逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝7 感覚過敏の私

昔を思い返してみると
私はすごく典型的なADHDの子どもだったけれど
人から指摘されやすい目立つ特徴がADHDの部分だっただけで
本当はASDの特徴の方が多かったんじゃないかと思う。

 


40を過ぎてから
あぁ自分には感覚過敏があったのかと気づいた。
遅すぎる。

 

 

 

私には触覚過敏があった。

 

 

 

着せられた洋服の締め付けがきつい
着せられた洋服のタグがチクチクする

 

すごく嫌なのに
養父母に文句を言えなかった。

 

いや最初は少し言ったんだ。

 

「気のせいだ」
「黙れ」
「我慢しろ」
「じゃあ裸でいろ」

 

って言われてから言わなくなったんだ。

 


給食当番の白衣がガサガサで堅くて肌に当たるのも嫌だった。
防災ずきんのゴムが食い込むのも嫌だった。

 

色んなことが不快だった。
でも何が自分を不快にさせているのか気づけなかったし
気づけたとしても言えなかった。

 

一度養父母に言ってから

 

自分が不快な気持ちを伝えることは
人を不機嫌にし、より悪い状況になることだと学んだからだ。

 


不快な気持ちをただただ我慢して黙っている姿は
人から見ると
何の理由もなくいつもイライラしているように見えたのかもしれない。
そのせいで、また性格の悪い変な子だと思われたんだろう。

 

 

 

人から急に触られるのが嫌だった。

 

好意的に可愛いと撫でられる時や
友達が近づいてきて触れられる時に
バッと振り払う仕草をしてしまって
人を傷つけてしまっていた。

 

そのくせ
自分から近づくことは平気で
自分からは触れたり近づいたりする。

 

それは身勝手だと思われて当然だ。

 

 

 

雨が降り出した時に肌に雨粒が当たるとすぐに気づいたり
地震がくるとすぐに気づいたりして
「あっ!」
と早くに大騒ぎして
変な顔をされることが多かった。

 

 

 

顔を洗うのも
お風呂に入るのも嫌いだった。

 

顔に水がかかることが怖くて怖くて仕方なかった。
水を顔にかけるたびに
「ひっ」とか「ぎゃっ」とか声をあげて大騒ぎするから
養父母はそれを見て大笑いしていた。
私にとっては笑い事ではない。
今の感覚に例えれば
ビンタをお見舞いされるぐらいの衝撃だった。

 

お風呂はシャワーが無かったから
浴槽から桶でお湯をかけながら入る。
体に桶でお湯をかけるのも勢いが強くて嫌だったし
頭からお湯をザバーッとかけられるのは本当に怖かった。
今もまだちょっと怖い。

 

養父母はネグレクトに近かったから
小学校一年生ぐらいの時はあんまりお風呂に入らずに学校に行っていた。
お風呂に入らないことが
不潔だとか人を不快にさせるという当たり前のことを知らなかったから
入りたくなければ入らなければいいという思考だった。
分かりやすく汚い子どもだったと思う。
思い出すと恥ずかしくて仕方が無い。
養父が「汚ねぇガキだな」と言っていたのは覚えている。

 

 

 

プールが怖かった。

 

顔に水がかかるのはもちろん怖いし
夏でもあの水の冷たさが肌に刺さるようで
嫌で嫌で仕方なかった。

 

みんなが楽しそうにキャッキャしている時に
泣きながら「怖い!嫌だ!」と言っている私。
多分尋常では無い騒ぎ方をしていたと思う。
みんな不思議そうに変なやつという目で私を見ていた。

 

普段は明るく元気だからこそ
こういうことがあった後の所在なさったらない。

 

 

 


私には聴覚過敏もあった。

 


目の前の人の話だけじゃなく
隣の人の話や
もっと遠くの人の話まで聞いてしまっていて
「聖徳太子」というあだ名がついたことがある。

 

目の前の人の話に身が入らないし
聞きたくない話まで耳に入ってくる。
私に聞こえないと思っているヒソヒソ話までしっかり聞こえてしまう。

 

 

 

校内放送の声も
踏切の音も
音楽会の演奏も
運動会のピストルの音も
養父の怒鳴り声も
私には音が大きすぎて心臓が痛くなった。

 

小さな物音にいちいち反応するし
突然鳴る音に大げさにビックリしてしまう。

 

 

 

自分が快適と思うテレビの音量は
いつも人よりかなり小さくて
聞こえないと言われたり
人に合わせるとうるさくて仕方なかった。

 

映画館やライブも
慣れるまでの最初の何分かはドキドキが止まらない。

 

 

 

私には嗅覚過敏があった。

 


水槽のニオイ
トイレのニオイ
ドブのニオイ
動物園のニオイなどに
しょっちゅう嘔吐反射する(オエッとする)子どもだった。

 

これが本当に恥ずかしい。

 

 

 

私からするとどう考えても
傷んでいるニオイのする食べ物。
数人が大丈夫だという中で
一人で「腐ってる!」という主張をしても分かってもらえない。

 

気のせいだとか神経質だとか言われて
明らかに腐っているものを食べなければならないのは本当に苦痛だった。

 

 

 


私には味覚過敏があった。

 


ずっと自分は魚嫌いだと思っていた。
小さい頃は
魚が食べられなくて
養父母にひどく叱られ、食べるまで許してもらえず
鼻をつまんで水で流し込んで泣きながら食べていた。

 

大きくなって新鮮な魚を食べる機会が増えて
魚が美味しいことを知った。
魚は鮮度が落ちるとトリメチルアミンが増えてニオイがしてくる。
小さい頃に魚が食べられなかったのは
魚嫌いだったんじゃなく、それを感じ取って食べられなかっただけなのだ。

 

 

 

魚料理と肉料理を一度の食事で食べるのが嫌だった。
魚を食べた後に肉を食べるとニオイが気になる。
肉の後に魚を食べても肉の脂の味が邪魔をする。
間に水などで口をすすがないと食べられなかった。

 

みんなが美味しいというものが
鮮度の問題などで美味しいと思えなかった。

 

グルメぶってるとか
せっかくみんなが美味しいと言っているのに感じが悪いと怒られたりした。
心から何でも美味しいと思えない自分は
本当に性格が悪いと思っていた。

 

 

 

こんなふうに
毎日毎日
押し寄せてくる強い刺激に混乱しながらも
自分なりに何とかしようと試行錯誤を続けてきた。

 


触られるのが嫌だから
なるべく自分から触れる方向にもっていく。

 

触られるときは
自分が石になったような想像をする。

 

大きな音が聞こえそうなときは
見るものに集中する。
なんとなく耳に薄い膜が張れるようになる。

 

うるさいけれど耳を塞ぐと嫌みになってしまうから
頬杖をつくふりをして耳を塞ぐ。

 

ニオイが来そうなときは瞬時に口呼吸。

 

美味しくないときは
食べながら話に集中して味を分からなくして
とにかく美味しいねって言う。

 


くだらないことかも知れないけど
必死に色々とやっていた。

 


だから
いつも目の前のことに集中できなかったんだと思う。

 

刺激に対抗する戦いが主で
目の前の出来事に集中したり楽しんだりなんか出来ない。

 

不快に感じている自分を人前で出してしまうと
叱責されたり笑われたり軽蔑されたりするから
隠すことに必死だった。

 

 

 

感覚過敏をもつ私が言われてきたこと。

 

「みんなと同じ事ができないなんておかしい」
「一人だけ文句をいうなんてワガママ」
「いつもイライラしていて性格が悪い子」
「いつもビクビクして弱虫」
「集中力がない子」

 

あたかも私自身の努力の問題のよう。

 

 

 

そうか。
これは私のワガママなのか。

 

みんなもこんなふうに辛いのに我慢してるのに
自分だけ我慢できない嫌なやつなのか。

 

みんなもこんなふうに怖いのに
ああやって過ごせるなんてすごい人たちだ。

 

みんなもこんなふうに色々気になるのに
集中できるなんてすごい。

 


そう思っていた。

 

 

 


感覚過敏だなんて思いもしなかった。

 


多くの人が言っていることは正しいんだ。

 

何故かそんなふうに思っていたから
会う人会う人がそう言うんだから
自分が全部いけないんだと信じ切っていた。

 

 

 

こうやって考えてるうちに行き着くのは

 

自分以外の人間はみんな超人で
自分は当たり前のことが出来ないどうしようもない人間

 

であるという考え。

 


「人は全員自分より上で自分は誰よりも下」

 

という思い込みがしっかりと私の中に作られた。

 

 

 

どんなに
色んなことで褒められるようになっても
私はいつも自信を持てなかった。

 


頭の回転が速い
おしゃべりが上手い
面白い
リーダーシップがある
おしゃれ

 

そんなふうに褒められても

 

「みんなが出来ることが出来ない」
「いつもビビってる恥ずかしい自分」
としか思えなかった。

 


それに
感覚過敏の部分を隠して偽ってることが
やましいような
嘘の自分で生きているような感じがして

 

「本当の自分は誰にも見せられない」
「本当の私は違う」
と思っていて

 

誰にも自分を明かすことができないと思っていた。

 

 

 

これまでのことを感覚過敏のせいだと気づけたら。

 

感覚過敏は生まれつきのもので仕方がないのだと知っていたら。

 


たったこれだけのことだが
これが分かっていたら・・・

 

私はもっと自分に自信をもって
楽に生きられたかもしれないと思うのだ。