逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

愛着障害の回復とは

 

愛着障害の回復とは

いったいどういうことを指しているのでしょうか。

 

 

現在は愛着障害という概念が一般にも定着して

 

自分自身が愛着障害であると気づく人も
愛着障害の専門家も増えましたよね。

 

 


それに伴って
愛着障害の回復を語る人も増えて
回復の定義は人によってずいぶんと違うものなんだな、と感じています。

 

 

 

愛着障害の人は

 

物理的にも心理的にも親から離れられれば
回復と言えるのでしょうか。

 

 

愛着障害から回復したという人の話を聞くと

 

回復したその後も
親から刷り込まれた言動による問題に苦しめられ
親に奪われた時間や経験の大きさに戸惑い

 

生きづらい人生が続いているようです。

 

 

 

そして
愛着障害から回復してもこんな自分だからと

 

「この性格は私の責任」

「今ある現状は私の責任」


何となくこんなことを感じながら

 

自分に自信を持てないまま
自分を好きになれないまま
自分を解放出来ないまま


必死に自分を変えようと苦しんで
色んな努力を続けているんです。

 

 


まだまだ愛着障害の影響が沢山残っていて苦しんでいるだけなのに
あなたのせいじゃないのに・・・

 

と私はつらくなります。

 

 


だから私は

「愛着障害は簡単に治る」

「1~2年で愛着障害を克服しました」

という言葉を聞くと


また誰か苦しむ人が増える・・・
と何とも言えない気持ちになるんです。

 

 


本人は困っていない、幸せだと思っている人に

「あなたは愛着障害が治っていない」と言いたいわけじゃないんです。

 

 


私がハッキリとさせたいのは

 

機能不全の家庭で育って
どれだけのものを失ってきたのか

 


これまでの行動で作り上げてきた現在の環境
親からの学びで作り上げられてしまった現在の性格

 

これが自分のせいなのか
自分らしさを表しているのか


本来の自分のまま
十分に愛情を与えられて育ったとしたら
どれだけ素晴らしい人になったのか

 

こういうことを理解して
十分だと満足出来ているのか・・・

 


こんなことをしっかりと考えてほしいと思うだけなんです。

 

 

 

愛着障害の人はずっと

 

親からの抑圧から抜け出せない

親から受けた言動のトラウマが消えない

自分が酷い目に遭ってきた自覚を持てない

酷い人間不信など・・・

 

 

とにかく苦しい思いをしてきたからこそ

 

ここから抜け出しただけで十分幸せだ
これが治ったということだ・・・と思う気持ちは分かります。

 

 


私も何度も抜け出すたびに
そんな思いになっていたのを思い出します。

 


私のカウンセリングでも

 

だいたいの人が大きな苦しみからは7~8ヶ月で抜け出して

「私は治りましたよね?」
とおっしゃいます。

 

 

それでも1年、1年半と続けてもらうと

 

「まだまだトラウマは残っていた」

「まだまだ幸せになれるし成長できる」 

 

こう変わっていきます。

 

 

私は苦しんできた人ほど幸せになってほしいと思うんです。


本来ならもっと幸せになって良い人たちだと
いつも感じています。

 

 

だから
一度大きな暗闇から抜け出しても
もう自分に向き合うなんて面倒なことはしたくないと思っても
自分は大丈夫だと思いたくても


少し休んで幸せを堪能したら

 


あらためて


愛着障害の残った部分を徹底的に洗いざらい無くしてやろう
失った部分を取り返してやろう
今から叶わなかったことを叶えてやろう・・・


そうやって
さらに欲張ってもっと幸せを求めて欲しいんです。

 

 

私が考える愛着障害の回復は
階段的に訪れるけれど最終的なゴールは

 


「愛着障害によって失った以上のものを自分の人生で得てきた」

 

「色んな失敗を沢山してきたけれど
 結局は今の自分が大好きだ」

 

「何にも無くても愛着というものを得て自分を取り戻して
 自分と愛着を持てる人さえいれば幸せだ」

 


こんなふうに思えることなんじゃ無いかと私は思っています。

 

 

 

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