逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝56 奴隷から解放されていく私

高校時代のエピソードを読むと

養父母の問題はもう収束していたのかと思うかも知れない。


自由に楽しくやれてるじゃないかと。

 

 

学校生活のことだけを書くと
何の苦労も無い普通の高校生のように見える。

 


でも高校時代も虐待の形は変わったけど
私の戦いは水面下で続いてた。

 


あれだけの激動の高校生活と同時進行で
家では頭のおかしい養父母との濃厚な関わりがあった。

 

 

毎日が天国から地獄へ転落するような日々で
幸せを知って苦しさが余計に苦しく感じて
狂いそうになる感覚が押し寄せることはしょっちゅうだった。

 

 

高校生になって変わったのは

 

養父母にとって私は
金食い虫で可愛くないお荷物だった養子から
頼りがいがあって魅力があって無くてはならない存在になったこと。

 

 

高校生になり

 

養父母とは別の世界で生き生きと生きていて

自分に自信を持てるようになって
尊敬できる人に出会って
自分にとって大事な人間関係ができて


私は別人のように変わった。

 

 

中学生の時から少しずつ思っていたけど
高校生になって養父母の私に対する扱いは理不尽だと確信を持てるようになった。


それから養父母の精神的な攻撃にあまり動じなくなった。

 

 

そんな私を知ってか知らずか養父母にも変化があった。

 


外の世界で自信をつけ多くの経験をして知恵をつけ
堂々としている私に 

 

もう罵って馬鹿にして劣等感や恥や罪悪感を植え付けて
怒鳴り散らして威圧して脅しても
私をコントロールすることはできないと養父母はわかったようだった。

 

 

私が親に頭が上がらないのは経済的な問題だけ。


だから
ここに対する締め付けが以前より増したんだと思う。

 

 

おこずかいは無し
バイトもダメ
家のスナックの時給は500円

 

部活や学校の行事で絶対に必要なものであっても全員参加であっても
機嫌をとらなければ理由をつけて欠席させるし絶対にお金は出さない。

 


機嫌をとりつづけなければ
前日であっても覆し、欠席させたり渡したお金をとりあげたりする。

 

 

高校生の時期は親の虐待という虐待は減ったはずなのに
思い出すと本当に苦しいのは

 

こういう激しい攻防が毎日繰り広げられていて
頭を使わなければすぐにでも
私の高校生活は潰されてしまう状況だったからだと思う。

 

 

毎日綱渡りのような生活だった。

夢のような高校生活を奪われないためなら何だってやると決めてた。

 

 

毎週末のスナックの仕事ではしっかりと結果を出した。

沢山お酒を飲んで売り上げを上げたし
自分のファンを作って客を集めた。

 


養母の愚痴も聞き続けた。
養母を沢山褒めた。
頭の悪い養母が困った時にはいつでも相談にのって助けた。


掃除洗濯料理などの家事を率先してやった。

 

 

暇な養父の相手も必死にした。

 

毎日数学の問題を解きながら養父の話し相手もする。
しっかりと相手をしないと不機嫌になる。

 

養父はまだ私に対して性的欲求を向け続けていて
数学の問題を解いている横で
卑猥な目をむけてくる、卑猥な話をし続ける時間は俯瞰するとシュールな光景だ。

 

 

「ごめん。この問題解かないと成績さがるかも」
「私が大学受かったら鼻が高いでしょ」


少しずつ脅しながら性的欲求をかわす。

 


思い出すだけで胸が苦しく頭が締め付けられる。

 


この時間は私にとって本当に地獄だった。

 


とてつもなく頭をつかわないと上手く出来なかったからだ。

 


数学の問題は難問で集中しないと解けない。

 

少しでも養父の言葉を無視すれば
少しでも私が不機嫌を出せば
性的な話に嫌悪感を感じたことを少しでも表に出せば

 

養父の機嫌は悪くなり、高校生活は壊される。

 

 

かといって抵抗をしなければ
養父のおしゃべりは増え数学の問題は解けないし
性的な話はエスカレートしていく。

 


上手に駆け引きをしながら
学校から帰宅してから眠るまでの数時間で数学の問題を解く。


失敗は許されない。毎日が緊張の連続だった。

 

 


こうやって毎日コツコツと養父母の求めるものを与え続けた。 

 

そして2人にとって無くてはならない存在になって
そこから私が2人をコントロールした。

 

 

これが私の生き方だった。

 


いつも奴隷にされてからスタートする。

主人を完璧に理解して言葉にする前から完璧に欲求を満たす。

自分を無にしてどこまでも自己犠牲して主人に尽くす。

不平不満も言わず笑顔で主人の思い通りの奴隷でずっといる。


そうしているうちに
奴隷なのに主人にとってかけがいのない人間になる。


そうなった時、奴隷は主人より力を持つようになる。

 

言葉にすると恐ろしいが
奴隷が自分の人生を取り戻す方法はこれしかないのではないかと思う。

 

 

こうして
あの夢のような高校生活を何とかやってきた。

 

 

部活も絶対にダメだと言われていたけど何とか許可を得た。

 

修学旅行も直前まで行かせないと言われていたけど何とか行けた。

 

どうしても遊ぶ時間とお金がほしかった。
大学受験のために予備校行きたい、夏期講習が必要だといって
ほとんど行かず、夏期講習は申し込まず、時間とお金を捻出した。

 

 

予備校に行かず独学で何とか合格したけど
大学に落ちたら多分私の人生は終わっていただろう。

 


数学しかできなくて一教科入試で倍率がとんでもなく高くて
多分満点をとらないと合格しないと言われていたから
本当に綱渡りだった。

 

当時、私の住んでいた下町のその場所では
女性がそこそこ名前の通った4年生大学に合格するのは珍しかった。

 

養父は鼻が高く大満足だった。

 

 

ところがここからまた恐怖が始まった。

 

合格した大学は通学に片道2時間かかる。

 

養父母は私のことが好きで好きでたまらない。
ずっと私にかまっていてほしくて仕方が無い。

 

 

そこで養父はこう言いだした。

「大学行く必要ないだろう」

 

 

そう。養父は見栄を張りたかっただけだった。

 

大学に合格しさえすれば良かったから

就職して私との時間が無くなることに耐えられないので
入学させず、はなから私の将来は家のスナックで働かせると決めていたのだ。

 

 

大ピンチだった。


これまで養父の見栄を張りたい欲のためにコントロール出来てきたのに
ここにきて終了。

 


絶望だった。

 

 

新しい場所はまた必ず私を幸せにしてくれる。
高校生活の経験で確信してた。

 

かっしーとかなたと離れる今
大学生活が私の希望すべてだった。

 


こんな頭のおかしい養父母との生活
親のいるスナックで働く人生なんて死んだ方がマシだった。

いや死ぬしかないだろう。

 

 

苦し紛れに私は言った。

 

「合格しても高卒の娘ってことになる。自慢できないよ」
「経営学部で経営学んでくる。うちのスナックの経営に役立つよ」

 

・・・

 


「そうだな。大学に一度は入学しないと合格したって言ってもな」
「うちも最近良くないから頼むぞ」

 

こんなバカな話を信じた養父。

 

 


こうして私は大学に入学することになる。


お金の問題でなんと一人暮らしまで許された。

交通費より家を借りた方が安いというのと
通学時間の分、毎日バイトをして生活費と家賃を払えということだ。

 


なんだっていい。

 

大学に入学ができるなんて
親から離れることができるなんて

夢のようだ。

 

 

人生で最高の瞬間だった。


私の中でもう奴隷人生は終わりだと感じてた。