逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝17 裏表の激しい養父母

一歩外に出ると
養父母は人が変わる。
完全に別人になる。

 


見栄っ張りで
外面の良さは異常だった。

 


外での養父母は
家の中に居る養父母よりは少しはマシだった。

 

感情が漏れ出てはいるけど
感情を丸出しにしないし

 

馬鹿にされたくないという思いから
その場だけでも品のある行動をとってくれる。

 

私の心の負担は少し軽くなる。

 


でも普段の姿とあまりに違いすぎて

なんとも気持ちが悪かった。

 


外では

穏やかで優しく
品が良く振る舞い
金払いもいい。

 

一方で家の中では


一日中愚痴や不平不満ばかり。
感情にまかせて怒鳴り散らす。
自分のことしか考えていない。
ケチでお金の話ばかりしている。

 

 

 

外での

養父母とのやりとりが本当に不快だった。

 

養父母の演技に付き合うのが本当に嫌だった。

 


外で人に会うと
とても優しく愛情深く世話をしている親として演技が始まる。

 

「この子は甘えん坊で」
「いつもはベタベタなんですが緊張しているみたいで」
「みゆ、なにがいい?なんでも言いなさい」

 


ここで私が上手に演技にのれなかったり
調子に乗って高い物をほしがったら
後で大変な目に遭う。

 


書いていて今思い出した。

 


引き取られてから
ひどい目に遭って間もない頃は
外の人に助けを求めようとしていたのを思い出す。

 

店員さんや近所の人のような
関わりの薄い人に対してだ。

 


外の大人達との関わりが嬉しくて仕方が無かった。
明らかに養父母とは違う
落ち着きや思慮深さを持っている雰囲気がたまらなくて
すぐに好きになった。

 


そして

 

「この人たちは怖い人で私は懐いてなんかいない」
「私はあなたたちの所に行きたい」

 

と必死に態度で示そうとしていた。

 

この頃
ここまで言葉には出来ていなかったけれど
今言葉にしたらこんな気持ちだ。

 

言葉にしたら全てが終わると分かっていたから
態度で示すしかなかった。

 

結局誰も気づいてくれず
私のその必死な訴えは

親に対して変な態度をとる
情緒不安定な子どもとして扱われることになるだけだった。

 


どう考えても

赤の他人が
こんなことに気づくはずもないのは当然だ。

 

今なら分かるが
藁にもすがる思いだったのだ。
なんとかして助けてほしかったのだ。

 


こんなよそよそしい私の行動が

当然気にくわない養父母は
後で私に罰を与える。
しばらくして助けを求めるのはやめた。

 


養父母の人前でのパフォーマンスの後には必ず
私への八つ当たりが待っている。

 


養父母は
人前で見栄をはって外面を良くすると
かなり無理をしているせいでストレスがパンパンに溜まる。

 

家に帰ってくるとその反動で普段より激しく
感情に歯止めが利かなくなる。

 


「なんであの時あんな態度とったんだ!」
「もっとこうしろって言ってるだろうが!」
「グズでバカでノロマな奴が」
「誰のお陰で飯が食えてると思ってるんだ」
「なんの役にも立たないごくつぶしが」

 

私に対して罵詈雑言を吐き
ストレスを解消する。

 


「あの時のあいつはバカだから俺は譲ってやったんだ」
「こっちが下手に出て操ってやったんだ」
「あいつがおかしい。俺は間違っていない」

 

人前では強く出られないせいで溜まった怒り

人のこき下ろし、自分だけが正しいという思い込み

それを静かに聴く私に吐き出して

ストレスを解消するのだ。

 

幼いながらも養母よりも優秀な聴き手だった私は
いつも養父が気が済むまでいつまでも聴き続けた。

 

 

外での養父母の方を見ている方がマシだったが
その後には必ず地獄のような時間が待っていた。


結局はそれを想像すると

外でも不安で仕方がなかった。

 

 

でもこれもまた慣れていく。

 


最初の頃は

罵詈雑言をぶつけられる度にショックを受けて

自分の存在が恥ずかしく情けなく虚しかった。

 

次第に

自分は本当に

そういうどうしようもない存在なんだなと諦めるようになった。

 

尊敬できない養父の言い分に全く賛同出来なくて

混乱していたが

養父の味方になれば自分の身を守れるんだと分かって

次第に完璧に受け止められるようになっていった。

 

 

 


家での会話は
人の悪口で溢れていた。

 

スナックの客に対して
「あの客は馬鹿で可哀想なやつだ」
「もっと金を使わせてやろう」

 

スナックのホステスに対して
「まったく使えないやつだ」
「気がきかない」
「金なんか払いたくない」

 

近所の人や学校の先生に対して
「ろくなやつがいない」
「何も考えてない馬鹿」

 


自分達が世の中で一番正しく賢い。
自分達以外の人間は自分達のために存在している。

 

養父母の頭の中には
こんな妄想がしっかりと根付いていた。

 

 

 

全く友人がいない養父母。
誰にも好かれることがない養父母。

 

だけど本当は人に好かれたいのだ。
そして何とかして好かれようと間違った努力をする。

 

 

 

養父母は
自分より立場が弱い者が大好きだった。

 

お金に困っている人
外国人で仕事がない人
社会経験がない若者

 

そういう人を見つけては

世話をやいて恩人になって
自分の思い通りにして文句を言えない関係を作る。


経験が浅く

何も知らないことをいいことに
間違った情報や自分の思い込みで

饒舌に偉そうにものを教える。

 

一方で

立場が強い者に対しては媚びへつらい
知識がある者には静かに黙る。

 


それが私は
本当に気持ちが悪くてしかたがなかった。

 

もう気持ちが悪い以外の語彙が見つからない。

 

 

 

日頃裏では
罵詈雑言を吐いている相手に対して

 

すごい笑顔で腰を低くして
ヘコヘコしながら機嫌をとる。

 

異常に親切にお節介をやく。

 

必死に穏やかに上品に知的に振る舞おうとする。

 


最初はすごく優しい人物でよく出来た人間に見られるが
相当に無理をしているので
長く続かずに、すぐにボロが出る。

 

たいていは

すぐ人に去っていかれる。

 


たまに
この奇妙な演技に気づかない人が
1年ぐらい騙されて
養父母に世話をやかれ親しくなるが
途中で異常な人格に気づいて逃げようとすると
「人でなし」と攻撃に転じたり
「今までやってきた分返せ」と詰め寄ったりする。

 


出会ったばかりの人物をべた褒めしてあがめ
死ぬほど心酔して尽くして
相手の気持ちが自分に無くなったら
相手を異常なまでに敵視し、こきおろす。

 

これを何度も繰り返すのを目の前で見てきた。

 


最初は
養父母は尽くしていて利用されて
相手が悪いと思っていた。

 

でも
その相手と話す機会を持つようになると
相手の方がまともなことに気づいた。

 

養父母を利用しようとなんてする人たちではなかった。

 

穏やかで誰に対しても優しいタイプの人で
養父母に対してもちゃんと感謝を持っていた。
だんだんと養父母が無理難題を言うようになり
我慢に限界を迎えるだけだった。

 

 

 


引き取られてからしばらくは
養父母に対して疑問は持つものの
良いところや正しいところがあるのかも知れないと

混乱していた。

 

でもこういう
人に対する裏表が見えて
実際の姿を隠す嘘だらけの養父母に
気づき始めてからは

 
養父母に対する嫌悪感や軽蔑しか持てなくなった。

 

それをどう隠して
毎日を一緒に過ごすか
機嫌をとるか
敬意を見せるかが
私にとって、とても難しいことだった。