逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

恵まれた人の苦悩

一見して恵まれている人も

実はとても苦しんでいることがあるんです。

 

 

 

お金に苦労していなければ何も問題はない

 

美男美女は得ばかりしている

 

才能に恵まれた人は人生楽勝だろう

 

 

こんなふうに考えるかもしれません。

 

 

 

 でも本当にそうでしょうか。

 

 

 

<どんな状況の人も幸福感は得られる>
で言ったように

幸福感には慣れてしまいます。


さらに上を目指さないと幸福感が得られなくなる。

 


スタートラインが高すぎれば


そこからさらに高いところを目指し続けなければ
幸福感は維持できません。

 

 

高いところに行けば行くほど

近くには一緒に頑張れる人はおらず

孤独でやる気を保つのも難しいんです。

 

 

 


このような人たちは
つねに目立つ存在であり
衆人環視という緊張の中で生きなければなりません。

 

 

 

もっと大変なのは

 

誰にも苦悩を理解されないこと。

 

 

 

このような
一見恵まれている人は
悩みや愚痴をいうことを許されません。

 


「家がお金持ちだからいいじゃないか」

 

「容姿だけで色々楽勝でしょ」

 

「才能があるやつはいいな」

 

 

こんなことを言われ続けてきて

誰もが成長過程で持つ様々な葛藤を

誰にも何一つ言うことができません。

 

それどころか

自分の心の中であっても

「恵まれてるんだから愚痴や弱音を持つのはおかしい」

と何一つ自由に葛藤できません。

 

 

 

家がお金持ちでも機能不全の家庭であれば
家庭の中に安心も幸せもありません。

心の飢えや恐怖や焦りや無力感…

大変な苦しみがあるんです。

 

 

美男美女でも
妬みによって攻撃や迫害を受け

執拗につきまとわれたり、目立ちたくなくてもいつも注目を浴びたり
内面を全く見てもらえなかったり勝手に理想化されたり…

大変な苦しみがあるんです。

 

 

才能があっても
少しの努力で結果が出てしまって十分な評価をされ

努力をしても嫉妬によってただ才能を羨まれ

努力が上手くできません。

人は努力をした分だけ結果が出た時に大きな喜びが得られるため

いつも虚しく、ズルをしているような罪悪感があり

大変な苦しみがあるんです。

 

 


このようなことは全く理解されず
「恵まれている奴は泣き言を言うな」

 

という空気の中一人で耐えてきた人が本当に多いんです。

 

 


たしかに
恵まれている点はあっても

 

人に泣き言をいっさい言えない

 

悩みを相談できない

 

どれだけ苦労していても
楽をしていると決めつけられる

 


これはきっと誰にとっても一番苦しいことなはずです。

 

 

 

恵まれているのに不満をもつ自分は最低だ…

 

こんなふうに自分を否定し続けなければいけない人生は

誰だって大変苦しいはずです。

 

 

 

私自身は正反対の環境にいて

 

自分以外の人間は
全員恵まれた環境で楽をして生きている

 

そうやって誰も彼も恨んでいました。

 

 


全ての人を恨まなければならないのは

本当に苦しかったです。

 

そんな苦しみから抜け出したくて
もがきながら

一見して苦労をしていない人を理解しようとし続けました。

 

 

 
そしてやっと分かったんです。

 


「どこの場所にいても苦しみはある」と。

 


そして
その中でも特に苦しみが大きいのは

 

人からの理解を得られないことが
何よりも苦しいことだということ。 

 

 

私も同じでした。

 

孤児であることは重たすぎて誰にも言えません。

性的虐待なんて話せるわけがありません。

発達障害という概念が無かった時代、自分をコントロールできない恐怖を

どうやって人に話せばよかったでしょうか。

 

 

 

それに

私は全てをずっと隠してきたせいか

 

これまでお話してきた人のように

恵まれているように見られてきました。

 

温室育ちだとか苦労知らずだとか

あなたは何でも楽勝でいいねとか…

苦しみしかない人生でそんな言葉を浴びせられてきました。

 

 

だから一見して恵まれて見える人の苦悩がわかるんです。

 

 


恵まれた人だって苦しいんです。

 

恵まれていれば幸せだなんてことは決めつけられない。

 

 

 

「どんな場所にいても苦しみはある」

 

多くの人がこれを理解して

 

偏見で人を苦しめることを
自分を苦しめることを

減らしていってほしいと私は願っています。

 

 

 

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