逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝21 希死念慮を持つ私

小さい頃から「死」をいつも恐れていたのを思い出す。

 

「死」を恐れるといっても
「死にたくない」という言葉だとしっくりこない。

 


私が「死」を恐れる感覚を言葉にしてみる。

 


闇に潜み、大きな恐怖を与えてくる
得体の知れない幽霊やゾンビ

 

全てを一瞬に破壊してしまう
抗いようも無い天災

 

永遠に葬り去られて自分が無に帰すような
底が見えないクレバスや底なし沼やブラックホール

 


そんな
なにかこう

 

自分には知りようがない不思議で不可解な存在
自分には想像もつかないほど強力な何かの力
覗いても覗いても見えない深遠
進んでも進んでも永遠に終わりがなく続いていくもの・・・

 


とにかく分からなくて大きくて深いものを感じると

 

自分が無力だという感覚がどんどん膨れあがっていって
自分の存在がどんどん小さくなっていって

 

自分が取るに足らない存在で
今にも消えてしまいそうな感覚が襲ってくる。

 

今いつなのか
どこにいるのか分からなくなって
自分が全くコントロールが利かなくなってしまう感じがする。
パニックになってめまいがしてくる。

 

こんな感覚だ。

 


このような感覚は日常でもよく出会う。

 


海をじっと見ていると
自分の想像できない広さや深さに恐ろしくなってくる。

 

鏡を二枚向かい合わせたときに
どこまでも続いていく感じにめまいがしてくる。

 

1を3で割ったときのように割り切れずに続いていく感じ
漸近線に限りなく近づいていく感じ
自分がボーッとしてる間、寝てる間もずっと動き続けている感じ。
決して終わらないような感覚に不安になる。

 


今は何度も味わっているうちに
少しは慣れたが
やはりまだクラクラする。

 


小さい頃は
ちょっと広いデパート
人でごったがえす場所
遠くの方まで見渡せる場所でも

 

こんな感覚を持って大泣きしていた。

 

 

 

そんな私が小学校1.2年生の頃
「死」を感じた。

 

養父が笑いながら
「死」について偉そうに語っていた。

 

どんな話だっただろうか。
私の母親の死の話をされたような気がする。

 


「死」を知ったというより体で感じた。

 


この流れ込んでくる沢山の刺激
この自分から湧き上がる沢山の感情
これまで生きてきて得た知恵や教訓や思い出

 

全てがテレビのスイッチを消すように
一瞬にして無になる感じ。

 

そして
テレビのようにスイッチをつけることは永遠にできない。
その永遠というのも自分にはもう想像もつかないくらい
どこまでもどこまでも続いていくもの。

 

一瞬にして無になることも恐怖だったが
自分のスイッチが消されたあとの永遠が
私は何より怖かった。

 


言葉にはなっていなかったけれど
今はじめて言葉にしてピッタリきた。

 


「死」をはじめて体で感じて
もう言葉にはならない恐怖を感じて
激しく泣き続けた。

 

養父も最初は笑っていたが
狂ったように泣き続ける私に恐ろしくなったのか
最後の方は
「うるせぇ!いいかげんにしろ!」
と本気で怒っていたのを思い出す。

 


この日からしばらくは
この「死」の箱を開けなかった。

 

想像をしてしまうと
正常ではいられない気がしたからだ。

 


見ないようにしても
浮かんでくるものを押し込めようとしても

 

なんでもない時に
フッとよぎる。

 


「死」について考えているつもりはないのに

 

自分のスイッチが切れて
その後もこの世界は永遠に時間が流れていって
自分は戻らない恐ろしさをふと感じてしまう。

 


多くの人が安穏と過ごしている日常で
1人でこんな恐怖と戦っていた。

 


私以外の人が恐れる「死」の感覚は
復活ができる、霊魂として残るといったような楽観的なもののようだった。
自分の「死」の感覚とは違いすぎて
とても話すことはできなかったのだ。

 

 

 

こんなふうに「死」に対して恐怖を感じていたら
絶対に自死なんて考えないだろうと思う。

 

しかし私はそうではなかった。

 


私には
小学校4年生ぐらいの頃から希死念慮があった。

 

この頃
鬱状態というか
現実をあまり感じられない状態だったから
家や学校の何かがつらいという自覚は出来ていなかった。

 


ただ分からないけど苦しいから
終わらせたいという感覚だったと思う。

 


4年生ぐらいの頃
いつものように台所で食器を洗っていた。

 

洗い終わりそうだったけれど
いつものように時間を稼ぐために
水を流しながらカチャカチャと食器で音を立てていた。

 

その日は何故か包丁が目に入った。

 

ドラマか映画で
手首を切って死ぬシーンを見ていた。

 

「今なら終わらせられるかもしれない」

 

一瞬そう思った。

 


だけどもし
失敗したらどうなるだろうか。
今以上に監視の目は厳しくなり叱責も厳しくなるだろう。

 

この錆びた包丁は切れるだろうか。
痛いのも怖い。

 


ほんの10秒ぐらいで
「失敗に終わる」と確信した。

 

一瞬の希望を感じてしまった後に絶望し
片付けた後に
養父の待つ居間に向かうのが本当につらかった。

 


その後も私は
この妄想を繰り返した。

 

どうせ絶望が待っているけれど
あの一瞬の希望の快感が忘れられず
「どうしたら終わらせられるか」
とほんの数秒考えることを繰り返していた。

 


多分この頃
この快感に依存していたのだと思う。

 

屋上でクラス全員で写生をしていた時も
笑顔で絵についてワイワイ話しながらも

 

私は屋上の柵を見つめながら
先生の目を盗み
生徒の間をすり抜けて走り
スピードをつけて柵を乗り越えるシュミレーションをしていた。

 

そしてまた
失敗に終わった後のことも考える。

 

親の虐待がひどくなり
先生に疎まれながら
クラスメイトに恐れられながら
残りの小学生生活を送ることになる。
断念する。
絶望する。

 


こうやって思い出していつも思うのは
もし今の時代だったとしたら
私は生きていないのではないかということ。

 


妄想だけで満足していたのは
本気では無かったからではない。
確実に終わらせる自信がなかったからだ。

 

今なら
インターネットで情報収集して
SNSでつながって
何が何でも遂行してしまっていたのではないかと思うのだ。

 


生きていて良かった。

 


今も生きるのは楽とは言えないけれど。

 

それは
あまりに数奇な人生で
人と違う経験を積んでしまったせいで
人と同じことが出来ないから仕方がないのだと諦めている。

 

 

 

ここまで生きてきたから

 

全てのことは
私だけが悪いのではないと分かった。

 

私は人に嫌われ迷惑をかける
何の価値もない人間なのではないと分かった。

 

生きるのは苦しいけれど
楽しいことや嬉しいこともあり
たまにはゆっくり生きてもいいんだと分かった。

 


生きてきて良かった。

 

 

 

それに年々楽になっているから
おばあちゃんになったら
穏やかに生きているんじゃないかと自分に期待している。