逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝47 幸運に翻弄される私

高校に入学したばかりの私は
自分の正体がばれてしまうのではないかという恐ろしさでいっぱいだった。

 


この気持ちはきっと
小学生の頃からずっと慣れ親しんだ気持ちだ。


 

たしか初めてこの気持ちを感じたのは
岩手県の児童養護施設から引き取られ東京の小学校に入学した時。

 

 

児童養護施設が世の中の全てだと思っていたのに
見たこともないきらびやかな世界が小学校にはあった。

 


同級生と話しているうちにそこのルールが少しずつわかってくる。


親がいない子どもが当たり前に存在する施設とは違い
親がいないことを明らかにすることは危険なことのようだった。


どういう場所なのかはわからないが
どうも全員が小学校の前に幼稚園とか保育園とかに通っていて
通っていないというと変な顔をされるということが分かった。

 


親が怖いとか叩かれるとかは当たり前じゃ無くて
親に住むところや食べ物を与えられていることに申し訳なさを感じていない

 

毎日が恐怖でいっぱいの私と違い
毎日が幸せで面白いことしかないようだ

 


この頃きちんと言葉にはなっていなかったが
自分は本当はここに居ていい人間ではないなと分かり始めていた。

 


だけど
きらびやかなこの世界を知って児童養護施設に戻りたくなくなったし
恐怖が支配している家は好きではない

 

それから
「ここに居ていい人間ではないけどここに上手に潜伏しなければ」

 


どんなに学校で馴染めなくて困難があっても諦めなかったのは
こんな思いがいつもあったからだろう。

 

 

その小学校の時と同じ・・・
いやそれ以上にこんな気持ちを感じていたかもしれない。

 

 


中学校の時も私の周りには

 

塾の娘、教師の娘、経営者の娘など
お金持ちで育ちのいい友達は沢山居た。

 

本当に何故か分からないが
私の周りにはお嬢様やお坊ちゃまと言われる人が集まった。

 


でも高校はさらに世界が違った。

下町の中学校から都心の高校へ。

 

家が港区、世田谷区、大田区、新宿区・・・
私にとっては信じられない都会で育っている人たち。


偏差値の高い高校で学費の高い私立だから
お金持ちのレベルも育ちの良さも格段に違う。


家柄もよく賢くて余裕があって自信があって人柄も良くて
色んな遊びや習い事をしてきていてオシャレで非の打ち所がない。

 

こんな人たちがゴロゴロいたのだ。

 


これもまたいつものパターンなのだが

 

底辺の底辺に居る私なのに
「こんなレベルの高い人たちにも負けたくない」と思っていた。

 

 

何が勝ちで負けなのかはわからないけど

 

中学校では
学級委員をやってすごい人たちの上に立った

 

毎日楽しい日々を送っている人たちより
明るく元気にいて周囲を笑わせた

 

余裕があって楽しい学校生活を送っている人よりも
モテて恋愛をして学校生活を謳歌しているフリをした

 

 

私が学生時代を生きてこれたのは

 

こんな馬鹿な勝負を心の中で勝手にしかけて
恵まれている人に負けるものかって気持ちを持ち続けていたからかもしれない。

 

 

高校に入学したばかりの時は
そんな私でもさすがにこのレベルの人たちには勝てない・・・と
諦めかけていた。

 


そんな私に奇跡が立て続けに起きた。

 


この奇跡によって私はよくわからない勘違いの自信をつけて
高校生活で天国と地獄を味わうことになる。

 

 

 

最初の奇跡。


噂ではクラス分けで学力のバランスをとるため?とかで
入試とは別に入学前に学力テストがあった。

 

私が大好きな選択式。


私は勉強は全くできないし何も意味を持って覚えられないのに
何となく正解を選ぶことは得意だった。

自叙伝22ディスレクシアの私

 

その学力テストで上位10位までが廊下に貼り出された。

入学したばかりで名前を見ても誰が誰だかわからない状態でも
みんな興味津々で見ようと殺到する。

 

 

そこにあったのは

 


一位  竹田美由

 

 

これは本当にとんでもないことだった。


中学校の時の内申点2.6だ。
どれだけ成績が悪いか分かってもらえるだろう。


まぐれで合格した高校の偏差値は60を超えている。

 


まぐれで何とか合格した私が
その学校の最初のテストで学年トップなんて

漫画かドラマじゃなきゃあり得ないことだ。

 

 

クラス分けをして最初の日

担任が挨拶をする。

 

「なんとね、うちのクラスに学年トップの生徒がいるんですよ」

「竹田さん。みんな拍手」

 


この時の興奮は今も忘れられない。

 

勉強が出来ない自分にとって恐れ多い高校で
一番頭が良い生徒として扱われるなんて夢のようだった。

 


結局は私は本当は勉強ができないから
この出来事はその後評価が駄々下がりしていくという
私にとって地獄のはじまりなのだが。

 


「私はすごい人なのかもしれない」

そう思い込んでハイになった私はどんどん躁状態に入っていく。

 

 


その次の奇跡。


高校に入学してすぐに
男子が色んなクラスの女子を物色するように見て回る。

 

可愛いと言われる評判の女子を見に行くのだが
他のクラスだから入りづらいせいか、入り口の所に殺到する形。

 


私には縁がない。

 


中学校の時、何人かに告白されたけど
色んな人の評価を集めて分かった私の外見は


少しではなくしゃくれたアゴが目立っているから
多くの人は「ブス」と思う

 

目鼻立ちは普通よりも美しいから
余計に残念な「ブス」と思われる

 

すごくオシャレに気を遣っていたから雰囲気は「美人」

 

目鼻立ちと雰囲気しか見ていないごく一部の人に
美人と言われモテる


だいたい自分で自分のことをわかっていた。

 

 

うちのクラスにもアメフト部の明らかにイケてる男子達が殺到した。

友人と「○○ちゃん可愛いもんねぇ」
なんて話していた。

 


突然同じクラスの男子に言われた。

「竹田を見に来てるんだって」
「竹田と話したいってよ」

 

信じられない。とても。

だから私はからかわれていると思っていた。

 


でもその一週間後

アメフト部の1人に告白される。

私を見にきていたというのは本当だったのだ。

 


舞い上がっていた私はもちろん訳も分からずOKする。
入学してすぐのカップルだけに周囲の注目度も大きかった。

 


今もこの出来事は不思議なのだが

 

当時人気のある女性タレントは
エラやアゴがハッキリしていて眉毛はっきり目力あるタイプで

たまたま私の雰囲気が似ていたからだと思う。

 


これが正解だと思うのは
この三年後、アムラーブームが来た頃
私は再び「ブス」扱いをされることになるからだ。

 

 

理由はどうあれ

 

こんな
私の本来の力ではないとんでもない幸運に見舞われ
調子にのった私は

 

自分がどんな人間だったのか忘れてしまっていた。

 


大げさではなく、この時の私は本当に何もかも忘れて

 

素晴らしい高校で一番の成績で注目され
男子にモテる
最高の女子高生

 

そこしか見えていなかった。

 

 

自分が幼少期に知らない人の家をたらい回しにされていたなんて

児童養護施設にいたなんて

養子で引き取られて殴られて放置されて罵倒されて性的虐待されていたなんて

学校で変人扱いされ続けていたなんて

中学生でスナックでホステスをやっていたなんて・・・

 

 

そんなことは一切忘れてしまっていて

生まれて初めての夢のような時間に翻弄されていた。