逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

子どもの心を育てるということ

人を愛し支えるということは本当に難しい

日々そう感じながらカウンセリングをしています。

 

 

子育てをする人は
何年間も毎日変わらずにこんな気持ちを持ち続けるのかと思うと

 

どれだけ大変で大きな責任を負っているのだろうと
尊敬せずには居られません。

 

 

 

愛着障害の人は
必要十分な愛情をもらえずに育ってきましたね。

 

 

ですが

愛着障害の人はみんな
親から愛情を全くもらっていないのでしょうか。

 

皆さんはどう思いますか。

 

 


私が今までカウンセリングをしてきて思うのは

 

愛情を全くもらっていない人というのは
ほとんどいないのではないかということです。

 

 

もちろん
限りなくゼロに等しい人はいます。

 

そういう人の症状はやはり重くなります。

 


解離症状や強迫症状、離人症、失感情症
統合失調症に近い症状など

 

どんなに歪んでいても少なくても
親の愛情がどれだけ子どもを救うか・・・と考えさせられます。

 

 


愛着障害の人の親は


愛しているつもりだけど愛せていない

親の愛情の与え方が子どもを傷つけている

親の愛情の与え方が子どもの力を奪っている


こんなケースがとても多いように思うんです。

 

 

 

例えば


「子どもをちゃんと育てたい」

 


そう思った時に

「危険から完全に守りたい」
「失敗をさせたくない」
「上手に人生を送ってほしい」

 

同時にこんなことを機能不全の親は考えてしまう。

 

 

 

行動のスタートは愛情ですね。

 

でも子どもを育てるためにはそれでいいのでしょうか。

 

 


子どもを育てるには

 

主体性を育てる
楽観性を育てる
柔軟性を育てる
転んでも立ち上がる力を育てる・・・

 


まだまだあると思いますが


危険から守って
人生を上手くいかせるために奔走するだけでは

子どもの心は育たないんですね。

 

 

ここが難しいんですよね。

 

 

愛情があって心配をしているから先回りしたくなる

 

愛情があって子の痛みがまるで自分の痛みのように痛いので
傷つかないように失敗しないようにさせたい

 

愛情があって苦労をさせたくないので要領よく生きてもらいたい

 

 

こんな気持ちが強いせいで

 

関わりすぎたり口出ししすぎたり
守りすぎたり
安全な道ばかりを進ませたりしてしまうんですね。

 

これもまた
愛情が根底にあるからつらいですね。

 

 

 

一方で

 

子どもへの愛情はあっても
親が自分自身の方をより愛してしまっている場合も

同じ関わりになりやすいです。

 

 

子どもが上手くいかないところを見ると

 

自分の上手くいかない過去を思い出したり
自分の価値を下げられる気がしてイライラするから
先回りして防ぎたい

 

 

子どもが痛い思いをしていると

 

自分の過去を思い出して痛い思いを思い出して痛いから
そういう思いをさせないように守りたい

 

 

 

子どもの人生が上手くいかないと

 

自分の恥になるし対面も悪いし
自分に負担が掛かってくるから
自分の身を守るために要領よく生きさせたい

 

 

こちらのパターンが多く

子どもにとっては愛情を感じられないのに

愛情の形をとって関わられる…つらい状態ですね。

 

 

 


人の心を支え育てるのが大変だと
子育てをしたことがない私が言うのは変ですが


私がしている愛着障害のカウンセリングは
受容的に聴くだけのカウンセリングとは全然違うもので


先ほど挙げた


主体性を育てる
楽観性を育てる
柔軟性を育てる
転んでも立ち上がる力を育てる・・・といったことをしているので


心を支え育てる大変さは分かると思うんです。

 

 


育てる側も毎日自分の気持ちとの戦いですよね。

 

自分が正しいと信じてきたこと
自分が持ってる知識や知恵も

 

自分とは違う人間にとっては
これも絶対ではないかもしれないと疑いながら力になろうとすること

 

 


一般的に正しいとされていること
当たり前とされていることも

 

子どもにとってそれが上手く当てはまらないなら

 

無理にレールにはめるのではなく
沢山のレールを提示しようと努力したり
道無き道を進むことすら受け入れる勇気をもつこと

 

 


子ども(クライエント)に問題が起きて衝撃を受け
子どもの落ち込みやイライラや嘆きなどの大きな感情を受け取って

 

自分の不安が大きくなっていたとしても
子どもが一番不安なんだと、自分がしっかりしなければならないと
強い気持ちをもつこと

 

 


上手くいかないことばかり続いて
子どもが弱って傷ついて力を無くして立ち直れそうもない姿を見て

 

先は真っ暗だと諦めたくなる気持ちが浮かんできたとしても
子どもはまだやれる、子どもには力があると強く信じて
大丈夫だと明るい気持ちに切り替えること

 

 


子どもが傷つく姿を見たくないから
とりあえず傷つかない方法を教えたくなる

 

それでも黙って失敗をするところまで見守ること

 

 


これが本当に苦しく難しいんです。

 

恥ずかしながら
今でも失敗をしながら毎日頑張っています。

 

 

 


皆さんの親を擁護したい気持ちではないんです。

 

 

愛着障害の皆さんは

 

親を完全に恨みきれない
縁を切るまでの気持ちでは無い
どこかに許したいという気持ちが消えない


だけど許せない・・・

 


こんなふうに苦しんでいる人が多いと思うんです。

 

 

その気持ちを丁寧に聴いていくと

長年の行為は許せないけれど

 


自分に愛情が無かったのではないか
親として努力を全くしていなかったのではないか
出来るのにやろうとしなかっただけではないか
考えられるのに考えなかったのではないか

 

こう考えて怒りを大きくしてつらい思いをしていることに気づきます。

 

 

私は親を許してほしいとは思っていません。

 

 

でも
真実とは違う姿を想像して持たなくていい恨みを募らせるのは
ただでさえつらい愛着障害の人を
さらにつらくさせるだけだと私は思うんです。


だから

残念ながら私と同じように
救いようのない親を持ってしまった方は別の話ですが

 

どこかで親に捨てきれない思いがある愛着障害の人は

 

 

 

下手くそだったけど愛情はあったかもしれない

間違いだらけだけど自分なりに必死だったのかもしれない

なけなしの愛情を表現しようとはしていたかもしれない

こんなに難しいことだから自分にだって出来ないかもしれない

 

 

ここもちゃんと見て

 

それでも
「自分がされたことは、まだ許せない」という気持ちも大事にする。

 

こうやって決めつけない態度が
自分自身の心を楽にするのではないかと思っているので

 

親は自分への愛情はゼロだったと決めるのを

少し考えて見てほしいと思うんです。

 

 

 

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