
ボーッと文章を目で追って
たまたま印象に残った単語や形容詞だけで
文章の意味や内容を理解する。

 

これが私の本の読み方だった。

 


学生時代
当たり前のようにずっとこうしていたから
読めていないことに気づいていなかったのだ。

 

 

 

もちろん
テスト問題もこの読み方だ。

 

2,3行の問題すらきちんと読めない。

 


算数の問題すら読めていなかったから

ケアレスミスが多く
問題をちゃんと読みなさいといつも怒られていた。

 


私がテストをどうやって受けていたかというと
教科書や、授業中の板書で 
記憶に残っている単語や形容詞の組み合わせで
感覚で引っ張り出す感じだった。

 


この説明がとても難しい。

 

テスト問題は
定義があってその説明という感じや
説明があってその名称を問う感じだと思う。

 


私は文章を見て覚えたものは
だいたい横並びの感覚だった。

 


例えば

 


りんごー赤ー果物ー木

 


と横並びになってしまっているから

 

りんごが「木になる赤い果物」とは理解できていない。
りんごを説明しろと言われても説明できない。

 


例えがりんごなので
推測すれば並べることが出来てしまうが
これが推測できないものと仮定すると

 


例えば
「赤い木が果物として扱われている」

 

のように
横並びの単語で無理に文章を作るので
めちゃくちゃになる。

 


それだけではなくて
一つ一つ意味が通るように覚えているわけではなくて
なんとなく絵的に覚えているものも多くて

 


りんごー赤ー木ー果物

りんづー赤ー禾ー累物

 


こんなふうに
ちょっと違っていたりする。

 

それで回答をするので意味不明になってしまう。

 

理科や社会のように
日常会話に出てこない語句が多いものは
特にこの問題で苦労した。

 


こんな苦労があった私は
筆記の試験は最悪の点数になる。

 

 

 

しかし選択式のテストは強かった。

 

りんづー赤ー禾ー累物
と横並びで、うっすらとしか無い記憶でも

 

「木になる赤い果物は?」
と問われ
選択式のところに「りんご」があるから
横並びの記憶がつながる。

 


だから普段のテストは
10点20点などを取ったりするのに

 

学力テストなどの選択式のテストでは
いきなり高得点を取ったりする。

 


学力テストが大好きだった。
ただクイズに答えているだけで勉強という感覚はゼロだ。

 

ほとんど何も理解していない
単語がごちゃごちゃと繋がっている状態で
テストを受けていたけれど

 

全て選択式の学力テストでは
そのクイズ形式で
中学、高校と一度だけ学年トップをとった。

 

 

 


勉強の仕方が分からなかったし
家の状況的にも勉強が出来なかったから
勉強を全くしていない状態でテストを受ける。

 

友人にそれを告げると
試験前に友人が口頭でここが出るから覚えろと言ってくれる。
その10分の教えを耳で全部しっかり覚えていて
友人より高得点をとってしまい
「うそつき」呼ばわりされたことが何度もあった。

 

それから
一切勉強をしていないのに
ものすごく勉強したと言うようになった。

 

 

 

こんなふうに私は文章が読めていなかったし
勉強なんてやり方が分からなかった。

 

それでも
たまに高得点をたたき出す。

 

これが大変なことだった。

 


「竹田は出来るのにやらない」
「大人をなめている」
「みんな努力しているのに頭がいいからって調子にのってる」

 


教師にどれだけこう言われただろうか。

 

私もずっと自分のことをそう思っていた。

 


ノートをとらなかったり
尊敬できない教師に反抗的な態度をとったりしていたから

 

余計に
「頭が良いのに全く勉強しない。大人をなめている子ども」
と思われていた。

 


本当は家で虐待を受けていてそれどころじゃなかったのだ。
本当はディスレクシアだったのだ。

 

 

 

高校の時に数学に出会って私は大きく変わった。

 

勉強をクイズのようにやってきたけれど
はじめてちゃんと「頭を使う」という経験をしたのだ。

 


高校の数学の教師は暗記をしないで考えろ
という教え方をする人だった。

 


公式は全部覚えるな。
少し覚えるだけで良い。

 

この公式を微分すれば、積分すれば使える
というふうに
覚えなくて良い勉強を教えてくれた。

 


数学だけは
少しだけノートがとれた。

 

グラフや図形を書くのは楽しかったし
数式は写すというより
自分で考えながら書けばいいからだ。

 


数学の証明問題は
正解があるようで無かったのが面白かった。

 

数学の先生は
私が考えてきた解法が
正解より「スマートだ」「美しい」と褒めてくれた。

 


ずっと学校の勉強で
学ぶことも出来ず
自分で考えることも出来なかったから

 

学ぶってこんなに楽しいことなのか
私って考えるとこんなにすごいのか

 

こんなふうに目の前が開けた感覚がして
感じたことの無い興奮を覚えた。

 


暇さえあれば数学のことを考えては
幸せな気分だった。

 


相変わらず他の勉強は出来なかったが
数学だけは出来たので大学に合格することができた。

 


これは自尊心の低かった私の支えになったエピソードなので
自慢になるが聞いて欲しい。

 

当時

受験倍率を電話で聞くことができた。 

 

そんなに偏差値の高い大学では無かったが
五教科のうち一教科で受験できる方式があったので
とりあえず滑り止めで受ける受験者が多く
倍率は300何倍だった。

 

何百人も入る広い会場で受験をした。
みんな頭が良さそうで時間前に終わらせて退出していく。
こんな余裕の人たち相手じゃ無理だなと
泣きそうな気分で最後まで必死に見返しながら試験を受けていた。

 

でも運良く合格した。

 

合格発表の時
少なくとも前後100番は居なかった。

 

「あの会場の頭の良さそうな人たちが落ちて
 私だけが合格したんだ」

 


たったこれだけのことだが

これまでの人生で叱られたり罵られたりすることばかりだった。
自分のこともダメで何もいいところがないと思っていた私は

信じられないほど嬉しかった。

 

自分の見え方が変わった。

 

恥ずかしいけれど
自分には誇れるものや成功体験がなかったから
しつこいぐらいこのことを思い出しながら生きていた。

 

 

 

私は運良く
数学に出会い、なんとか受験も突破できた。
たまたまだ。

 

ディスレクシアの人は
私のように自分のことを頭が悪いと思い込んで
能力を発揮できずにいるのではないかと思うと苦しい。

 


私自身は
20代中頃から少しずつ本が読めるようになっていった。

 

一冊「読めた」と思えたのは
30代中頃だ。

 

まだまだ本を読み始めて間もない。

 


本が読めなかったから文章も書けなかった。
いまだに文章も拙い。
てにをはも、まだまだ難しい。

 

ブログを書き始めて2年になる。

 

始めの頃の文章は今読むととても恥ずかしくて
書き直している。

 

2年でかなり上達をしてきたと思う。

 


ディスレクシアの人は
大人になって本を読めるようになると人生が変わると思う。

 

私は性格が変わった。

 


本が読めなかったせいで

 

頭の中に沢山の知恵が詰まっているのに
整理が出来ずに外に出せずにいたのだ。

 


本を読めるようになって
頭の中が整理整頓されていって
自分の中にある沢山のものを
多くの人に分かりやすく伝えられるようになって

 

自分の中に何があったのかが初めて分かったのだ。

 


ディスレクシアは勉強が出来ないだけではなく
心の安定をはかることも難しいのだと私は経験から思う。