逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

心の問題だけは自分1人の努力じゃ解決できない

音声カウンセリングをはじめて一週間。

 

 

我ながらよくできているな

 

これこそが足踏み状態でなかなか心の状態が改善しない人の
打開策になるぞ

 

カウンセリングを求めてくれる人も
ブログやTwitterを応援してくれる人も多いし
卒業生も多いし

 

購入殺到しちゃうな


なんて思っていたわけですが

 

 

そうでもなかった・・・

 

 

友人には

 

「12月で忙しくてゆっくり聴く時間がなくて
 今は購入見合わせてるんだよ」

 

「まだ音声カウンセリングの存在に気づいてないんだよ」

 


なんて


あたたかい励ましをしてもらっているけれど

 

かなり情熱を傾けてやってきたのでへこんでるとこ。

 

 

 

買って欲しいというより

いやまぁ買って欲しいけど(笑)

 

それよりも
これを使ってくれたら楽になる人が沢山いるのになぁって残念な気持ち。

 

 


私が胸を痛めてきたのが

 


愛着障害、発達障害、人格障害、依存症、双極性障害・・・
などに悩んでいる人たちが

 


自分1人で努力で心を治そうとして

 


本やインターネットで情報収集して
一生懸命勉強して
日常でも自分を律しながら頑張って

 


それがなかなか良くならない原因の一つなんだってことに気づかず

もっともっと努力を続けてヘトヘトになって疲れ果てている姿を沢山見ること。

 

 

 


私のカウンセリングを求めてきてくれる人には
共通点が沢山見られるけど

 

 

その中でも一番多かったのは

 


沢山の本を読んで勉強して
自分なりに色んな努力をしてきて
それでも苦しさから抜け出せなかったって口々に言うこと。

 

 

恥ずかしながら
皆さん私よりも愛着障害についてや、精神医学などの知識がある。

 

 

だけど
心が回復することとそれは別のことだ。

 

 

 

治療者もそう。

 

 

知識がどれだけあっても
患者の診断が完璧でも
治すことができるかどうかは別で。

 

 

 


知識がなかなか役に立たないのは

 


じゃあそれって自分の人生でいうとどういうこと?

 

結局どうしたらいいの?

 

どういう場面のどういうタイミングで使えば良いの?

 

難しすぎてどこからはじめていいの?

 


なんて感じで
現実に落とし込んで少しずつやっていくのが難しいからなんだよね。

 

 

 


それにね

 


もし
知識を使って自分1人の努力で

ある程度回復に向かったとしても

 


そこから現実の人間関係という本番になったときに
上手くいかなくて

 

そこから全然楽にならないということも多い。

 

 

現実の人間関係という本番で上手くやるためには
1人じゃなくて人と練習する必要があるんだよね。

 

 


それだけじゃない。

 


得られるはずの愛を与えられず愛着が欠けているなら


それを埋めるには
1人じゃなくて人に埋めてもらう必要があるんだよね。

 

 


私もそうだったけど


愛着障害の人は
本当に1人で死ぬ気で頑張って色んなことを解決してきたから

 

心の問題だってそうやって解決出来るって思ってるんだよね。

 

 


わかるよ。わかる。

 

 

だって私だって

 

境界性人格障害、依存症、双極性障害、解離性同一性障害
摂食障害、醜形恐怖症・・・
沢山の心の病気になっていたのに

 

診断も受けずまともなフリをして誰にもバラさず
試行錯誤して治してきたから。

 


そんな私だから

1人で治すんだけど、人と心で触れあう治し方を伝えたい。

 

 


どういうことかというとね。


私たちが1人で頑張りたいのは

 


多分

恥ずかしいところや情けないところを見せたくないとか

人の力を借りて貸しを作るのがどうしても嫌だとか

人に期待して落胆するのが嫌とか・・・

 


こんな理由じゃない?

 

 


だからこのこだわりを確保しながら
人と心で触れあえればいいんだよね。

 

 


私たちは何で人と心で触れあえないんだろう。

 

 

これね
私の考えだけでなくクライエントさんも同じだったんだけど

 


理解されない経験や自分だけ異質な者だと感じさせられる経験が多すぎて

 

「口に出したところで軽く流されたり曲げられたりする」

「精一杯伝えたところで絶対に理解されない」

「同じ性質、感覚、経験の人なんていなくて、自分だけがいつもハズレてる」

 


こんなふうにずっと思ってきたから

 


人と心で触れあおうとすることは
理解されるんじゃないか、わかりあえるんじゃないかって期待することで

 

 

そうして避けてきたのに
うっかり期待してしまったらそうじゃなかった時の衝撃はきっと
言葉にならないもので

 

めちゃくちゃ危険なことなんだよね。

 

 

そりゃ1人で頑張るかってなるよね。

 

そう。私たちの経験ではしかたない。

 

 

だけど
どうにかして1人で頑張っても報われない地獄から抜けださないと。

 

 

 

ここで私がオススメしたいのは
自分と似たような経験をした人の話を聞くことなの。

 


自助グループがそうだけどはじめは中々敷居が高いよね。

 

私も結局怖くていけなかったもん(笑)

 

 

 

私はね
とにかく映画やドラマを使ったな。

 


本もいいけど

 

たまたまかもしれないけど私は
本だとキラキラストーリーに感じて
わかりあえるような感覚よりも劣等感しか感じなかったな。

 


映画やドラマの
愛着障害や発達障害が主人公の物語はさ

 

苦しみの真っ只中の姿を見せてくれるじゃない。

 


同じような苦しみやみっともなさを見せてくれるし
失敗をしながら葛藤をしながら少しずつ回復する姿も見せてくれる。

 


私はね
本当にこれで人と触れあって回復してきたところが大きいの(笑)

 

 


だけどやっぱりリアルに存在する人と触れあいたい。

 

 

そんな時は

 

自分の失敗を

美談にも、笑い話にも、ドラマチックにもせずに


みっともない所や情けない所、汚い所を

そのまま明かしてくれる人のブログを読んだりしたかな。

 

 

それで

 

私は一人じゃないな

自分の経験や感覚や考えはちっとも異常じゃなかったな

私も本当はこんな感情だったな

私も情けなくてみっともなくていいな

似たような人って探せばいるし分かり合える人もどこかにはいるのかな

 

そう思いながら

孤独でつらい一日一日を騙し騙し過ごしながら

回復に向けてやれる事をやりつづけることができた。

 

 

 

こんな経験から

「私も」と勇気を出して恥をさらしてブログを書き始めたんだ。

 

 

自助グループに行くまで
カウンセリングに行くまで

 

まだ1人で頑張っていきたいって人に

今回音声を作り始めたの。

 

 

文章にはない、作られた人物にはない
臨場感あふれる声や存在感や温かさを感じて
人の心に触れて欲しい。

 


好きなときに
人の心に自分勝手に触れることが出来て

 

1人で頑張っているのと同じくらい安全。

 

 

 

色んな状態の人や色んな気分の人に向けてお話ししてるから
状態が合わないと

 

「心が触れあわない」って感じると思うから

 

 

その時々で
合う音声を探しながら聴いてもらう手間はあるけど

 

 

毎日色んなことが起きて
色んな感情をもって
元気になったり疲れたり
ハッピーだったり絶望していたり

 

その時々に合う音声を使いながら
1人で人の心にも触れあう体験をしてほしい。

 

 

私の音声を使わなくてもいいからね

 


この記事を読んで理解してくれたら

 


自分なりに
1人でも人の心に触れあう体験をする方法を考えてやってみてほしい。

 


もう知識だけ入れて一人で考えて努力するだけじゃ

現実を変えていくのはとても難しいし

頭を疲れさせてしまうだけで心を使えないんだってこと。

 

だからなかなか前に進まないんだってわかってほしい。

 

 

 

 

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