逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

期待に応えることで自分を無くす①-そうなってしまった理由-

人の期待に添ってしまう。

 

このブログの読者の方は
みなさん、この悩みを持つのではないでしょうか。

 

 

 

人の期待に添うことでしか
人とのコミュニケーションがとれない。

 


たとえば

 

人の機嫌をとったり
迎合したり
言いなりになったり
望むことを先回りして叶えたり。

 

 

 

私もそうでした。

 


いくら
人の期待に添っても仕方がない
自分を持て
なんて言われても

 

頭で分かっても
変えられない。
どうやってもできない。

 


そうやって
苦しんできました。

 


いまになって思えば
これは当然のことでした。

 

 

 

機能不全の家庭で育ったために
親の機嫌をとりつづけてしまって
そのクセがついてしまった。

 


このような人は

 


親などの重要な他者に

 

「私の望んだことをしないと喜ばない」
「私の望んだことをしないと世話をしない」

 

というメッセージを送られ続けました。

 


もちろん
直接言葉で表すことはしません。

 


たとえば

 

子ども「あれやりたい」

 

母「お母さんはあれの方がいいと思う」

 

子ども「でもあれが」

 

母「好きにしなさい」(明らかに不機嫌)

 

 

 

他にも

 

母「あれお願い」

 

子ども「嫌だな」

 

母「もうあなたなんて知りません」
(お願いが命令になっている)

 

 

 

このようなことが沢山あって

 

人を喜ばせることは
自分の気持ちを殺して
「人の期待に応えるしかない」
と学習してしまった。

 


そして

 

自分で考えて行動するという力を奪われ
無力にさせられ

 

力のある人間の「人の期待に応える」ことで
なんとか世話をしてもらうしかない
と学習してしまった。

 

 

 

養育過程の影響だけではありません。

 

まだまだ
このクセが強くなっていく原因があります。

 

 

 

ADHDなどのハンデがあって
迷惑をかけて疎まれやすかったために
好かれる方法としてそうしてきた。

 


迷惑をかけると疎まれるようなり
価値のない人間のように扱われやすくなります。

 

そこで自分の価値を見いだすために
期待に応え、言いなりになる。

 

そして
「期待に応えることが自分の存在価値」
だと思いこんでしまう。

 

 

 

マイノリティで居場所がなかったため
異質なところを隠そうとして
溶け込もうと努力をしてきてそうなった。

 

マイノリティで浮いてしまう。
変だと言われ続ける。
そこで周囲に合わせるために
迎合し人の機嫌をとるようになる。

 

そして
「自分を無くして人に合わせ
 期待に応えることで安全は確保できる」
と思いこんでしまった。

 

 

 

こんなふうに
なんとかしようと頑張ってきたからこそ
このやり方がしみついてしまったんです。

 

 

 

自分で考えること
より良い選択をすることは許されず

 

ただ相手の望みを察知し
その通りにすること

 

自分を無くして
相手に迎合すること

 


それが自分の存在価値である
と思いこんできてしまったんです。

 

 

 

これでは
生きづらいのは当然です。

 

このようなことにより
大人になってから
大変なことが次々と起こるようになります。

 

 

 

 

 

 

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