逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

愛について

愛について

 

愛について

 

愛について 歌おう~

 


今ハマっている曲。

 


magical2の「愛について」

 


魔法戦士マジョマジョピュアーズ!のオープニング・・・らしい。

 

 

 

いや

 

私は子どもいないしね

 

マジョマジョピュアーズ、全然わかってない。

 

 

 

いきつけの八百屋さんでかかってたのよ。

 


愛について♪愛について♪愛についてう・た・お・う~♪

 


キャベツをつかんだまま
ハッとした。

 

 

 

なんかもう昭和なのよ。(個人の感想です)

 


リズムとか、聞いたことありまくるメロディラインとか

 

サビに向かうまでの流れとか

 

ウィスパーボイスでもなくビブラートとかも無く
まっすぐな歌い方とか。

 


懐かしくて心が揺さぶられたわ。

 


洋楽とか小洒落た音楽を聴きたい時もある

 

奥深い繊細な音楽を聴きたい時もある

 

 

 

だけど
ちょっとだけダサい音楽の方が(しつれいね)
心にまっすぐ届いて、心を揺さぶってきたりしない?

 


あ、褒めたいのにディスってる。

 

 

 

愛について♪愛について♪愛について♪

 

 

 

聴きながら愛について語りたい。

 

 

 


愛ってなんだ

 

これはみんな語ることだけど
ポエティックに言われたり、一言でズバッと言い切られてしまうと

 

ASDの私の頭の中は???となる。

 

 

 

さぁ
理屈っぽい私は

 

愛を場合分けして考えてみたい。

 

 

 

短期的な燃え上がるような愛と

 

長期的ないつまでも消えないような愛

 

 

 

私は
この2つって正反対のものだと思う。

 

だから
一緒にして語っちゃいけない。

 

 

 

燃え上がるような愛って
なんだか自分、自分っていう感じがする。

 


自分が気持ちよくなるために
相手が必要という感じ。

 


相手のすべてを知ろうというより

 

自分の理想を映し出せる部分を探していて
自分の理想以外は受け入れられないという感じ。

 

 

 

一方で
いつまでも続く愛って

 

まずは自分を大事にするけど
人も尊重している感じがする。

 


自分ひとりでも気持ちよく過ごせるけど
一緒だったらもっと良いという感じ。

 


相手をそのまんまにして
自分もそのまんまにして
時間をかけて知っていって折り合いをつけていってる感じ。

 

 

 


どっちも愛なんだけど

 

前者は自分を愛している
(どんなに相手に尽くしていたとしても)

 

後者は自分も相手も愛している
(どんなに自分勝手に見えても)

 

 

 

だから若い頃は
燃えあがるような恋愛や友情ばかりなのは当然で

 


成長して大人になって
自分を愛せるようになって相手を尊重できるようになって
いつまでも消えない愛を持てるようになる。

 

 

 

付き合って長くなると熱が無くなるのは

 

色々見えてしまって
自分の理想を投影し続けるのが難しくなるからだし

 


大人になって最初から燃え上がるような愛が難しいのは

 

最初から現実的に相手を見すぎるからだし
理想を投影する遊びが出来なくなるから。

 


何歳になっても燃え上がるような愛を持てるのは
芸術家タイプの人に多いよね。

 

この理想を投影する遊びが上手なんだよね。

 

 

 

私もこの遊びは上手な方。

 


だけどね
これって副作用がある。

 


理想を投影したまんまだったら

 

それって相手を見ていない。
そのまんまの相手を否定してる。

 


最初はいいけど
長くなればなるほど

 

お互いに息苦しくなるだろうし
空しくなっていくと思うんだよね。

 

 

 

上手に愛しあってる人は

 

最初は燃え上がるような愛を持って

 

時間をかけてお互いに少しずつ
理想から現実の姿を見せながら受け入れていく

 

現実の姿も
お互いに理想から大きくはずれないよう努力しあう

 

そうやって
現実の姿を受け入れあいながらも
理想の姿も保って理想を投影する遊びも少し続行する

 


こんな感じで
現実を見ながらも理想を大事にして愛を保ってるんじゃないかな。

 

 

 

若い頃の私は
理想を投影しまくる愛だった。

 

今思い返すと

 

本当にもう
妄想の域に入っていたと思う。

 


賢くて面白くて包容力があってロマンチックで
少女漫画の主人公のように完璧

 

そんなふうに見ていた相手は

 

ザコンで無責任でお調子者で見栄っ張りだった。

 


でも信じたくない私は

 

どんなにその姿が明るみに出てきても
妄想でそれを消し去った。

 


なんでも人任せに見えても
頑固で譲らない芯がつよいところもある
(わがままなだけ)

 


無責任に見えても
ずっと私のことを考えてくれていたはず
(言い訳を信じる)

 


いつも弱々しく見えるのは優しいからで
半年前に車の急ブレーキの時に手でおさえてくれた
そんな頼りがいのある姿が本物なんだ・・・
(ごくたまに余裕があるときに見せる姿だけ繰り返し再生)

 

 

 

とにかく
理想の相手と理想の恋愛をする

 

そんな理想の自分でいたかったのよ。

 

 

 

恋愛だけじゃなく
自分にも友人にも妄想ばっかりよ。

 

 

 

歳を重ねて
現実を嫌って言うほど目の前につきつけられ

 

痛~い思いをして
妄想から目が覚めましたよ。

 


その空しさ、無意味さ、滑稽さ
誰にも優しくないし誰も得しない方法

 

もうやめた。

 

 

 

若い頃はいいんだと思う。

 

友人も恋人も
何年も深く付き合う相手なんてマレだもん。

 

その時だけお互いに夢をみて気分をよく過ごす

 

それでいいよね。

 

 

 

でも
年齢を重ねていって

 

現実を作っていくこと
人を尊重することに重きをおくようになると

 

もうそれだけじゃ絶対に無理だよね。

 

 

 


理想を投影する遊びは無くさなくていい。

 


妄想しまくって燃え上がって
現実に戻る

 

愛については
こんなふうに上手になるといいんじゃないかと私は思っとります。

 

 

 

あぁ

 

愛について

 

つまんねー分析しちゃったね。

 

ごめんなさぁい。

 

 

 

 

 

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