愛着障害の人は
「自分の苦しさはいつも人に理解されない」
そんな強い思いを持っているのではないでしょうか。
どれだけ苦しんでいても誰にも心配されないで
大丈夫だと思われてしまうんですよね。
実は
愛着障害の人には苦しさを人に理解されづらい理由があるんです。
愛着障害の人は
自分のことを無意識に隠してしまいます。
これまで愛着障害について書いてきましたが
どの記事を読んでもわかるように
親との関わり、人との関わりで
いつも自分の本心、自分の状態を隠さなければならなかったんですね。
例えばこんな癖があるはずです。
言いたいことはあっても
相手は悪気がない
相手は悪くない
相手を傷つけてしまうかも・・・
相手の事情を優先して考えてしまうから言えない。
考えていることや感じていることがあっても
変なことかもしれない
否定されるかも知れない
どうせ取り合ってもらえない・・・
相手の反応が怖くて言えない。
嘆きたくても、疲れていても
人に負担をかけたくない心配させたくない
弱いと思われる、弱い自分には価値がない
自分が頑張らないと現状を保てない壊れてしまう・・・
そう思って強がって奮い立たせて
何でもないふりをしてしまう。
ギリギリの状態であっても
目の前のことに必死で自分の気持ちが感じられない
1人で抱えている重たい事情を忘れたくて必死に明るく努める・・・
そうやっていつも明るく余裕があって動じないように見せてしまう。
もっともっと
色んな場面で、色んなことを考えて、色んな理由で
無意識に自分のことを隠してしまっているかもしれません。
私もそうでした。
自叙伝でも書かせてもらっています。
私は家庭内で起きていることは
どうしても誰にも話せませんでした。
学生時代、周囲が明るく楽しく過ごしている中で
自分だけ悩み苦しんで暗くなっているわけにはいきませんでした。
たびたび強い不安に襲われパニック状態になっても
表に出すと軽蔑され笑われ居場所が無くなります。
とにかく何でも無いフリをするしかありませんでした。
自分の抱えている重たい事情を直視すると倒れてしまいそうになります。
気をそらすために
人の心配をして、世話をして、自分は大丈夫と思い込むしかありませんでした。
こうやって
私は自分のことを完璧に隠していたせいで
全く違う人間のように映っていたんだと思います。
「苦労知らずのお嬢様」
「悩みがないお気楽な人」
「何でも楽々余裕にこなす恵まれた人」
私はいつも人からこんなふうに言われてきました。
だから
自分の心の中のことは少しも人には全く伝わらず
正反対の印象をもたれ、誰もわかってくれないと絶望して
「人は私のことを全く違うようにしか捉えない」
「私のことを理解してくれる人なんて絶対にいない」
私は長い時間をかけてこんな思いを強くして
人間不信を強くしていったんだと思います。
愛着障害を克服してからやっとわかったのですが
こんなふうにして自分のことを全て隠していれば
誰も本当の苦しみを見つけられるはずがないんですよね。
自分では隠してるつもりなんてなかったし
無意識にそうしてしまっていたので
自分はちゃんと出している、助けを求めているのに
人が気づいてくれないと思っていたんです。
言葉で伝えようと努力をしたこともありました。
意を決して人に
「私は今こう悩んでいる」
「私は限界だ」
「これだけの大きな思いがある」
言葉でしっかりと伝えてみました。
それなのに
やっぱり相手は私の辛さをわかってくれません。
これだけ訴えているのに
この人は分かってくれない
この人は見て見ぬふりをする人でなし
私を大事に思っていない
こうやって嘆き悲しみ、怒りを大きくしていたのを思い出します。
ですが
やっぱり私が上手く出せなくて
冗談っぽく話したり、余裕しゃくしゃくの態度でいたり
淡々と伝えたりしていたんです。
結局は「私は大丈夫」と伝えてしまっていたようなものでした。
言葉で伝えているのに理解されないと私は思っていたんですが
人は言葉よりも
ヘトヘトな姿、余裕の無い姿、感情をこめて心から訴える姿
そういうもので重たさを判断しているんですね。
カウンセリングでお会いする愛着障害のクライエントさんも
みなさん私と同じでした。
どれだけ大変な経験を持っていても
今も大きな苦しみを抱えていても
なんでもないように軽く明るくお話をされます。
感情をこめず淡々とお話をされます。
時には
大変な経験や今の苦しみを全て隠し
ポジティブな話ばかりをされることもあります。
注意深く、自分の苦しさを出せないでいるのを見つけようと
つねに努力している私ですら
何度も見過ごして、見間違えてしまうことがあるほどです。
ましてや
カウンセリングではない普通の人間関係では
対等ですから注意深く見ていてはくれません。
もっと見過ごされるでしょうね。
私たちのように
自分を表現できない状態では見過ごされるのも、誤解されるのも当然で
決して
相手が分からず屋、鈍感、愛情が無い訳ではないんですね。
愛着障害の人は
自分自身が完璧に自分を覆い隠してしまっていること
これに気づかなければいけませんね。
「隠しているつもりはない」
本当にそうなんですよね。
でも自分はそんなつもりはなくても
今の自分は
自分のことを全く表現できていないんです。
こうして沢山の理由があって
自分のことを全く表現ができていないせいで
人から理解されない、人から誤解されるのであって
自分が苦しさを理解されない、寂しい人間でもなければ
人が苦しさを理解しない冷たい人間
人が理解できない、鈍感な人間なわけでもないんですね。
私もいまだにここの部分は根強く残っていて
注意しないと
「誰も苦しさをわかってくれない」
という思いが湧きあがってきます。
今自分が自分のことを覆い隠していないか
いつも注意しながら
伝えようと努力したり
相手が理解できないのは当然だと受け入れたりして
上手に自分と人と付き合っていきましょうね。
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