心の健康、不健康って
どんなふうに線引きをされているんだろう
いつも思う。
カウンセリングで沢山のクライエントさんと
会えば会うほど
目の前にいる、人生に苦しんでいる人が
「心の病気」で
人生を比較的、楽に過ごしている人が
「心が健康」なんて、とても思えない。
一般的には、社会に適応できる人が心が健康だとされている。
でも今
その社会自体が病んでいるとしたらどうだろう。
もしかしたら
社会に適応することに苦しんでいる方が
健康ということも考えられないだろうか。
私みたいな臨床心理士が
社会について語るのはおこがましいけど
今は社会全体が
病んでしまっている気がしてならないのだ。
たった10数年だけど
昭和を生きてきて思うのは
昭和は
社会全体に今より余裕があった。
良い意味でお節介だった。
なんとなく元気がない人がいれば声がけをする
出来ることはないかと聞く
顔見知りなだけで仲間意識があった。
私はそれが苦手だったんだけど
社会としてみればとても温かかった。
今は社会全体に余裕が無く
みんなが忍耐をしている。
だからだろうか
人に対しても同じように忍耐を強いている
自分の事ばかりで人を気にかけない
自分を守ることしか頭にない
それに
今より
差別的な物言いが多く、配慮に欠ける
デリカシーのない人は多かったが
なんだかんだ
同じ人間という気持ちはあって
今より、社会全体が変わった人に寛容だった。
今は
差別的な物言いに強迫的に気をつけているだけで
心の中では差別していて線引きをしているように見える。
完全に異端を認めないような気がする。
そして
小さい頃
大人やお年寄りを見て感じていた感覚が持てなくなった。
昔の大人、お年寄りは
自分の経験に自信をもっていた
自分の目の前のやるべきことを全うしていた
未来に過剰な期待をせずとも
先を見据える強い気持ちを持っていた
そんな人が多かった気がする。
大人に反発はすれども
無意識に尊敬をしていたと思う。
今は
自分の経験より他者の評価でしか
自分に自信をもてない。
だからお金や地位や名誉を求める。
自分の目の前のやるべきことより
他者や社会の批判ばかりに目がいっている。
未来に過剰な期待をして
努力をしないで一発逆転を夢見ている。
そのせいで
年齢を重ねても年少者に敬意を持たれないため
大人やお年寄りの自尊心は更に低くなり
どんどんと敬意を持たれない人間になっていってしまう。
社会全体が変わってしまったと感じる。
私なんかにできることは少ない。
でも、こんな大きな変化を感じているから
社会全体の心の健康を何とかしたい
社会に適応が難しくなっている人はきっとそのままで大丈夫
そう思わずにはいられない。
私がカウンセリングでやりたいことは
一般的なカウンセリングのように
社会適応を目指すことじゃない。
私がカウンセリングで伝えたいことは
社会に適応することが難しいのは
あなたが間違っているからじゃない
でも
社会に適応しないと偏見の目にさらされるし
快適に生きることも難しくなるから
今のあなたで
魂は売らないで
どう社会にギリギリ適応できるか
社会にギリギリ適応しながら
どう自分を守っていくか
それを一緒に考えましょう
こんなことだ。
クライエントさんが感じる生きづらさ
人に心の病と捉えられてしまうもの
それはクライエントさん自身が
社会に適応することが難しいのは
自分がいけないのかもしれないと思う反面
自分は間違っていないと無意識に分かっている
その葛藤のせいだと思っている。
あなたは間違っていないけど
適応できないことを間違いと決めつけられ悔しいけど
茨の道を敢えて選ばず
生きやすくするために戦略を練っていこう
社会に適応できないあなたこそ
社会の良心だと私は信じているから
力を無くしている場合じゃない
頑張ろうよ
そんなふうに思いながらカウンセリングをしている。
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