逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

何にもないというコンプレックス

私はもう小さい頃からずっと

趣味も特技もなく生きてきたことがコンプレックスだった。

 

 

趣味・特技という記入欄を見るとフリーズして心臓がドキドキする。


書けるようなことが何にもない。

 

 


みんなが趣味や特技を身につけている時間に私は何をやってきたのだろうか…とよく考えてた。

 

 

 

心が回復する前は

 

「私は怠け者だから何にもやってこなかった。だから何にもない」

 

こんなふうに自分を責めてた。

 

 


みんなのように

 

目に見えて努力をしたこと
努力をした実感を持てたこと
人に認めてもらいやすい何かを身につけたこと

 
何かに大きな影響を受けたこと
何かに没頭して楽しんだこと
何かに夢中になってハマり続けたこと

 


そういうのが無かったから。

 

 


勉強もできない
本も全く読んでない
音楽も芸術も鑑賞してない
絵も描けない
スポーツも出来ない
楽器も弾けない

 


人様に何か分け与えることが出来る
楽しませることが出来る

 

知識やスキルが何もない。

 

 

 


私のコンプレックスは山ほどあるけど、一番根深いコンプレックスがこれだと思う。

 

 

 

誰でも何かしら趣味や特技があるように見える。

 

 

好きな本、好きな音楽なんかがあって

若い頃はそれが自分の名刺代わりだった。

 

好きなものが似ていて仲良くなったり

本や音楽を深く知っている人、自分なりのこだわりがある人が深い人だと思われて尊敬されたりする。

 

 


「どんな音楽が好きなの?」

 

「とくにない」

 


こんな私は

 

つまらない奴、底の浅い奴、何も考えていない奴
センスの欠片もない奴、感受性が低い奴・・・

 

そんなレッテルを貼られるのがわかる。

 

 

 

「何が好きなの?」「どんな経験があるの?」

 

「とくにない」

 


つまらない奴、なんの魅力もない奴・・・


そんなレッテルを貼られるのがわかる

 

 

 
最初から仲良くなるキッカケを与えてもらえなかった。

 

 

 

ずっと自分のことをつまらなくて底が浅くてセンスも無い、なんの経験も無い、なんの魅力も無い奴だと思ってたから

 

それを隠そうとして必死に

 

会話を上手にしようとしたり
話で笑わせようとしたり
情報通になって教えようとしたり
身なりを着飾ったりして

 

私はコミュニケーションをとりつづけてきたみたい。

 

 


ちょっと自叙伝みたいになるけど

 


冷静に振り返ると

 

本当は趣味や特技を身につける
そんな時間も気力も余裕も私にはなかったし

 

親に何も与えられず、どこにも連れて行かれず
家に閉じ込められていた私には経験なんてあるわけがなかった。

 

 


家に帰れば
親に監視され、虐待され
嵐に耐えながら親の機嫌をとりながら家事をやる時間しか無かった。

 


ほんの少しの時間があっても
学校で親から離れても

 

頭の中は恐ろしい記憶や不安ばかり
解決しなければならない問題だらけ
学校で周囲から浮かない努力、人間関係を上手くやる努力でヘトヘトで

 

どう考えても
何かに没頭するなんて
何かを楽しむなんて絶対に無理だった。

 

 


小さい頃から
おもちゃも本も与えられず、1人の時間は無かった。


家の6畳の小さな居間から一歩も出てはいけない。
私の見える世界はずっと両親の話とテレビだけ。


私に与えられたもので覚えているのは
親が夢中になっていたゲームウォッチだけ。

 


どこかに連れて行ってもらったのは
引き取られた直後に行った小さな遊園地と
親が競馬のついでに行った浅草花やしき二回だけ。

 


遊びや習い事が許されたのは
公文式を半年(途中でやめさせられた)
進研ゼミ一年
小学生の時の夏休みの間に友人と区民プール
一度だけ友人と買い物
一度だけ友人と遊園地

 


養育過程に与えられたもの、経験したことなんて、普通は書き切れない量になるはずだ。

なんと私にはこれしかない。

 

 


ちょっと重たい話になったけど、特殊な家庭環境では子どもらしい経験なんて積めないんだとわかってくれたら嬉しい。

 

 

 

こんな経験をしてきた私は

 


こんな音楽が好き
こんな本を読んでいる
こんなものにハマっている

 

そうやって自己表現をしている人たちの中で

 

私だけが感じてきた、考えてきた、豊かな内面は何一つ表現できずにつまらない人間に思われてきたんだと思う。

 

 

 


こんな習い事をしてきた
こんなスポーツができる、楽器が弾ける、勉強が出来る

 

家族で出かけて、旅行に行って、こんな経験をした
親族にこんな面白い人がいて面白い話を聞いた
留学先でこんな経験をした

 


そうやって自己表現をしている人たちの中で


私だけの逆境を乗り越えてきた経験は
何一つ表現できずに何にも無い人間に思われてきたんだと思う。

 

 

 

 

好きなもので自己表現をする世界

わかりやすい経験で自己表現をする世界で私は

 

つまらなくて、センスも無くて、何もやっていなくて
何もできなくて、なんの魅力も無い人になってしまう。

  


そこの世界で見られていることに気づくといまだに私は

 

なんにもない、なんにもできない人間である

そんな大きなコンプレックスに悩まされる。

 

 


同じように機能不全の家庭で育ち

 

子どもに当然与えられるはずのものが与えられず育った人

自分自身に時間が使えなかった人

日常生活に危険がいっぱいで何かに集中することが出来なかった人は

 

 

やはり私と同じように

普通の家庭で育った人と比較して何もないというコンプレックスを持っていることに気づく。

 

 


同じような人に私の思いを伝えたい。

 


私たちのような経験を積んできた人は
何にも無くていい場所では強いんだということ。

 

 

後ろ盾の必要のない場所
肩書きの必要のない場所
与えられたそのままでなく自分で工夫していい場所
あるものを使わず自分で自由に表現して良い場所

 


きっとそういう場所で
豊かな内面や豊かな経験が生かされる。

 

 


自分の言葉だけで自分の内面を語る

なんでもない経験の中から深い洞察をして深い経験にしていく

誰も思いつかないことが思いつき
誰も生み出せないものを生み出していく

誰もが解決できない問題を解決しようとしていく

 

こんなことが出来るんだと思う。

 

 


何にもないような私が持っていた力

これまでの経験から身につけてきたことを言葉にしてみると

 

 

恵まれない環境で出来る限り楽しく生きる

 

残念な自分を出来る限り良くしていく

 

残念な自分を好きになる

 

自分に正直に自分を自由にしていく

 

自分と人の両方を大事にしていく

 

孤独な環境で自分と楽しくやっていく

 

物事を色んな角度から深く掘り下げて幸せを見つけていく・・・

 

 

こんなことかな。

 

 

 

みんな人を幸せにしようと様々なことを頑張っている。


世界を変えよう
政治を変えよう
制度を変えよう

 

必要なものを与えてあげよう
快適で豊かな環境を作ってあげよう

 

より効率よく生きよう
よりスキルを高めよう
より人に高く評価されよう

 


いつも私は、人はすごいな、何故そんなことができるんだろうと驚き萎縮する。

 
でも私が出来ることはそれじゃないんだな。

 

 

私が出来るのは

自分の心の持ちようで変えられる部分を
可能な限りとことん変えていくこと

 


今すぐ状況は変えられなくても
今すぐ感じ方を変えられる。

 


つらい現状でも楽にしていく
今あるもので快適に豊かな気持ちにしていく

 

ゆっくりと自分のペースで
自分の選択で自分の好きなように生きていく

 


こういうやり方で人を幸せにしていくんだと思う。

 

 

 

もっともっとにはキリがないし

 

豊かさ快適さには慣れて当たり前になって
幸せはだんだんと感じられなくなっていく

 


急げば一度しか無い人生のほとんどを見落とすし
スキルばかりを見れば人間性が見えなくなるし
人の評価ばかり気にすればきっといつまでたっても安心できない。

 

 


だから私は環境を変えていくことも大事だけど

 

劣悪な環境にいる人以外は
それよりも自分の心を変える方が大事だと思ってるんだよね。

 


何にもないと嘆く同志たちに。

 


自分だけの特殊な経験

自分だけの見えづらい好きなことや得意なこと

 


そういうのを見つけよう。

 


きっとそういうのは

 

分かりづらい、理解されづらい、カッコつきづらい、結果が出づらいことだけど、ふてくされずに突き詰めてるいこう。

 


あなたには絶対に何にもなくないんだよ。

 

 

 

 

関連記事

 

www.lilcafe-colony.com

 

www.lilcafe-colony.com